佛壇について


 
目次へ

 
 
 今回、勉強して判ったことですが。
 佛壇は故人・御先祖の部屋や家ではない。
 佛壇とは、各家庭に備える、最も小さな寺院である。
 ということです。
 
 神棚は各家庭に備える最小の神社である。
 とする概念と同じですね。
 
 その考えかたからいきますと。
 分家だから佛壇は不要。新佛が出たら佛壇を用意する。
 というのは、まちがいだと判ります。
 
 家族皆が元気なうちから佛壇を設置して、御本尊にお祈りするのが佛式としては正しいわけですね。
 
 ただ、まあ。
 新佛が出たことをきっかけに佛壇のことを考えるのも、悪いことではないよな。
 とも思えます。
 
 
 


 
 







 






 
佛器膳

 

















 

 

 

 

 


  マ
  ッ
  チ
  消
  し
 線
 香
 差
 し
 香
 盒







 
 
 いきなりですが。
 大きな佛壇の配置を挙げてみました。
 宗派による違いは、もちろんあります。
 
 基本的には、最上段中央に御本尊(佛像か掛け軸)。
 その両隣に脇侍(一般的には掛け軸)。
 
 御本尊の前に佛器膳を配置します。
 膳に載るのは佛飯器(御飯)と茶湯器(水または御茶)が一般的です。
 厳格に正しくは、御本尊だけでなく両脇侍の前にも佛飯を供えます。
 浄土真宗に限っては、火舎香炉(飾り香炉)を中心に、水を入れて樒の葉を挿した華鋲(華瓶)が左右一対、奥に佛飯器という配膳になります。茶湯器は要りません。
 
 日蓮宗では御本尊を隠すかのように日蓮像が手前に座るそうです。
 さすが日蓮さん、センターは誰にも渡さない。
 
 瓔珞は飾り、吊り灯籠は照明です。
 浄土真宗では、吊り灯籠より外側に輪灯を下げます。
 
 御本尊と脇侍より下段(通常は二段目)に位牌を置きます。位牌が大きいときは、御本尊より高くならないよう注意が必要です。
 お祀りする位牌が多くて佛壇に収まらない場合は、先祖位牌か回出位牌を使います。先祖位牌とは御先祖様を一つの位牌にまとめたもの。回出位牌は、代々のかたがたの名前を書いた木板が束になった位牌と言うか“位牌ケース”みたいなものです。
 浄土真宗では位牌を作りませんので、二段目はありません。過去帳を見台に乗せて最下段に飾りますが、これはお祈りの対象ではありません。
 
 高坏には、餅や落雁などなど供物を置きます。
 浄土真宗は高坏でなく供笥(供花)を使います。西本願寺は六角供笥、東本願寺は八角供笥です。
 
 火立は燭台つまりは蝋燭立てです。蝋燭または木蝋(木製のダミー蝋燭)を立てます。
 花立は花瓶のこと。常花(佛壇専用の造花)か生花を挿します。ただし、浄土真宗では常花を使いません。
 これら一対ずつと中央の香炉とで五具足ごぐそくと言います。火立と花立が一つずつのときは、火立を右、花立を左に置くみつ具足となります。
 
 前香炉または香立は線香立てのこと。線香を寝かす浄土真宗では土香炉(西は玉香炉、東は透かし香炉)です。
 香盒は抹香を入れる器、線香立ては未使用の線香を差しておく物、マッチ消しはマッチの燃えかすを入れる謂わば消し壺です。
 りんは、ご存じのとおりチーンと鳴らす物です。この位置に鉦吾を置く場合もあるらしいです(よく知らない)。
 ここのグループは佛壇の中にでなく、膳引き(引き出し台)あるいは経机に置くかもしれません。
 
 これらの他に、蝋燭消しや香炉の灰ならしなどもありますが、道具としての性格上、佛壇の中に置くべきではないでしょう。
 あと、サイズ的に焼香台も入りませんね。佛壇の前、供物台か経机に置いた焼香盆の上に載せます。本来は佛壇の中の五具足(三具足)に含まれる香炉が焼香用なのだそうですが、それだと法要において参列者の間を廻せませんので、別に用意するということのようです。
 
