「み…見つけたぞ!」
砂漠に穿たれた細い縦穴の中で、口髭をたくわえた中年男性が叫んだ。
顔に浮かんだ汗をぬぐいもせずに、目を輝かせている。
「やりましたね、先生!」
傍らにいた若者が言う。
「ああ、沼沢君。これでまとまった額の経費を出してもらえる。発掘は一気に進むぞ」
そして髭の男は、横の若者と、上から穴を覗き込んでいる人たちにも言った。
「これもみんなのおかげだ。ありがとう」
そう嬉しそうに笑う足許には、古びた石の表面が見えていた。
悠久の刻を経て人々の眼前に、その一端を現わした巨大遺跡。
だが、その真の意味を知る者はいなかったのである。
第2話
女王陛下降臨 (前)
作 妖之佑
「出せーっ、出せってーのーっ!」
砂にまみれた薄汚いコンクリートの牢屋から、これまた砂にまみれた東洋人が大声で叫んでいた。
クシャクシャにからまった黒髪、日に焼けた小麦色の肌、カーキー色のフィールド・ジャケットとコンバット・ブーツ姿の娘である。
「何の説明もなしにこんなトコに放り込むなんて、人権侵害よォ! 日本大使館を通して抗議してやるからァ!」
拘束理由の説明はおろか、現地の弁護士すら呼んでもらえない状況で、どうやって日本大使館を動かすというのか。
そういう複雑なことを考える余裕は、頭に血の上ったさくらには、まったくなかった。だいいち、日本語で怒鳴っている自分に気がつかないぐらいなのだから。
「出せーっ、出せーっ、だぁせぇーーーーっ!!」
怒りに任せてコンバット・ブーツでガンガンと鉄格子を蹴りはじめる。鉄板入りの爪先だけに、かなりの音である。
「やかましネ! 眠れないアルよ! 静かにするヨロシ!!」
突然、向かいの牢屋から苦情が飛んできた。その妙チクリンな日本語に、さくらの目が向けられる。
通路をはさんだ鉄格子越しに、目と目が合った。
「あ…………」
その人物の、床まで届きそうなドジョウ髭と眉毛、そして古めかしい中国服には見覚えがあった。
「珍(ちん)教授!?」「砂漠的手下!」
故郷を遠く遠く離れた砂の国の留置所で、しばし見つめ合う東洋人二人。
「こんな所で奇遇ねェ♪」「イヤ、ホントホント♪」
今までの淋しさ、心細さの反動からか、嬉しそうに笑い合う二人。
「――じゃないアル!」
先に正気に戻ったのは、珍であった。
「チミ、こんなトコで何してるアルか?」
「あんたこそ、何してんのよ?」
「そ…それはアルね……」
すかさず切り返され、返答に詰まる教授。
「人にものを訊く時は、まず自分から。これが礼節ってモンでしょー?」
「た…たしかに……じゃあ、ココだけの話アルよ。いいアルね?」
コクンとうなずくさくら。
「む…無銭飲食アル」
「ぶーっ」
さくらが吹き出す。そして――
「あーはははっ! 何? 喰い逃げでパクられたのォ? バッカじゃないの! くーっくっくっくっ! お腹痛ァい…………」
「アハハでないアル!」
顔を真っ赤にして怒りをあらわにする珍。
「ソレもコレも、みなチミのせいアル! 砂漠的手下、ミス・さくら嬢」
「なんでよ?」
心外な、という顔を向けるさくら。
「チミが徹底的にワタシの研究所ブチ壊してくれたからアルね! おかげでワタシ、たた独り、無一文で砂漠渡てきたアル」
「ヘー、歳のワリにやるじゃないの、あんた」
「そ…それほどでもあるアル」
得意げにそっくりかえる。そして、すぐに気づく。
「……お世辞で誤魔化す、ずるいアルね」
――ちっ。
さくらは舌打ちする。
「サア、今度はチミの番アル。何して捕またアルか? 嘘偽りなく話すヨロシ」
とはいうものの、正直、さくらには自分が逮捕された理由が思い当たらなかったのである。そのことを珍に告げた。
「チミの重装備のセイと違うアルか? テロリストに間違えられたトカ」
「そんなはずないわ。シロクマくぅんの偽装は完璧だもん。だいいちテロ容疑だったら、喰い逃げのあんたとおんなじローヤってのも変でしょ?」
「喰い逃げ言うなアル」
一瞬、キッとなる珍の目。
「装備といえば、チミの装備はどうなたアルか?」
「ぜーんぶ没収されたわよ」
わずかな希望を含んだ珍の質問も、あっさりと跳ね返される。
「アイヤー! 拳銃もバイクもアルか?」
「ええ。あいつら、シロクマくぅんまで、装備扱いしちゃってサ」
なすすべなしといった表情で、さくらは溜め息をついた。
「おい、もういいだろ? どれだけ喰えば気がすむんだ?」
あきれ顔の警察官が言った。その目は檻の中のシロクマに向けられている。
