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この作品の主軸はもちろん、みゃーもりたち五人娘です。
みんなで『七福神』を作るとドーナツに誓い合った五人が紆余曲折あって、終盤でようやく一つの作品にて合流できた。つまりスタートラインに立てた。
ずかちゃんが収録で、ディーゼルさんの「一行だけ使ってもらえ」た(と思われる)、あの「少しだけ夢に近づきました」という台詞を喋るシーンで涙したのは、みゃーもりだけではありませんよね。
ここだけ捉えれば、埃っぽくて黴臭い言いかたですが“青春群像劇”となるでしょう。
ですが、お判りのとおり、併走する軸がもう一つ。
もちろん、“業界あるある”だと思われるアニメ現場の紹介です。
『えくそだすっ!』と『三女』という二つのアニメ作品をムサニが製作する過程においてのトラブルを可能な限り描く(いや、トラブル無いと起承転結や序破急にならないから)ことによって、アニメ現場を視聴者に知ってもらうという側面が大きい。
主人公・みゃーもりが進行やデスクとしてあらゆる現場に走ることで、アニメの制作には本当に大勢の人が関わっていて、その人たちの繋がりが大切だと語っている。そう感じるのです。
最終話、『三女』の打ち上げパーティーで乾杯の音頭を押し付けられた(笑)デスク・みゃーもりの少しだけ長い演説こそが、すべてでしょう。
『えくそだすっ!』編とも言える第一クールではタローが物語の牽引役となります、悪い意味で。つまりトラブルメーカーとして、人同士の大切な繋がりをことごとく断ち切ってくれやがる。
そこに、木下監督がスケジュールを狂わせまくるという燃料追加して、みゃーもりを追い詰めてくれる。
二人とも悪意が無いだけにタチが悪いです(苦笑)。
ギリギリ追い詰められないと本気が出ない芸術家気質の木下監督。報連相がまったくできないタロー。ともに社会人として不適合者です。
そんなクズ(笑)二人の“活躍”のおかげで、アニメの現場あれこれを判りやすく浮き彫りにしてくれるわけです。
他にも、すぐ仕事ほっぽり出す自転車男や、登場が第二クールですけど逃走癖のあるヒゲ仙人も。ヒゲ仙人なんて、矢野さんに「大人の人ってちゃんと仕事するのが当たり前だと思ってました」と、やんわり皮肉言われてましたっけ。
タロー(と監督)で視聴者の脳味噌がウォームアップできたところに、第二クールが突きつけられます。
あれほど視聴者のヘイトを一手に引き受けていたタローが単なるコメディ役に引っ込み、あまっさえ笑いまで誘う癒やし系となった第二クール、『三女』編。
ここでの悪役は、それこそ時代劇の悪代官みたくステレオタイプです。それが原作漫画の担当編集者・茶沢。チャラ男かチンピラかという服装センスも、「変な話」という耳障りな口癖も、視聴者に印象付けるための判りやすい装飾ですね。
茶沢はアニメになど一切の関心が無く、それどころかおそらく自分が担当する漫画作品にすら愛情ゼロ。興味があるのは著名出版社の社員である立場と、それによる高給だけだと思われます。そんなゲスだからこそ、放置しても仕事をこなしてくれる実力者・野亀先生と、立場的に逆らえないムサニを利用して、勤務時間中もロクに仕事しないで遊んでばかりいる。要領が良いとも言えますが、アニメにも漫画にも関わってほしくない人物ですね。
いやまあ、現実にもいますけど、業種関係なくいますけど、茶沢タイプの迷惑者。
それでも茶沢の言動は、演出上かなり誇張されていると思います。
『三女』の主人公・ありあのキャラデに対するダメ出しと、『三女』第13話の絵コンテに対する全没を伝える、原作者・野亀先生の転送メールは、ともに「野亀」名義です。対して、木下監督が先生のアドレスへ直に送信した「お目にかかってご相談させていただきたい」というメールへの返信は「ノガメ」名義。一連の転送メールと、監督への「了解しました」という返信とで、改行のしかたも違います。
そう。茶沢は全文のコピペすら面倒くさがり、親指でチャチャッと超短文の転送メールをでっち上げたんですよ。キャラデに対して「何か違う」という漠然としたダメ出しは、野亀先生の言葉ではなかった。きっと先生は、もっと方向性の見える修正意見を出していたと思われます。
そんな中、「可愛いと幼いは違う」という言葉を引っ張り出せたナベPは、たいした執念です。井口さんも、この一言だけから、よく頑張った。
さらには、全没に対して葛城Pが「どうして今になって?」と問えば、「今になってコンテ見たからでしょ」と、ドタキャンの責任をシレッと先生になすりつけてる。とんでもない野郎だ。
とまあ、そこまでして、茶沢を絵に描いたようなクズに作り上げたわけです。
何のために?