 一番下、と言いますか佛壇または経机の足下あたりに杢魚や杢柾(日蓮宗)を置きます。
 浄土真宗では、りんが、この位置に来ます。
 
 
 御本尊の違いはともかく。
 日蓮宗だけは杢魚でなく杢柾だとか、浄土真宗では高坏でなく供笥でしかも西と東で違うとか、これまた浄土真宗では青磁の土香炉が西と東で違うとか、またまた浄土真宗の東では火立は鶴亀燭台が正式だの、常花を飾らない浄土真宗なのに蝋燭はと言うと普段は赤い木蝋を火立に挿しておくだの、お東の佛具は基本的に金色だのと、宗派によって細かな取り決めがあったりなかったり。
 でっかく立派な佛壇を置くスペースとお金があるなら、まるっと佛具屋さんにお任せのほうが、(たぶん)まちがいがなくていいので、無理に考えなくてもよろしいかと。檀家なら檀那寺や菩提寺の住職に指導していただけば、いいわけですし。
 
 
 
 替わってミニ佛壇。
 
 
 

 



 



 
 
 

 



 
















 
 
 ここまで省略しないと入りきりません。
 御本尊と脇侍は、豆代(小さいサイズ)か極豆代(最も小さなサイズ)の掛け軸にします。もちろん佛像でも、ちゃんと収まれば大丈夫。
 佛壇によっては脇侍は無理かな。携帯用の「三つ折り本尊」(本尊と脇侍が描かれた三つ折り冊子状の御本尊)なら入るかもしれません。
 ミニ佛壇の場合は、本位牌をやめて先祖位牌か回出位牌にするほうがいい、というのは私の個人的な考えです。
 そして、蝋燭と線香は電気式にしましょう。狭いミニ佛壇で本物の火は危険が過ぎます。今はLEDの良いのもありますし(炎がゆらゆらする電気蝋燭とか、宗派に合わせた本数の電気線香とか)。
 お坊さんをお呼びするときや時節の節目節目に、本物の火を供物台代わりにしたテーブルとかで点せばいいのです。
 
 
 
 さらに削ってみます。
 
 
 



 







 
 
 御本尊と三具足という最低限の組み合わせです。
 佛式であれば、これよりはもう削れません。
 
 この上位に、花立と火立を一対にした五具足の組み合わせもありますが。
 個人的には、三具足を五具足にするスペースがあるなら、三具足に茶湯器や佛飯器などを加えたほうが、内容のバランスがいいかと思います。
 
 りんがありませんね。
 りんは読経の中で打ち鳴らすタイミングや回数が決まっています。ですから、知識がないと正しく鳴らせません。お坊さんをお呼びしないなら、絶対に必要とまではいかない物です。
 お供えや手を合わせるたびに家人が鳴らすのは、厳密には誤りなんですね。
 だから三具足や五具足に入らないのかもしれません。
 
 
 


 
 
 過去帳について少し。
 
 
 ここで言う過去帳は、お寺の過去帳ではなく、各家庭の過去帳です。
 佛壇があれば、その引き出しにしまってあるかもしれませんし。
 浄土真宗では、他宗派の本位牌や回出位牌に近い役割(?)として、佛壇に置くものでもあります。
 
 家庭で使う過去帳は、特に指定されない限り、日付の入った物を用意します。
 日付の入ったものとは、どういうことかと言いますと。
 まあ、そうですね。極々小さな日記帳かスケジュール手帳を想像してみてください。一ヶ月分しかない日記や手帳。
 つまり、一日から三十一日までの日付だけが記入された空ページで構成された帳面です。
 この帳面に、亡くなった人を日付のページに書き込むのです。なので、御先祖様方々の名前の並びは亡くなった順番ではなく命日の日付つまりは数字の小さい順になります。
 
 
日 二 十




俗名
 
 





 

 




 
 日付「十二日」のところを見開きにしたと思ってください。
 
 亡くなった年(元号)と月を書きます。
 ページに日付があるので、亡くなった日をわざわざ書く必要はありません。
 
 戒名や法名を授かったなら、それを書き記します。
「戒名 *****」などと冠としてわざわざ「戒名」と書く必要はないと思います。戒名なり法名なり、見れば判りますから。
 
 過去帳の表書きに「**家 過去帳」と記した場合、俗名は下の名前だけでいいです。表紙を見れば、名字は判るのですから。
 一方、表書きが「過去帳」とだけなら、俗名はフルネームで。
 こちらも、わざわざ名前の上に「俗名」という冠を付ける必要はないでしょう。
 