当のシロクマは、床に広げたレストランのチラシを鼻歌混じりに眺め、やがて一つの品を指差した。
「フォっ…フォアグラのソテー、トリュフ・ソース掛け、キャビア添え? ……いいかげんにしろ! たかがシロクマの分際でっ!!」
その怒鳴り声を受け、シロクマの目が悲しそうになる。
そして、うなだれたまま壁に近寄り――
がつんっ、がつんっ、がつんっ、がつんっ…………。
「おいっ、やめろっ!」
壁に頭突きを始めたシロクマを焦った顔でなだめにかかる警官。
「判った! 判ったから、やめてくれ。取り寄せてやるって」
すぐにシロクマは頭突きを中止する。
「お大尽ペット・ショップの商品となりゃあ、傷つけるわけにはいかないからなぁ……。早く引取人が来てくれないと、ウチの署が破産しちまうぜ…………」
ぶつぶつ言いながら電話をかけに行く警官の背中を眺めながら、石頭のシロクマはニンマリと笑った。
「あ〜あ、せっかく豪華な買物楽しもーとしてたのになー。砂漠越えの後だから、思いっきり贅沢にって思ってたのにサ。これからって時に、警官がお店に駆け込んでくるんだもん。ドレスやバッグどころかハンカチ一枚買えなかったわよォ」
膝を抱えて呟くさくらの言葉に、ハッとなる教授。
「チミ、ひょとして、ワタシの渡した前金使たアルか?」
「そーよ。この街に着いてすぐ、レストランでフル・コースを食べたんだー。美味しかったなー♪」
じゅる…………。
珍の口から涎が垂れた。
「ワ…ワタシ、カチカチのパン一個だけアルよ。なのに高級料理のチミと同じ扱いなんて、あんまりアル! この薄情モン! 血も涙もナイ冷血女!!」
突然、珍が喚きだした。食べ物がらみなためか、その眼光が異常である。
「な…なによォ。あたしが何食べたって、関係ないでしょ? 前金だって、あんたが勝手に出したもんじゃないのサ!」
あまりの迫力に、たじたじとなるさくら。
「そゆコトと違うアル。タラフク食べたチミが、ワタシと同じ、代金不払いで捕またのが悔しいアル」
「へ?」
意味が判らず、珍の次の言葉を待つ。
「あの札束、ワタシの作た消えるインクで印刷したものアル。外気の変化で消えはじめる代物ネ」
「なんですと?」
「大物取引で相手に大損害与えるタメのものネ。例えば、暑い屋外で受け渡しスルね。相手、札束確認して安心スルね。で、クーラー効いた部屋で、も一度札束取り出すと、印刷消えてしまうネ。相手、大騒ぎ。でもワタシ、その時、機上の人ネ」
「に……せ…札なの?」
あっけに取られるさくら。
「タダの偽札違うネ。精巧な偽札、相手に損害与えないネ。そのまま次の取引に使われてしまうアルから」
とうとうと語る珍教授。ドジョウ髭が踊る。
「デモ、ワタシの消えるインクの偽札なら、確実に相手に損害与えられるネ。どうアルか? 見事な発明ダロ?」
「ざけんじゃないわよ!」
今度は、さくらが逆上した。
「あんた、偽札であたしを雇おーとしたってーの!? このさくらを甘く見ないで!」
「何怒てるアルか? 世界中に流通してる米ドルの一○パーセントから二○パーセントは偽札ネ。某国なんて、国グルミで偽ドル印刷してるアル。ワタシがチョッピリ作ても、罪になんてならないネ」
「開きなおんないでよォ……」
急に力が抜けてしまった。相手に倫理観を求めても無駄なことに気づいたからだ。
「もーいい。あたし、こっから出てくから」
そう言うと、さくらはコンバット・ブーツの踵を外しにかかった。
「何するアルか?」
そう訊く珍を無視して、外した左の踵を鉄格子の上側の付け根に貼り付けると、そこからワイヤーを伸ばし、隅にまで下がる。
「あんたも下がんなさい。それ以上不細工な顔には、なりたくないでしょ?」
「しっ、失礼アル――」
が、教授は、さくらの意図に気づき、言葉を呑み込んだ。慌てて鉄格子から離れる。
キュッ。
通路に背を向けたさくらが、ワイヤーの端をベルトのバックルに差し込むと同時に、爆発が起きた。
ガコンッ。
さくらの蹴りで、今度は鉄格子は床に倒れた。
「じゃね。もう会うこともないでしょ。監獄で楽しく暮らしてネ♪」
珍にそうウィンクして、外した右足の踵を右手に握ったさくらは駆けだした。
――他のは諦めるとしても、シロクマくぅんとバイクだけは取り返さなきゃ……。
そう考えながら走るさくらの目の前に、人影が現われた。
「どきなさい! 怪我したくないでしょ!?」
右手に握った踵を相手に向ける。そこに開いた小さな穴、すなわち銃口が相手の脚に照準を合わせている。
「待ってください! 私はここの人間ではありません。日本人です」
