第参夜
さて、狐より一枚上をいく狸の話じゃな。
とはいえ、あの間抜け面からすると、狐よりもバカなのではと思うじゃろ? じゃが、それは余裕からくるものじゃと、わしは考えておる。
人として暮らした狸には「芝右衛門」がおる。博識の爺さんと、評判じゃったそうじゃ。
そして、わしの懇意にしとる狸の住職、「守鶴(しゅかく)」のヤツがおる。こやつは上野國・茂林寺に長く勤めておった徳の高い僧侶なのじゃが、昼寝中に子坊主に正体を見られて、やむなく寺を去ったドジなヤツよ。きっと、今でもどこぞの寺で、経など唱えておるやもしれぬぞ。
狸といえば、四国をはずすわけにはいかん。なにせ、あそこは狸の領土じゃからの。
その証拠に四国では、あらゆる怪奇現象が狸の仕業とされておる。少し挙げてみるとするか。
夜道に衝立が現われて、先に進めなくなる「衝立狸」。いわゆる、「塗壁」じゃな。
山道などで、頭上から砂を撒く「砂撒き狸」。これは「砂掛け婆」のヤツと同じじゃ。
ビール瓶のような物が足にまつわりつく「槌の子狸」。モロ、「ツチノコ」じゃわい。
不可思議な行列の「なもない狸」。これを狐がやれば、「狐の嫁入り」じゃ。
人の髪の毛を剃ってしまいおる「坊主狸」。江戸あたりでは「髪切り」と呼ばれた妖怪じゃ。
物騒なのは首吊りを促す「首吊り狸」。一般には「縊鬼(いつき)」とかいわれる、憑きものの一種よ。こやつに憑かれると、なぜか首を括りたくなるそうじゃ。夏目漱石殿の『吾輩は猫である』に、迷亭くんだかが首を括りたくなる話があったが、あれもこやつの仕業に相違ないて。
「下がりもの」の仲間の「蚊帳吊り狸」は、道に蚊帳が現われて、通行人の邪魔をしよる。
さて、阿波國の狸に、「赤岩将監」と「鎮十郎」というのがおっての。この両名がいさかいを起こしよった。で、讃岐の親分「禿狸」をも巻き込んで、大合戦を繰り広げたことがある。
この時の闘いを崇めて、将監は「狸神」として祀られたそうじゃ。
阿波國では他にも「お六(ろく)大明神」という狸の神様がおる。なんでも元々は、妙長寺で住職の代理を勤めておったらしい。
また伊予國には「八百八狸」という親玉がおるらしい。
四国を離れて摂津國、西堀川の戎神社の境内にある榎木神社には、「吉兵衛」という狸が神様をしておるそうじゃ。こやつは、ただ音を立てるだけの狸らしいがの。御利益は諸病一切、家業繁栄だそうじゃよ。
ついでに信楽焼の狸の置物じゃがな、あの姿にも御利益があるそうじゃ。いや、むしろ教訓かの。
笠は災難避け、顔は愛想、目は用心と見極め、徳利は徳と利益、腹は落ちつきと大胆さ、通い帳は信用、金袋は「使ってこその金」、尾は「最後こそが肝心」をそれぞれ示しておる。これを「八相」というそうじゃて。
おおっと、脱線したかの。
有名な「狸の八畳敷」をしおるのは「豆狸」じゃ。
何? 八畳敷を知らぬ? ああ…ほれ、「風もないのにブラブラ」する、あれじゃ。あれを広げて座敷に化けるのじゃよ。
で、こやつは酒が大の好物での。わしもじゃが……。そのためか、こやつが酒蔵に棲みつくと酒の味がぐんと良くなるので、造り酒屋では、神のごとくに崇めておると聞いたことがある。
さて、色々話してきたがの、狸と狐のこと。お主は、どちらがどうなどと思ったかの?
狐はわしら天狗の僕になったり、かのダキニ天にもお使えしておったりと、なかなか宗教に近いところにおる。伏見稲荷もそうじゃな。
対して、狸は、民間信仰においては、神様そのものにまで昇進しておる。
正規の宗派における、お使い。かたや、民間での神。
どちらがより上かは、お主が決めてくれい。わしゃ、疲れたわい。
さあて、一杯ひっかけてから、寝るとするかの。
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参考文献:『暮らしの中の妖怪たち』岩井宏寳
『妖怪お化け雑学事典』千葉幹夫
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