 享年は数え年、行年なら満年齢、といういちおうの原則はあるようです。が、はっきり決まっているわけでもないようです。
 ただ、過去帳と本位牌と墓石とで、すべて統一しておくのが無難だと思います。
 
 ページの使いかたは自由です。
 大家族・名家なら、ページ温存の意味で、二行だけ使うほうがいいかもしれません。
 他にいないし増える予定もないなら、見開きすべて一人に使ってしまっても、いいと思います。
 
 筆ペンではなく、墨汁でもなく、墨を擦って書いたほうが字が滲まず長持ちするそうです。
 私は失敗しましたけどね。頑張ったのに墨が薄かった。orz
 
 書くのは、お坊さんでも遺族でもいいそうです。
 お坊さんのほうが毛筆に慣れておられるとは思いますが。
 墨を擦る間を待たせてしまうのも失礼ですし、前もって擦っておいても硯が中途半端に乾いてしまいますから、悩みどころですね。
 
 
 


 
 
 宗派ごとの違いを簡単に。
 
 
※ 天台宗
 
 本尊:阿彌陀如來(座彌陀)、釋迦如來、薬師如來……等々
  左脇侍:天台大師 智顗
  右脇侍:伝教大師 最澄
 
  線香は三本を手前が一で御本尊側が二の の形に
  経典は『法華経』『阿彌陀経』『観無量寿経』『大日経』『金剛頂経』
   (在家では『般若心経』)
 
 
※ 真言宗
 
 本尊:大日如來
  左脇侍:弘法大師 空海
  右脇侍:不動明王または興教大師 覚鑁
 
  線香は三本を手前が一で御本尊側が二の の形に
  経典は『大日経』『金剛頂経』『理趣経』
   (在家では『般若心経』『光明真言』)
 
 
※ 融通念佛宗
 
 本尊:十一尊天得如來
  左脇侍:良忍上人
  右脇侍:法明上人
 
  線香は一本
  経典は『華厳経』『法華経』
   (在家では『般若心経』)
 
 
※ 浄土宗
 
 本尊:阿彌陀如來(舟立彌陀)
  左脇侍:終南大師 善導
  右脇侍:法然上人
 または
 本尊:阿彌陀如來
  左脇侍:観音菩薩
  右脇侍:勢至菩薩
  (彌陀三尊)
 
  線香は一本
  経典は『無量寿経』『観無量寿経』『阿彌陀経』
   (在家では『四誓偈』『真身観文』『般若心経』)
 
 
※ 浄土真宗
 
 本尊:阿彌陀如來(立彌陀)
  左脇侍:親鸞聖人
  右脇侍:蓮如上人
  (西本願寺)
  または
  左脇侍:十字名号
  右脇侍:九字名号
  (東本願寺)
 
  線香は一本を香炉の大きさに合わせて折って寝かす
  経典は『無量寿経』『観無量寿経』『阿彌陀経』
   (在家では『正信念佛偈』『念佛和讃』『御文章』)
 
 
※ 時宗
 
 本尊:六字名号または阿彌陀如來(舟立彌陀)
  左脇侍:一遍上人
  右脇侍:真教上人 他阿
 
  線香は一本
  経典は『無量寿経』『観無量寿経』『阿彌陀経』『往生礼讃偈』
   (在家では『四誓偈』『般若心経』)
 
 
※ 臨済宗
 
 本尊:釋迦牟尼佛
  左脇侍:達磨大師
  右脇侍:観音菩薩または花園法皇
 
  線香は一本
  経典は『観音経』
   (在家では『般若心経』『坐禅和讃』)
 
 
※ 曹洞宗
 
 本尊:釋迦牟尼佛
  左脇侍:道元禅師
  右脇侍:瑩山禅師
 
  線香は一本
  経典は『観音経』
   (在家では『般若心経』『大悲心陀羅尼』)
 
 
※ 黄檗宗
 
 本尊:釋迦牟尼佛
  左脇侍:達磨大師
  右脇侍:隠元禅師
 または
 本尊:釋迦牟尼佛(座像)
  左脇侍:摩訶迦葉尊者
  右脇侍:阿難尊者
  (釋迦三尊)
 
  線香は一本
  経典は『観音経』
   (在家では『般若心経』『三帰依文』)
 
 
※ 日蓮宗
 
 本尊:大曼荼羅
  左脇侍:鬼子母神
  右脇侍:大黒天
  (関西)
  または
  左脇侍:大黒天
  右脇侍:鬼子母神
  (関東)
 