「え?」
珍とは違う流暢な日本語に、思わず足を止めたさくら。
その目の前に、口髭をたくわえた日本人紳士が、立っていたのである。
「この国の新発見のピラミッドとスフィンクス? ――ふぅ、ただの水でも、シャワーってありがたいわね」
訊き返しながら、さくらは軽く頭を振った。半乾きになっている黒髪が、その動作につられて大きく左右に振れた。
「ご存じありませんか?」
場所を留置所の通路から警察署の会議室に移し、さくらと、髭の日本人紳士とは話を再開していた。
「知ってます。新聞にも大きく取り上げられてましたから。サイズはエジプトのギザのやつよりも一回り小さいけど、年代は遥かに古い。早くも世界遺産に登録って動きもあって、盛り上がってる。ギザのを作るためのお試しだったんじゃないかって説も出てましたっけ」
「いや、あの説は飛躍しすぎです。むしろ、今回発見したものを、後の世にギザのピラミッド群を建造する際の参考にした、あるいは真似をしたというのが、私の考えです」
そう語る考古学者・芳邑(よしむら)博士は、苦々しい表情をしている。
「ご自分の発見、喜んでおられないようですね」
さくらの言葉に、一つうなずく。
「最初は有頂天になっていました。ですが……」
「?」
さくらは無言で先を促す。
「調査が進むにつれ、私たちはとんでもないものを掘り出してしまったのだと、判ってきたのです」
「とんでもないものって?」
だが、さくらの質問を遮り、芳邑は立ち上がった。
「時間がありません。すぐに発掘現場に行かなくては」
見下ろされたさくらは、戸惑っていた。
「で…でも、なんであたしに? あたしって――」
「じゃぱねすく普及委員会・JWCの職員さんでしょう?」
芳邑博士は微笑む。
「でも、私はあちこちの国で発掘許可の交渉をしていますからね。裏の情報に接する機会もある。JWCのことも、それなりに知っているのです」
そう言う目には、真摯な光が宿っていた。
「あなたの力が必要なのです。D.E.の」
しばらく黙っていたさくらだったが、やがて肩をすくめた。
「お断わりするわけにはいかないみたいですね。それに、このままだと監獄行きになりそうだし」
そう言って立ち上がる。
「感謝します!」
深々と下げる頭に対して、さくらは訊いた。
「あたしの相棒とバイクはどこに?」
「没収されたあなたのものは全部、私のトラックに積み込んであります。勝手をしましたが、急ぐ必要があるものですから」
「それはいいけど、よく警察が認めたものね。あたしの釈放」
他人事のように言う。
「この国の政府の許可を取っています」
さくらの口が開きっぱなしになる。
「おおごと…………みたいですね?」
ゆっくりと博士はうなずいた。
「で、なんであんたまでいるワケ?」
発掘現場に向かう幌付きトラックの三人がけシートで、さくらは、もう二度と会わないはずだった顔に訊いた。
「ミスター・芳邑氏、ワタシの能力を高く高く評価してくれてるネ。だから、ワタシも同行するネ」
貰ったカップ・ラーメンを大切そうにすすりながら珍教授は言う。見事なことにスープ一滴こぼさない。
――走ってるトラックの中で器用な奴。
「珍教授の実力は、一部の世界では有名なのですよ。使い方に問題はありますが」
珍の特技に感心するさくらに、隣でハンドルを握る芳邑が遠慮気味に言った。
「あなたの知識だけじゃダメってことですか?」
「はい」
堅い表情で答える芳邑。多少の悔しさが滲んでいる。
「とにかく、続きを話してくれます?」
「ワタシも聞きたいネ」
ナルト巻きを前歯でくわえた珍が相槌を打つ。
だが、返事の代わりに芳邑はブレーキを踏んだ。
「何?」
「人が倒れてるアルな」
珍の言葉のとおり、前方一○○メートルほどの所に横たわるものがあった。頭から被った白い布で背格好までは判らないが、人の体だ。
「助けなくては」
サイド・ブレーキを引いた博士は、座席後ろの荷物スペースからステンレスの水筒を掴み出すと、急いで砂地に降りた。
「絵に描いたような展開だわ」
「デモ、困てる人助けるの当然ネ。特に砂漠では」
「あんたが言うか? ――まあ、たしかにそーなんだけど」
さくらは車を降りた。倒れている人物に駆け寄る芳邑の後を追う。
「うわぁっ!」
先行した芳邑の悲鳴である。
「え!?」
駆け寄ったさくらだが、思わず凍りついてしまった。
水筒を持ったまま腰を抜かしている芳邑博士。そして、そんな博士に両手を伸ばして迫りつつある人物。
いや。
人といえるのか?
