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『大魔神』
『ガメラ対バルゴン』と同時上映された第一作目。
戦国時代。心優しい領主が下克上に遭い、取って代わった主が悪政を敷き領民を迫害。落ち延びて成長した若君と姫君が民を救おうとして捕まり処刑寸前。
という典型的なストーリ進行です。ギリギリになって登場する大魔神が、もう「いよっ、待ってました!」ですよ♪
映画そのものを知らない層でも大魔神のテンプレだけは知っている。このテンプレすべてが、この作品に入っています。つまり、ポーカーフェイスから腕をかざして憤怒の形相、大暴れ、乙女の涙でポーカーフェイスに戻る、という一連の流れですね。
劇中では「大魔神」の他に「
阿羅羯磨という名称が出てきます。村人のやりとりから推測しますと、この地には古くから恐ろしい魔神が棲んでおり、それを退治したのが阿羅羯磨という神様。で、魔神が埋められた上に阿羅羯磨の巨大な神像を置いて封印としている。神像の姿が武人埴輪の形であることから古墳時代には認識されていた神であり、しかしながら村人たちによる鎮魂の舞いなどからすると古事記・日本書紀とは違う系列、アラハバキなどと近い立ち位置の神なのかもしれません。
けっきょく、村に伝わる伝承はまちがいで、魔神と阿羅羯磨は同じ存在だった。穏やかな阿羅羯磨が怒ると大魔神となり神罰を下す。
ストーリをよく観ると判るのですが、阿羅羯磨は領主の非人道的圧政に対して神罰を下したわけではありません。家来に命じて神像に鏨を打ち込み破壊しようとしたから怒ったのです。その証拠に、領主に刺したとどめは***ですし、その後も暴れ続け、神を崇めている村人まで容赦なく蹴散らす始末。荒ぶる神そのものです。
興味深いのは、その機動性です。山深くにあった神像が動きだし、光となって城まで飛んでくる。そして乙女の涙で神像は土くれとなって崩れ落ち、光だけが山に帰っていく。神は必要なときにだけ物質化するという典型ですね。
領主に返り咲いた若君と姫君、そして村人たちは新たな神像を作るのでしょうか。それとも祠か何かで代えるのでしょうか。ともあれ、かの地に信仰は続くことでしょう。
『大魔神怒る』
これも戦国時代。争いを好まず平和を維持する国に隣国が侵攻・征服。落ち延びた若様。そして許嫁である友好国の姫様は湖の中央にある神の島で皆の無事を祈る。
悪党は領民の心の拠り処である神像を破壊して隷属させようとするも、島に向かわせた一派は爆破に成功したものの一人として生きて帰らず。
一方、軽率にも捕まった若様たちは処刑寸前。
そこで姫様の祈りに応え、粉々に砕け散ったはずの神像が水から姿を現す。で、あとはお約束。
この作品では単に「神様」とだけ呼ばれています。また、神の島には明神鳥居があったり梵鐘があったりと、どうにも統一感がありません。古すぎる神様ゆえ、時代が流れるにつれ、いろいろ混じってきたのかもしれませんね。
前作と違い、大魔神の怒りは侵略者たちにだけ向けられます。信仰ある者には守護すら与えてくれます。随分と性格が違うものですね。
前作で土くれに還った神像は、今回は水に戻りました。登場シーンを始め各所で水を操っていましたし、水神の意味が込められていたようです。
『大魔神逆襲』
前二作とは打って変わって、子供たちが主役のジュブナイル的な構成。
戦国の世、戦に備えて大量の火薬を作ろうとした領主が隣国の木こりたちを山中で拉致、火薬工場の建築にこき使う。
親が捕まったと知った子供たちが、助けに行こうと、祟りで恐れられる魔神の山を越える。探索目的で山に入った敵の侍たちと遭遇、逃げ回るも食糧を失い疲労も限界、一人は川に流され、二人は雪の中で昏睡状態。残った一人が自分の命と引き替えに皆を助けてほしいと神に祈り、深雪に身を投げる。
同じ頃、隣国の不穏な動きを探るため、こちら側の侍たちが村人に案内させて魔神の山に入っており、彼らの眼前で武神の像が動き出す。そして全身を赤い光に包ませてテレポート! 身投げした少年を助け出し、そのまま火薬製造の砦へ向かう。
後は、いつものパターンです。ささやかな見所としては、三作目にして初めて大魔神が腰の剣を抜きます。
前作同様に、大魔神の怒りは、きちんとした指向性を持っています。木こりたちを拉致した隣国の侍ども、そして隣国を探るために禁忌の魔神の山に踏み入った侍たちにのみ、罰が下されます。こちら側の侍は悪人とまではいかないものの、案内させる際に村人から「捕まった皆を助けてほしい」と請われたのをスルーしましたからね。あくまでも戦略的偵察目的で魔神の山に入った。だから罰を受けたワケ。ちなみに案内させられた村人たちは無傷です。
抜刀の他に、今回は初めて使いとしての大鷹が登場しました。子供たちが山に入ったときから見守り、助けてくれます。そして、敵の矢に射抜かれたあと、武神像が動き出します。
この鷹ね、一般的には「神の使い」とされていますが、妖之佑の解釈では神そのもののような気がするんですよね。もっと正確に言うなら、神が大鷹の体に入っている状態。で、神罰を下すために一時的に武神像をコントロール。で、お仕事が終わると像を廃棄して、鷹の姿で去っていく。
ちなみに今回の武神像は雪となって崩れていきました。さしずめ冬山の神って感じでしょうか。
今作のみ、少しダラダラとした冗長な印象が拭えません。子供たちを主役にしたことの弊害でしょうか。しかも、川に流れた少年や、すでに兄が処刑された少年へのフォローもないまま、なぜかハッピーエンドの空気……(涙)。いささか詰めが甘かったかな最終作。
三作通して観て、あらためて判ったことは、建物が壊れない巨大モノ特撮なんてクソゴミだ、ということです。
大魔神は必ず建物をぶち壊してくれます。なので、全高4.5m(サイズ的に近いのはブラッドサッカーやエクルビスだな♪)しかないのに迫力が伝わります。いや、むしろこのサイズ設定だからこそのリアルな迫力なのかな。
役者さんたちの演技シーンと大魔神の動きとの合成が見事。例えば大魔神が門をぶち壊すと、その向こうに狼狽えた侍たちが右往左往。櫓から銃や槍を構える連中の横を大魔神の顔が通り……止まり……ゆっくりと……「こっち見んな!」状態♪ 特典映像のインタビューによると、かなり面倒な手法で丁寧に作られたそうで。
だから『ガメラ』の特撮を微妙に感じたんだな、と再認識できました。あっちは半分の作品で建物が壊れないからね。怪獣と人との合成は投影スクリーン前での役者さんの演技が主だし。
年に一回の『ガメラ』より年に三本の『大魔神』のほうが丁寧って……ねぇ?
豆知識として。
音楽を担当されたのは伊福部昭さん。言わずと知れたゴジラの人です。おかげでの超大迫力♪
一作目で落ち延びた若君の幼少時代役と、三作目で主人公の少年役だった子役さんは、同じ年にTV『マグマ大使』のガムを演じられています。