  線香は一本
  経典は『法華経』
   (在家では『自我偈』『神力品』『方便品』)
 
 
 (左脇侍は向かって右、右脇侍は向かって左)
 
 
 経典については、おおよそでだいたいで、まちがいも多々あると思います(汗)。
 在家向けの経典をまとめた経本や冊子が各宗派ごとに用意されているはずで、それ一冊あれば必要充分でしょう。有名な宗派すべて以前は百均にあったのですが、今は見かけませんね。
 浄土真宗と日蓮宗を除くほとんどの宗派では、有名な『般若心経』があれば家人だけで唱えるに、いちおう事足りるかもしれません。
 なお、禅系(臨済、曹洞、黄檗)には絶対的な本尊とか根本経典とかの考えは、ないそうです。
 同じく、天台宗も本尊を一つに縛ってはいないそうで、好きな佛様をお祀りしても無問題らしいです。
 
 また、十三宗のうち南都六宗でもある法相宗、華厳宗、律宗には檀家制度や各家庭の仏壇という概念がないそうです。
 
 各宗派に分裂するより古い善光寺(だから、信州善光寺を始めとして全国の善光寺の大半は無宗派)の様式は、勉強不足でよく判っていません。
 善光寺の本尊である一光三尊佛は、阿彌陀如來に観音勢至両菩薩が従う彌陀三尊の形式ではありますが、違う箇所もあります。
 そもそも、善光寺式の佛壇というのがあるのかどうか?
 
 
 


 
 
 特にどれかの宗派にこだわるでもなく、お坊さんを法要にお呼びする予定もなく、何となく漠然と佛壇を。
 というかたも、おられると思います。それでも良いと思います。その場合、佛壇と言うより祭壇でしょうが、とにかく気は心です。
 いちおう佛壇っぽくというかたに、少しだけ Tips めいたものを。
 
 
(1)
 蝋燭と線香は、LED型がオススメであり無難です。
 火事の心配が無くなりますから。
 
(2)
 例えば命日やお盆などで電気でなく本物の火を灯したいときは、線香を香炉に立てず、浄土真宗のように寝かせるのがオススメです。
 流儀どうこうでなく、寝かせると倒れるリスクがゼロに、つまり火事の心配が無くなります。併せて、エアコンなどの風にも灰が散りません。
 それと、立てた場合は灰に挿した部分だけどうしても燃え残ります。寝かすと、この問題も解決します。
 ただ、線香を寝かせて焚くのには少しだけコツが要りますけどね。
 
(3)
 飾る花も、特別な日以外の普段日常では、造花でいいと思います。
 リアルな造花もいろいろありますし、生花ですと季節によってはあまり持ちませんから。
 
(4)
 お安く済ませるのに百均は欠かせませんが、佛飯器や茶湯器や高坏など、ちゃんと佛具で揃えるとなると、在庫の問題から百均では厳しい場合もあります。
 佛具にこだわらず小さめの食器などで揃えるなら百均が無敵ですし、デザインの統一を意識して探せば、けっこうお洒落なセットにもできます。
 
(5)
 ガワも、佛壇、モダン佛壇、ミニ佛壇などとして売られている物にこだわる必要はありません。
 置き場所の広さとかを考慮してカラーボックスなどで代用するのも立派な工夫の一つだと思いますし、器用な人なら日曜大工でいけるでしょう。
 さらに自由になら、ガワ無しでもいいです。百均などにあるディスプレイ用の雛壇とか、上手く使えば勝手が良いと思います。我が家が法要をお願いしたご住職のお話によると、佛壇の形になるよりも古い時代はオープンな場所に佛様をお祀りしていたそうです。
 
(6)
 正式な佛壇でないのなら、御本尊を置かずに遺影や遺品だけでもいいと思いますが。
 何か締まらないとお感じなら、正規の佛像ではお高いので、可愛いキャラ的な佛様でもいいんじゃないかと。有名な円空佛や木喰佛も、よくよく見れば優れたキャラ物と言ってもよさげではありませんか。
 あるいは佛像なり佛画なりを自作というのも、故人を思う心がこもっていればアリだと思います。
 
 
 不謹慎と思われるかたもおられるでしょうが。
 これらは、人だけでなく、ペットの供養でも使える方法だと、個人的には考えています。
 もちろん何十万、何百万円かける人のことを否定する意思は、まったくありません。そこは、ご理解のほどを。
 
 
 


 
 