伸ばした手の指先には吸盤らしきものがある。
頭にかけた布からのぞく顔は、やや粘液質であり、目玉だけが異様に大きい。
「カ…エル?」
思わずさくらの口をついて出た単語。それが相手の外見を的確に表現していた。
「ぐぇっ、ぐぇっ、ぐぇっ。待ちかねたぞなもし。ドクトル・芳邑」
カエル人間が、口を開く。心なしか、息苦しそうだ。
「さんざん待たせてくれたぞなもし。おかげで皮膚が乾いてしまったぞなもし。ぐぇっ。礼はさせてもらうぞなもし」
「何言ってんの? あんたが勝手に待ってたんじゃないの?」
即座につっこむさくら。
「なんぞなもし?」
カエル人間の視線が芳邑からさくらに移る。
「博士に何の用? 事と次第によっちゃ、あたしが相手したげるわ」
正直言えば気持ち悪いのだが、この際、そんなことは言っていられそうにない。D.E.ならではの気丈さで宣言した。
「ぐぇっ」
ひと声笑う。
「女に答える必要はないぞなもし。用があるのは、ドクトルだけぞなもし」
そう答えると、カエル人間は芳邑に向きなおった。
「くっ、来るなぁ!」
異形の相手に水筒を投げつける博士。その声にさくらが反応する。
「このォっ。あたしを無視するの!?」
腰のホルスターのグロック19を抜く。
ぺちゃっ。
「へ?」
嫌な音とともに右手が淋しくなった。
「げっ!」
見ると、握っていたはずのグロックがない。
「あっ、ドロボ!!」
顔を戻すと、さくらの拳銃をからめ取ったカエル人間の舌が、自分の口に戻るところであった。
「なんて奴……」
身をかがめ、気持ち悪そうに右手を砂にこすりつけながら、さくらは唸った。
そうする間に、カエル人間はくわえた銃を手に掴むと、芳邑に銃口を向ける。
「これで終わりぞなもし」
「ちぃっ!」
イチかバチかでダッシュしようとするさくら。
だが次の瞬間。
「ぐぇぇぇっ、苦しいぞなもし!」
いきなりカエル人間が叫んだ。
「?」
思わず、さくらの動きが止まる。
「や…やはり、真昼の砂漠で二時間も伏せていたのは失敗だったぞなもし。み…水が欲しいぞなもし」
――な〜る。カエルもどきの身にはねぇ。けど、アホちゃう、こいつってば。
あきれるしかなかった。
「下がるアル! 砂漠的手下!」
その怒鳴り声に、反射的に飛びのく。その眼前を走り抜けるトラック。
「珍教授!?」
トラックはそのまま芳邑の体をかすめ、苦しんでいるカエル人間にぶつかった。
粘りつくような嫌な音とともに、その体が宙を舞う。
「芳邑博士!?」
砂に突き刺さる敵をそのままに、さくらは芳邑に駆け寄った。怪我はないようだ。
「ああ……驚いた。でも助かりました」
「相手がアホだったおかげです。おまけとして、珍教授の機転も――って、そーいえばトラックは?」
顔を上げる。視線の先には、砂に頭から突っ込んだカエル人間の二本脚が、Vの字になっている。
さらにその先に、砂煙を上げながら走り去るトラックが見えた。
「あ……………………」
「オーッホッホッホッ。これで自由の身アル。化け物轢いたコトで、ミスター・芳邑氏への恩義返したネ。このままどこかの街まで一直線アル♪」
自分なりの勝手な理屈をつけ、珍は楽しそうにハンドルを握っている。
と。
ズバッ!
