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※ 銀行強盗のシーンを振り返る。
ショットガンを持って銀行から出てきた一人目に一発。男は倒れる。
続いて出てきた二人目・革ジャン男に一発。弾は外れ。
革ジャン男は、そのまま待たせてあった車に飛び乗り、ドライバーは車をスタート。向かってくる車に向けて、二発。結果、横転した車のフロントグラスに二つの銃痕があり、ドライバーは動かない
(一部に誤解がありますが、ハリーはエンジンを撃ってはいません。いくら .44Magnum でも車のエンジンをぶち抜くのは無理です。警察官の使う弾ですから弾頭は柔らかいハロー・ポイントでしょうし)。
フロントグラスのシーンと前後しますが、横転した車から逃げ出す革ジャン男に一発。沈黙。
このあと、倒れている一人目に近づいて例の決め台詞となります。つまり、ここまででハリーが撃ったのは五発。一発残したまま、一人目に銃を突きつけて「さあ、どうする?」と迫るわけです。
男は降参。ショットガンを没収して背を向けるハリーに「どうせハッタリだろ」と憎まれ口。
それに対してハリーは、あらためて銃を向けて引き金を引く。カチン。
ビビらされて「こン畜生!」(英語では、マジであの汚い台詞です)と強盗が怒るという展開。
※ なぜ五発しか撃っていないのに、六発目が空だったのか?
その答は、口をモグモグしながらホットドッグ屋の外に出たハリーの様子で判ります。ハリーは銀行へ向かいながら、銃を握る右手でハンマーをコックしています(英語版では、ご丁寧にコッキング音が入っています)。つまり、ハリーは余裕があるときはシングル・アクションで撃つ習慣を持っている。反動の強い銃を使いつつ命中率を上げるためでしょう。
このことは、終盤、スコルピオに銃を突きつけて決め台詞を言ったシーンでも確認できます。ハンマーは、ちゃんと起きています。
ここは多くのかたが、おっしゃっているとおりです。ハンマーをコックして「どっちか選べ」。犯人が投降すればハンマーを静かに戻す。すると、次にトリガーを引いたとき、発射位置に来るのは六発目ではなく一発目です。つまり発射済みの空薬莢。弾が出るはずありません(銀行のシーンでは、空撃ち直前にハンマーを起こします。つまり、背を向けたときには、ハンマーを戻していた)。
※ 銀行のシーンでは空だったという、もう一つの説。
このシーン。ハリーは五発しか撃っていないが、それでも決め台詞のときは、銃が空だった。という意見が見受けられます。
これは実のところ、銃器に関する無知から来た誤解なのですが、いちおう論理的に否定しておきましょう。
どういうことかというと。
そもそもリボルバーは一発少なく装填するのが常識。六連発銃なら五発だけにしておくのが正しい使いかた。
という迷信ね。
これ、十九世紀、西部開拓時代なら正しかったかもしれない常識なのです。つまり、シングル・アクションのリボルバーでは、発射位置は空にしておく。でないと、暴発してしまうことがあるから。
これはシングル・アクションのリボルバーに特有の、欠陥と言ってもいい構造からくるもので、予防策として、一発は空けておくというものです。
当然、二十世紀以降でも、旧式銃だけでなく、その同型レプリカ銃、コピー銃は該当します。スターム・ルガー社(以下「SR社」)のヒット作品「ブラックホーク」が、この構造によって痛い目(暴発で怪我したユーザーに訴えられて敗訴した)に遭い、それ以後のSR製銃には銃身に「使う前に説明書をきちんと読め」という文言が刻印されるようになったのは有名なお話。もっとも、ブラックホーク自体、訴訟をきっかけに改良されて今では六発フル装填しても暴発しない構造になってますけどね。
でー、誤解している人は、↑のことを引き合いにして、ハリーも五発装填していたとおっしゃるのですよ。
いや、ハリーの使っているS&W製M29は、リボルバーではあってもダブル・アクションですから。しかもS&Wのダブル・アクションは世界屈指の傑作設計であり、複数の安全機構により構造上、暴発はありえないのです。だから仕事で持ち歩くポリスも六発装填があたりまえでした。
第一、五発しか装填しないのなら、終盤のスコルピオとの決戦で六発目を撃ったことと矛盾しますよ。
ということで、この説は却下されるべきものです。
※ では、なぜ「五発か六発か」論争になったのか。
いよいよ本題です。
今回のノーカット放送で確認しましたところ、日本語音声では五発の銃声が確認できます。映像も五発分の射撃シーンがあります。