もちろん、視聴者に対して悪役を徹底的にこれでもかと判りやすくするために。
なぜか。
実は、こここそ、かつての視聴で妖之佑が愚かにも気づかなかったところなのです。
茶沢の本当の役割は、真の“悪役”を隠すことです。
ならば、真の悪役とは?
言わずもがなでしょう。『三女』の版元、夜鷹書房です。
大胆に言うなら、第二クールは原作の版元が如何にアニメ化の邪魔でしかないかを暗に描いた、ということではないかと。
ただ、さすがにそれだと角が立つ。良い出版社、良い編集部も(いくつかは)存在する。なので出版業界全体を批判する意志などない。夜鷹書房の悪辣さを観て、現実の出版業界全体を悪く思わないでほしい。
なので、黒幕の手前に判りやすい表向きの悪者を据えて、そこにヘイトを集める。黒幕については、判る人だけ判ってくれればいい、というスタンスなのでしょう。我々は、その思いを汲み、脳内で「今回のことで野亀先生は夜鷹書房に不信を抱き、新作は別の真っ当な出版社に移籍するだろう。ひょっとすると『三女』の権利すら夜鷹から引き上げるかも」と楽しい想像をすればいいのです。
夜鷹書房ラスボス説の根拠は簡単です(なのに、かつては気づかなかった自分って……)。
第13話絵コンテへのNGに対して、ナベPと葛城Pが夜鷹書房に乗り込み直談判したシーン。
葛城Pは「今からやり直してたら間違いなくクオリティが落ちる」と現実的な問題を示したうえで、「然るべき手順を踏んで」「すべて確認をお願いしている」とムサニの正当性も主張。
ナベPは「進めて良いっておっしゃいましたよね?」と茶沢の承認に触れた。それに対して茶沢は「あれは僕的にはの話。先生のOKが出たとは言ってない」と開き直る始末。
同席している編集長に人間の大人としての平均的IQがあれば……いや、小学校高学年レベルの知恵があれば、騒動の元凶が茶沢だと嫌でも判るはず。
て言うか、やりとりを聞いていた編集長は腹の中で「茶沢のやつ、またやらかしやがったな」と現状を理解したはずです。思うに、他社が請け負った『セーラー服とF3』のアニメ化が、平岡の言うところの「散々だった」結果になったのも、おそらく茶沢が原因でしょう。そのときも編集長は、すべての責任をアニメ会社に押し付け、野亀先生の怒りが編集部に及ぶのを回避したに違いありません。
今回も、トラブルの原因が茶沢だという事実を認めるわけにはいかない。認めれば夜鷹書房の責任問題にも発展する。なら、弱い立場のムサニだけを悪者にすれば、すべて上手くいく。大丈夫だ問題ない。
というのが、あの場での編集長の腹の内だったのは、想像に難くないです。
でもって、「とにかく」という言葉で交渉を打ち切った。聞く耳持たず、ですな。
そして。
いくら編集長がアレだったとしても、茶沢は編集部からムサニに電話するとき自分の机に両足投げ出してます。机でロクに仕事してない証拠ですし、いくら格下相手の電話でも、そんな態度は社会人として許されません。普通の感覚ならね。真っ当な職場ならね。
なのに、お咎めもお小言もなさそう。
つまり、夜鷹書房の体質も茶沢と変わりない、ということ。単に無能な部下を放置していた監督不行き届き、なんてレベルではないのですよ。
推測ですが、編集長も茶沢と同じようなこと、つまり上にへつらい下を生け贄にし、要領良く出世したクチなのでしょう。そもそもあの編集長、初登場時の態度も無礼の極みでした。社名をバックにマウントでしたからね。有能な人物とは、とても思えない。編集長の劣化したのが茶沢ということだな。
本田さんに後押しされた木下監督の起死回生の手によって、結果的に野亀先生の前で事実が露呈。先生の怒りを知ると即座に、編集長は茶沢切り捨てへと方針転換。先生の目の前で「どういうことだね茶沢くん」と(真相を知ってるのに)責め立てる。編成局長が茶沢に「先生の担当に向いていない」と言えば「まったくです」と同調。いや、おまえ茶沢の直接の上司だろ。何、責任回避してんだよ。