「ヒイィッ!」
突然、後部窓から巨大な爪が飛び出してきた。そして鋭い切っ先を運転席の珍の鈎鼻に突き立てる。
「ま…まだ、ヤツらの仲間いたアルか……」
顔を動かせない珍のしわだらけの額に冷や汗が浮かんできた。
「とにかく歩きましょう。ここにいても仕方ないわ」
「そうですね。幸い、発掘現場までは無理な距離でもない」
さくらと芳邑は砂の中を歩きはじめた。
「ところで、さっきのあれ、何?」
思い出したくもないが、訊かないわけにもいかなかった。
「確証はありませんが――」
芳邑博士は少し口ごもる。
「が?」
促すさくら。
「おそらく発掘中の遺跡に関わりのある者たちの仲間だと思います」
「え?」
さくらは唖然とする。
「いったい何が起こってるんです? 遺跡がらみで」
「それは――」
その時である。さくらたちに向かって、トラックが走ってきたのである。
「へ?」
間違いなく、珍が乗り逃げしたトラックだった。
「どゆこと?」「さあ?」
お互いに顔を見合わせる二人。
「とにかく、取り返さなきゃ……あーったくゥ、気色悪いィ」
さっきカエル人間にくわえられたグロックを、仕方なさそうに構える。
そんなさくらの前に迫るトラック。
「一発で決めてあげるから」
徐々に減速するトラックは、さくらの目の前で停止した。
「え? シ…シロクマくぅん?」
フロント・ガラスの向こうに見えるのは、ハンドルを握ったシロクマの顔であった。
「ちょっと、どーゆーことよ? 珍教授は?」
走り寄り、ドアを開けるさくら。
が、さくらの質問に答えることもなく、シロクマは面倒臭そうに運転席から降り、そのまま車の後ろに回ると、幌付きの荷台に、よっこらせっと上がり込んでしまった。
「なによォ、シロクマくぅんってばァ」
「ともかく、車が戻ったのですから、急ぎましょう。発掘現場が気になります」
口を尖らすさくらの前を横切り、芳邑は運転席に乗り込んだ。
「……珍の爺ィ、どこ行ったんだろ?」
そう思いながらも、助手席に身を滑り込ませるさくら。それを待っていた芳邑は、おもむろに車を動かした。
「い…痛いアル。熱いアル。砂が目に入るアル。お助けアル……」
荷台下部、スペア・タイヤの隣にロープで括りつけられた珍教授の声には、二人とも気がつかなかったのである。
トラックが発掘現場に着いた時には、すでに日が暮れていた。
「何? 突貫工事ってワケ? 日本流は地元の衆に嫌われますよ、博士」
砂漠の中にこうこうと光輝く数多くの照明をフロント・ガラス越しに見やったさくらがチクリと言う。
「そんなはずは……作業は中止させたはずです」
首を捻りながら車を降りる芳邑。さくらも後に続く。
「おいっ、沼沢君。何をしているんだ?」
「せ、先生!」
作業員に指示を出していた若者が名を呼ばれ、困ったような表情を見せる。
「発掘は一時中止だと言っておいただろう。忘れたのかね?」
「いえ、忘れた訳では……ただ」
「ただ? ただ、何だというんだ!?」
芳邑の語気が幾分、荒くなってきている。対する沼沢は押し黙ったままだ。
「何とか言いたまえ!」
「僕がご説明しましょう」
「?」
脇からの不意の声に、芳邑と、そしてさくらも顔を向けた。
背の高い甘いマスクの青年が立っていた。砂漠にはそぐわないシワ一つないスーツ姿は、場違いな高級ホストを思わせる。
「あなたですか、金染(かねぞめ)さん。道理で……」
吐き捨てるような博士の口調である。
「これは、ご挨拶ですね、芳邑博士。――しかし僕がいてよかった。知らなければ、あなたの独断のせいで、とんだ損失を出していたところですから」
言いながら、もったいぶった仕草でポケットからつまみ出したタバコをくわえ、金色のライターで火をつける。その際、わざと腕を伸ばし、腕の金時計を袖からのぞかせた。
「フーッ。――二度と勝手はなさらないでいただきたいものですね」
勢いよく煙を吐き出す。その煙がさくらの顔にまでかかった。
「誰?」
不快を隠すこともなく、ぶっきらぼうな声を上げた。
「おや? そちらは?」
タバコをくゆらせたまま腕組みする金染。意識してなのか、少し斜めに構える。
――わー、キザ。
「え…ええ、私の姪の、さくらです。発掘現場を見たいと言うので……」