ところがぎっちょん、英語トラックに切り替えますと、突進してくる車にハリーが二発撃ち、それから車内、ドライバーの肩越しにハリーを見るカメラ視点へと切り替わる瞬間に一発、銃声があるのです。ハリーが……いえ、誰かが撃ったカットはありません。硝煙すらありません。ただ音だけが存在する。
この音をハリーのものとしてカウントすると「ハリーは六発撃った」ことになります。
ハリーが強盗にハッタリをかました、とする根拠は、この“謎の一発”です。
あちこちのサイトさん、ブログさんを拝見したところによりますと、実はDVD化されたときに、この一発分の効果音が新たに追加されたようなのです。理由は不明です。
一方、日本語版は、DVD化された時点ではすでに故人となられていた山田康雄さんの吹き替えですから、その音声トラックは効果音も含めてDVD化よりも前のものなのは確実です。
つまり、劇場公開された時点では「ハリーは五発しか撃っていない」というのが正しいと思われます(映画館で観ていないので、絶対とまでは言いきれませんが、ほぼ確実でしょう)。
無理に一発を追加するから話がややこしくなる。
※ それでも「銀行でのハリーは六発撃った」と頑固に言い張る人に。
全編をきちんと観ましょう。
“謎の一発”は、まあひとまず置いときまして。
ハリーが撃った場合は銃声と一緒に射撃シーンが必ずあります。銀行強盗の相手でも、ライフルでのスコルピオとの銃撃戦でも、身代金を届けたときの一発でも、スタジアムでも、そしてもちろんスコルピオとの決戦でも。
ハリー以外の銃撃で唯一、撃つシーンがなく銃声だけなのは、ハリーのライフルとの銃撃戦の後、スコルピオが屋上から逃走したときです。これは、あとのシーンでスコルピオが警官一人を射殺したものだと、台詞で説明があります。
つまり、“謎の一発”以外は、すべて誰が撃ったかが判るようになっている。この一発だけが所在なく不自然に浮いているのですよ。
これ以上、語る必要ありますか?
※ 念のため、状況証拠でも固めておく(笑)。
SFPD のハリー・キャラハン刑事は、はみ出し者であり、乱暴者とすら言われています。地方検事は「警察活動としては極めて異例(very unusual)」と表現していましたっけ。
ですが、荒事が日常であればあるほど、ハリーがハッタリやバクチで生き延びているとは思えない。むしろ慎重で用意周到、用心深い人間であると考えるほうが自然でしょう。
実際、身代金を届ける役目を命じられたとき、上から「犯人との約束だから、ハリー一人で行け」と言われたにもかかわらず、独断で相棒のチコを援護につけたり、足首にナイフを忍ばせたりと、犯人の行動を先読みしていました。ただの脳筋では、こうはいきません。
そんな頭の回る百戦錬磨の刑事が、自分の銃をカラにしたまま、つまりは丸腰のまま凶悪犯に接近するでしょうか? するワケがない。もし、したら設定が破綻していますよ。ぶっちゃけ、監督や脚本家の頭がおかしいと言っていいレベル。
ありえません。
ハリーは、いつも一発残した状態でのみ、あの決め台詞を犯人にぶつけるんですよ。性格的にどうかは、ともかくね(苦笑)。
ということで、ハリーが五発しか撃っていないのは、もはや論ずる必要もないほどに確定しています。
“謎の一発”については、あれですね。ジブリの“赤問題”と似たような出来事なのかもしれません。誰かが気を利かせたつもりで、勝手に余計なことをした。で、会社として手詰まりになって、知らぬ存ぜぬで通すことにした。そんなところなんじゃないでしょうか。
残念ながら、DVD化以後、英語音声はすべて“謎の一発”込みの六発になってしまっているそうで。余計なことをやらかした誰かさんは、原音に手を加えてしまったのかもしれませんね……。今となっては山田康雄さんによる吹き替え日本語トラックは貴重です。
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長門は大戦よりずっと前の建造なので別として。
大和型二隻の就航は戦時下だったため、それを維持すること、ましてや出撃させたという事実は、当時の海軍上層部が思考停止していた象徴とも言っていいかと思います。なにせ、梵鐘やら家庭の鍋釜まで供出させていたほどの金属不足に陥っていく時代なのですから(この頃は、発行される硬貨が陶製だった)。実際、大和は敵機群の、いい餌食とされてしまったわけです。
松本零士さんは「戦場まんがシリーズ」にて「大和を作らせた連中は戦車兵に土下座して詫びるべきだ」とまで言っておられます(当時の陸軍戦車は資材不足が祟ったこともあって、紙の装甲だったそうな)。極論ではあるでしょうが、大和・武蔵に供する資材を陸軍に回せていたなら、戦車も少しはマシなものになったかも、という推論は成り立つでしょうね。