 たいへんに下世話な話となりますが。
 
 例えば一家の爺様が亡くなったとします。
 爺様が生前に爺様名義で佛壇を購入していた場合、佛壇そのものが相続扱いとなり、信仰に要するものなので、お墓同様に非課税となります。
 一方、爺様の死後に遺族が佛壇を求めますと、その購入費は相続扱いされません。通常の出費消費です。
 同じ百万円する佛壇を買っても買ったタイミングで、つまりその百万円が現金なのか佛壇の形なのかで相続税の課税と非課税に扱いが分かれるのです。
 なので、どのみち高価な佛壇を求めるのなら、年齢順あるいは病気の有無から予測される“最初に亡くなる予定”(苦笑)のかたの名前とお金で佛壇を買っておくのが、節税対策になる。ということは言えます。
 
 本当に、たいへん俗な話ではございますが(汗)。
 
 
 


 
 
 昭和の時代、TV番組を通して一大ムーヴメントを起こしたとも言える、とある霊能者のかたの言葉で印象に残っているものがあります。
 お墓が遠方にあって墓参りが難しい、という相談に対しての答えです。
 
 部屋の中のどこか、例えば机でも箪笥の上でもいいから綺麗にして、そこに故人の写真を、写真が無ければ無くてもいいし、そしてお水と、できれば温かいお茶もお供えして手を合わせて。
 それだけでも、気持ちは伝わりますよ。

 弔いの本質を示した言葉だと、私はずっと思っています。
 その霊能者さんのことを悪く言う人も多かったですし、霊視の真相など我々には知るよしもありません。
 ですが、少なくともこの言葉だけは、たいへんに暖かで意味のあるものだと、そう感じます。
 
 形から入るも良し。
 形式にこだらわぬのも良し。
 大切なのは故人、先祖を思う気持ちではないかと。
 
 
 


 
 
 追記
 
 
 一年経ち、一周忌の法要も終わって、ようやく一段落付いてのことです。
 
 何の気なしに佛具のネット通販サイトをダラダラ見てまして。御本尊の掛け軸のところで「ありゃ?」と思いました。
 で、おもむろに我が家のミニ佛壇に祀っているお軸を確認しました。
 
 あらら。
 
 我が家が葬儀と法要でお世話になったお寺さんは浄土真宗のお東。ですので、檀家ではありませんが、いちおう佛具はお東の仕様で揃えてあります。
 なのに御本尊のお軸だけ、お西でした。orz
 
 あの佛具屋ぁ、まちがえてくれやがりましたなぁ。(;^_^A
 
 ええ、納品書にちゃんと「東」とあったので信じきってました。何せ一年前はバタバタしており、まだ自分で何も調べてなかったですからねぇ。
 調べた後だから言えることなんですが。二つを並べて見ないと、素人には少し判別しにくいんですよね、東立彌陀と西立彌陀って。
 
 一年近くを我が家に鎮座しておられる御本尊様ですから、今さら「チェンジで」なんて言えるはずありません。
 お東とお西の混在した佛壇ではありますが、このままでいこうと思います。
 考えてみれば、西だの東だのは人間の、それも政治的な区別です。佛様には関係ない。なので問題なし、としましょう。
 きっと同じ理由で、お経をあげてくださったご住職も何も言われなかったのだと思いますし(いや、本職なんだから一目で判りますって)。
 
 それにしても、あの佛具屋には、まいったな。あそこ、真鍮製の佛具でも「錆び弾よこしやがっ」てくれた店ですからねぇ。
 今回の一周忌法要のために和蝋燭を求めたら「これしか無い」と、奥からでっかいの出してきたし(実は、お寺用のサイズだったと後で知る)。で、別の店で尋ねたところ、普通のサイズがあって、そちらを使いました。
 次からの用事は、こっちの店に行こう。そうしよう。
 
 こんなことも、ありますよ。プロでもミスはしますよ。ぶっちゃけ、いいかげんな専門店もありますよ。
 というのを、あらためて実感したのでした。
 
 余談です。
 その阿彌陀如來の絵ですが。東と西の違いは後光の本数なのですよね。
 で、東用と西用とを比べてみて絵的なバランスを考えた場合、西用のほうがまとまっている。というのは私の率直な感想です。
 東用のは、無理に数を変えたみたいな感じで、その部分だけ後光が目立って太い。つまりアンバランス。
 だから判っててまちがえてもいい、ということではないですけどね。はい。