とっさの誤魔化しを言う。
「ほう? 考古学にご興味が?」
顔をさくらに寄せ、ニカッと笑う。
「あたしのは単なる好奇心よ。で、あんた誰?」
金染の一つひとつの動作がカンに障ることもあって、あえて雑な言葉を選んださくらである。
「ここの発掘のスポンサー、丸得商事の金染さんだよ。現場の視察をなさっているんだ。言葉を慎みなさい」
芳邑が説明した。
――博士、上手いわ♪
「へー、お偉いさんなんだ。叔父さんよりも偉いの?」
芳邑の芝居に感心しながら、さくらも調子を合わせる。
「ああ、そうだよ。――ところで、金染さん」
言いながら、相手を大型テントの脇にいざなう博士。
残されたさくらは、一○メートルほど離れてしまった二人の唇に視線をやる。
「どういうことですか? これは」
「別に。本社の意志を実行しているだけです」
唇の動きが、さくらの頭の中で言葉になる。
「事態はお伝えしたはずです。これ以上発掘を続けるのは危険だ」
「あのお話は、あくまで博士の推測でしょう。確固たる証拠もなく、我が社が損害をこうむることは許されません」
「し…しかし」
「議論の余地はありません。予定どおりに発掘を終え、遺跡の一般公開にこぎつけないと、計画が狂ってしまいます。チケットの予約状況も順調なのですよ。間に合わないでは会社の信用にも関わります。その時、博士が損失を補填してくださるとでもおっしゃるのですか? 失礼ながら、それができるほどご裕福とは…………」
――見せ物…か。
金染の真意が判った時点で、さくらは目をそらした。
そのまま前に進み、大きく口を開いた巨大な穴を見下ろす。
強力な照明に照らし出された穴の底に、半ば姿を現わしかけた石造建造物が鎮座している。
「ホントにピラミッドとスフィンクスだわ。新聞やニュースで見るよか、迫力よねー」
スフィンクスも頭と肩のあたりまでしか見えてはいないが、有名なギザのスフィンクスとそっくりであった。いや、侵食されていない分こちらのほうが顔が良いともいえる。
「まったく……事の重大さが判っていない!」
ブツブツ言いながら、芳邑が近づいてくる。
「商売がらみでは大変ですね」
冷やかし気味に声をかけるさくら。
「話を聞いておられたのですか!?」
瞬間、芳邑の顔色が変わる。
「スポンサーって聞けば、だいたい判りますよ」
「あ……ああ、なるほど」
「でも、博士はここの政府を動かしたんでしょう? どうして中止できないんです?」
答えの予想はついていたが、それでもさくらは質問した。
「ええ。私の説…といいますか、警告を政府は信じてくれました。民族信仰上の下地があったからです。ですが資本の力はとても強い。けっきょくは、あなたへの依頼を黙認してくれるぐらいしか協力は得られないようです」
「やっぱねー。――で、民族信仰って?」
それに一つうなずく芳邑。
「この土地の人々独自の土着信仰です」
芳邑は空を仰いだ。月齢14の月が輝いている。
「太古にこの土地を切り開いた先祖は、あそこから来たというものです」
「あそこって……宇宙?」
勢い、さくらも空を見上げる。
「驚くことはありませんよ」
にっこりと笑う芳邑。
「同様の伝承は世界中の至る所にあります。――まあ、そのおかげで私の仮説も理解してもらえた」
「仮説? ……あっ、そーよ! まだ肝心なこと聞いてませんよォ。ここのピラミッドとスフィンクスが、いったい何なのかってコト。あたしをここに連れてきた目的も」
「そうでした」
思い出したとでもいうような芳邑の顔。
「あんな事があって、すっかり忘れてました」
照れ隠しなのかポケットを探る。すぐに棒のような物を二本取り出した。
「よかったら、やりますか?」
差し出された一本を、つい受け取ったさくら。
「サ…サラミ?」
サラミ・ソーセージであった。
「労働者の中には近隣国からの出稼ぎ組もいましてね。彼らと一緒の食卓では口にするわけにもいかないので、持ち歩いているのですよ」
言いながら封を切り、かぶりつく芳邑。
さくらもニッと笑う。
「判ります。あたしも無性にカツ丼とかチャーシュー麺とか食べたくなりますもん。――いただきます」