ただ、陸軍と海軍は決して仲良しではなかったので、現実には無理だったとも思いますけどね。航空機、艦船と、世界に通用する兵器を建造した大日本帝国が、ついにまともな戦車を作らなかったのは、上層部の思想も大きく影響していたのが真相なのでしょう。たぶん。
軍内部の連携の悪さ、あるいはチグハグさは大日本帝国軍の特徴で。
これも松本零士さんの「戦場まんがシリーズ」からの情報ですが、陸軍機と海軍機では、スロットルの操作方法が逆だったそうで。
陸海の違いだけでなく、陸軍のみで見ても、三八式小銃と九九式小銃で口径が違ったという有名な話があります。「戦場まんがシリーズ」には「隣にいる戦友の弾も貰えんのか」と嘆く台詞がありました。十四年式自動拳銃が制式となっていた当時、すでにかなりの旧式だった二十六年式拳銃も終戦まで使用されたそうですし(無論、使う弾は両者で別物)。
当時、日本同様に決して国力が豊かと言えない独逸軍はもちろんのこと、国力で圧倒していた米軍ですら口径の統一くらいはしてました。米軍なんて、ガバメントが不足すると、量産の容易なリボルバーをガバと同じ .45口径で作らせて補ったほどです(M1917 のことね。これ、コルトとS&W両方に統一規格で発注したのだよ)。
独逸もなのですが、当時の日本は良い物を作る技術だけはありました。拳銃、小銃、航空機、艦船……等々。戦車は独逸と違い、ダメダメでしたが。
拳銃なら南部式、南部小型、十四年式。小銃なら三八式を始めとする、いわゆる「有坂銃」群。これらは終戦を受けて大量に U.S.A. に持ってかれて、今ではあちらのコレクターが愛好しています(まあ、国内に残ってたら、ほとんどが溶解処理されてしまったはずですから、かえって幸いだったかもしれません)。
ちなみに、二式小銃(別名「二式テラ」)は、そのユニークで便利な二分割構造が人気で、スポーター・ライフルに改造して使う例が多かったそうです(映画『ダーティハリー』でスコルピオが狙撃に使ったヤツが、まさにそれ)。
ちなみにちなみに、こういった「アリサカ・ライフル」をハンティングなどに使う際、通常は北米に流通する弾用に口径を改造(「リ・チェンバリング」とか言うらしい)して使うのですが、前にも言ったとおり、別に U.S.A. 市民の皆がガンマニアではないので、無知な所有者が口径無改造のまま流通弾を使う実例が、よくあったそうな。当然、口径が違うのでトラブルとなる。特に適性サイズより大きな弾を入れると……。ところが、その実例にて有坂ライフルは壊れることなく、射手が異常な反動を感じただけで済んだ。狭い銃身内を無理矢理通ったための強い反動だったのだろう。さすが日本の鍛造技術だ。……という話が、かつて『月刊Gun』誌に載っていました。
単品として見ると、どれも魅力溢れる製品ということです。
海軍機「ゼロ」の魅力を語る層は日本、海外に枚挙のいとまもなく。
また、陸軍機も負けてはおらず。特に四式戦・疾風は、敵からも高く評価されたそうで。
零式を開発した三菱は、今でも日本の物作りを担う大企業。
疾風を作った中島が分割されて生まれたのが富士重工やプリンス自動車というのも、よく知られた話。
敵として闘いながらも、大和艦を褒め讃えた米軍人もいたそうで。
独逸の銃器や戦車と同様。
戦時中に作り出された日本の兵器も、純粋に工業製品として高い評価を受けてきた。
戦争の勝ち負けについて、あーだこーだと言うつもりはありませんが。
少なくとも、当時のお偉いさんがたが、その高性能を発揮させるだけの知恵を、あるいはTPOに応じて柔軟に兵器開発をさせる知恵を持っていなかった、というのは、まぎれもない事実なのではないかと思います。
と、同時に、日本も独逸も、戦時下において歩ではなく飛車角というオーバー・スペックな物を量産する愚を犯したというのも、また事実(これも上層部の愚かさのせいだね)。こういった面を、富野監督は『機動戦士ガンダム』において、ゲルググやリックドムとジムとを対比させて描いておられましたね(ジオンを独逸軍、連邦を米軍として見立てた、というのは監督ご自身で公言しておられます)。
結果。
平和な時代の視点で見ると。
旧日本軍の兵器たちは、どれも魅力的なのです。
そして、これらを魅力的に眺められるのは、幸せなことだとも思います。
彼ら彼女らが戦場に赴くことは、すなわち不幸なのだと思います。
大和には「ホテルでもいいじゃない」と言ってあげたいですね。
三笠と同様に今、大和が例えば呉の港に“お飾り”になっていたらなぁ、と思うと、沈められたのは残念でなりませんね。