二人して露天掘りのへりに腰を下ろし、ソーセージを噛る。
「それで、この遺跡ってば?」
少しして、さくらは質問を再開した。
「言ってみれば“鍵”です」
「鍵? 何の?」
「復活の」
「復活?」
話が見えてこないさくらは、九官鳥のように言葉を繰り返すしかない。
「この土地を切り開いた者の、ですよ」
「どーゆーこと? まさか、ご先祖が墓から甦るなーんてんじゃないでしょーね? ホラー映画じゃないんだし……」
笑いながらも、一抹の不安を隠しきれないさくらである。
「当たらずとも遠からず、ですか」
「や…やめてよォ」
意味深な芳邑の言葉に、さくらの背筋が寒くなる。
「ホラーのほうが、ましかもしれません。鍵を開けて出てくるのは、銀の弾丸もニンニクも十字架も聖水も効かない厄介なものなのです。きっと」
ソーセージを平らげた芳邑は、手に残ったゴミをポケットに突っ込んだ。
「伝承にある宇宙から来た“先祖”ですが、先史文明のことだと、私は考えています」
「エ…SFゥ」
「茶化さないでください。――それで、その先史文明が、あのピラミッドを介して何かを封印した。そう考えています」
「でもさァ、それが物騒なものとは限らないんじゃない? もしかして、すっごいお宝――」
そんなさくらの言葉を遮るように、芳邑は首を横に振る。
「なら、すぐに別の誰かに持ち出されているはずです。時の反対勢力とか盗掘者たちに」
「あ、そか」
「当時の皆に共通する脅威。そうとしか思えない」
頭を抱え込む。
「でも、らしくないですね。考古学者って発掘・研究優先で、そーゆーの、気にしないんじゃなくって?」
「私は、少し知りすぎているのかもしれません。だから他の研究者のように脳天気になれないのでしょう」
自虐的に笑う。
「知りすぎてる? 何を?」
だが、それには答えず、芳邑は立ち上がった。
「今夜のところはお疲れでしょう。あなたのテントを用意させましたから、お休みください。手立ての詳細は明日、ということで」
そう言って歩きだした。
「あ、待って」
慌ててさくらは腰を上げ、後を追った。
やや大振りなテントの前に、見慣れたオリーヴ色のドニエプルMT-10が停められていた。
「あたしのバイク」
「あなたの荷物は全部テントの中に移してあります。もし足りないようでしたら、おっしゃってください。スタッフの中に手癖の悪い者がいないとも言いきれませんから。それと、簡単な食事も運んであります。――では、おやすみなさい」
それだけ言って立ち去ろうとする芳邑。
「博士」
そんな芳邑を呼び止めた。
「今のうちに訊いときたいんですけど」
「なんでしょう?」
「なぜ、あたしを選んだんです?」
フッと笑って、芳邑は何かを放ってよこした。
「おっと」
反射的に受け取るさくら。手のひらを見ると、五芒星の刻印のある丸い小石が月光に光っている。
「これって……」
見覚えがあるような気がした。
「お守りです。持っていてください。――では」
そう言い残し、今度こそ、芳邑は歩いていった。
「……ま、いっか。とにかくごはん食べて寝よ」
小石をフィールド・パンツのポケットに入れ、さくらはテントにもぐり込んだ。
「シロクマくぅん!」
中には、すでにシロクマが転がっていた。太鼓のような腹を見せてあおむけに。
「だらしないぞ。ってゆーか、そーとー苦しそーねー、シロクマくぅん」
答えの代わりにゲップが聞こえた。
「あんた、滅茶苦茶食べたんでしょ、警察で。釈放の時、なんかほっとしたって顔してたもんねー、あそこの人たち」
ふたたびゲップの音。
「もとが賎しいのよねー。それとォ、食べ慣れない贅沢品は、量をセーヴしとかないと胸焼けするものよ。ま、後の祭だけどネ。――これ食べる?」
差し入れてもらっている夜食のパンを、わざとらしく見せる。
ブルブルッと首を横に振ると、シロクマは、さくらに背を向けた。
「こりゃ、重傷だわ。じゃ、寝てなさい。あたしも、これ食べたら寝るから」
そう言って、さっさと食事をすませたさくらは、ランプの火を消した。
「おやすみ、シロクマくぅん」
ゲップが応えた。
肩をすくめると、さくらも横になる。
疲れが出たのか、すぐに意識が遠のいていった。
どのくらい経ったのだろうか?
物音を聞いたような気がして、さくらは目覚めた。
「……何?」
横のシロクマを見る。が、腹が上下するだけで身じろぎもしない。
テント・シートに目をやる。夜間工事のものだろう。照明が当たっている。
「ご苦労さまだわねー。じゃ、作業の音だったのか――」
寝なおそうと思った時、影が横切った。シートのすぐ向こうだ。
「!」
即座に跳ね起き、外に身を滑り出させるさくら。だが、影の主の姿はなかった。
「素早い奴」
ひと回りテントの周囲を確認してから、さくらは影の向かったと思われる方向に歩いてみた。途中、油断なくあたりを探りながら。
「あ、ここか」
発掘中の露天掘りまで出てしまったさくらの目には、汗を流して作業に勤しむ労働者たちの姿しか映らなかった。
けっきょく怪しい人物は特定できず、さくらはテントに戻ることにした。
「おや、さくらさん…だったね?」
そんなさくらに声がかけられた。照明の中に浮かび上がる派手な衣装は金染だ。作業の監視でもしていたのだろうか、小さな双眼鏡を持っている。
「どうしたの? 眠れないのかい?」
「別に。あなたには関係ないわ。じゃ」
そのまま立ち去ろうとするさくら。だが、金染が追いすがった。
「まあまあ、せっかくの夜に、こうして美男美女が揃ったんだから、もう少し話でもしていきなよ」
――はあ? 何言ってんの、このアホ。
口には出さずに思った。そしてかまわず歩く。
「待ちなよ。――そうだ。僕が遺跡の説明をしてあげよう。そして歴史のロマンを共に語ろうよ」
――無視無視。
無言で歩き続ける。この手合いには、相手をしないのが最善だからだ。
が、金染は駆け足でさくらを追い越すと、前に立ちふさがった。
「さくらさん。そう照れることはないよ」
「バカも休み休み言いなさい。誰が照れてるって?」
軽く切れたさくらが声を出す。
「き・み・が。いや〜、これって僕の才能かな?」
整髪料でギラギラ光る髪をかき上げる金染。自分に酔っているかのような恍惚とした表情である。
――マジアホだわ、こいつ。
さくらは横を通り抜けようとする。だが、相手もすぐに移動して道をふさぐ。
「どいて」
「判ってるって。嫌よ嫌よも好きのうちってね」
「あのね…………」
あきれかえってしまうさくらである。
「この僕に誘われたのを素直に喜ぼうよ」
「あたしってば、そーゆーの一番気に喰わないのよねー。自分が声をかけたら世界中の女が尻尾振ってついて来るって勘違いしてる奴」
さくらの語気が荒くなりはじめていた。
「勘違いじゃないよ。さあ、いいからこっちにおいで」
金染が、さくらの腕を掴み、引き寄せた。
「ウザイ!」
次の瞬間、金染の体は空中に弧を描き、砂の大地に激突した。
「いっ、いってぇじゃねーか! 何すんだ!?」
したたかに尻を叩きつけた金染が言葉使いを一転、乱暴に怒鳴る。
「進路妨害だけでも充分だってのに、腕を掴んだりするからよ。婦女暴行罪成立ね」
「このアマァ!」
怒りに痛みを忘れたのか、バネ仕掛けのおもちゃのように素早く飛びかかる金染。
が、その顔面を、さくらのコンバット・ブーツの靴底がどやしつけた。
「ぐはっ」
惨めに顔を砂に埋もれさす色男。
「そのへんにしとかないと、今度は腕か脚へし折るわよ。それとも、そのニヤケた顔を潰されたい?」
言い残して、さくらはその場を後にした。なんとも嫌な気分だ。
「あーンもー、早く戻って寝よ」
と、そんなさくらの耳に何かが聞こえてきた。かすかな声のようである。
――Uaaaa、Uuiiiii、Uaaaaaa…………。
「な…何よォ、これってェ……?」
どこからなのか判らないが、得体の知れない声である。歌声とも鳴き声とも、はたまた呻き声ともとれる不気味な音声だ。
――Aaaaaaa、Ooooouuu、Uaiiiii…………。
「ヤダッ、気持ち悪ゥいィ〜〜〜〜!」
さっきとは打って変わって、普通の脅えた女の子になってしまったさくらは、両耳を押さえたままテントに逃げ込んだ。
「シッ、シロクマくぅぅ〜ん!」
必死で相棒にしがみつく。だが、肝心のシロクマはゲップの音とともに、うんうんと唸っているだけであった。
そのまま、さくらはガタガタと震え続けていた。