ナベPの麻雀仲間でもある編成局長は、みゃーもりへの対応(菅野監督への電話というフォロー)からすると、特に悪い人ではなさげですが。一方で、打ち上げパーティーの様子だと、相手によってコロコロ態度を変える人物なのは確かのようだし。うーん、どうだろうなぁ。
ともかく、夜鷹書房は他社に対してマウント取るのが基本、ということは言えるかと。
それが、第二クールが茶沢を隠れ蓑にして暗に言いたかったこと、なのだと思います。
なんで当時、気づかなかったのかな自分。orz
批判というより、これはアニメ業界からの出版業界への嘆願ではないかと思います。
アニメ化に際し、もっと原作サイドと詰めた話し合いをさせてほしい。原作者と話し合いができないなら、一切の口出しをしないでほしい。とにかく、何が何でも両者の間に編集が入ろうとする姿勢・慣習をあらためてほしい。
そういうことなんでしょうね。
どうにも出版社は創作者同士の直接コンタクト、横の繋がりを快く思わない傾向があるようですから。木下監督に茶沢が言った「編集部通さねえで何勝手な事やってんだよ」は、言いかたと腹の内はアレですが本当のこと。あのときの監督は、あえて業界のルールを破る捨て身の行動に出ていた。
野亀先生が監督に会うつもりなのにも関わらず、編集長たちが阻止せんと監督に立ちはだかったのは、出版業界の意固地な姿勢を表現したわけです。
でも、才能ある創作者同士が直に会うと化学反応が起こり、それは作品をよりよくする可能性を大いに含む。会議室での野亀先生と監督の掛け合いからの盛り上がりの中でのルーシー爆誕が、まさにそれ。最初から拒否するのは業界全体としても、もったいない。
批判でなく嘆願だからこそ、オブラートに包む意味で、夜鷹書房に乗り込む監督をウエスタン姿にして、しかもボテ腹による超絶技を繰り出させるという非現実的でコミカルな演出まで入れて、出版サイドに気を遣っているのですよ。
『三女』打ち上げパーティーにて全員集合させながら、茶沢だけは腕章着けたカメラマンつまり“部外者”という立場を与えるという、だめ押しまでしています。本当に徹底して出版業界を気遣ってる。
準備運動レベルだった、『えくそだすっ!』編のタロー。
本番レベルの茶沢(と言うか、その背後にある夜鷹書房)。
ともに、人同士の繋がりを断ち切る、邪魔をするという意味での悪役。
アニメ制作にとっての大切なものを壊す存在なのですから、誰が何と言おうと悪役に違いないのです。
なお、当初は問題児だった平岡は悪役としてではなく、本来は五人娘の誰かが担当すべき闇堕ちを代わりに勤めたんだと思います。夢を掴もうとして業界の現実に打ちのめされて捨て鉢になる、ってヤツ。現実の不条理さという面では小笠原さんの過去話もそうなんですが。ですから、ある意味で平岡は“六人目のヒロイン”だった。五人の誰かが堕ちて離脱すると、復帰まで2クールでは収まらなくなりますからね。
人同士のコミュニケーションが大切というのは。
瀬川さんに苦手意識を持つ遠藤さん。
その瀬川さん始め、歳上の女性陣はけっこう、みゃーもりにお説教する。
みゃーもりに「事後承諾か?」と苦言を呈したナベPも。
一見するときつそうな矢野さんは、みゃーもりに優しい言葉と甘い物ばっか、くれてたな。
言葉足らずで、かえって絵麻っちを追い詰める結果にしてしまった瀬川さんは反省材料。
タローが原因での確執から、『イデポン』をきっかけに和解した手描き派の遠藤さんとCG担当の下柳さん。
みーちゃんが結果的に希望する現場に就けたのも、自動車CG専門の会社社長に本心をきちんと話したから。
かつて、みゃーもりを面接で落とした野球オヤジは、悪役ではないけどコミュニケーションの点では反面教師。
ナベPと葛城Pの麻雀三昧は言わずもがな(笑)。
「杉江三日伝説」の再来は、みゃーもりが菅野監督の純粋な言葉を聞けたからこそ。
キャラデで迷路に入った井口さんを思って、Pと監督とデスクの三人を一度に叱った小笠原さん。
ありあ役の新人声優が袋小路に入ったのを雑談で巧みに誘導する音響監督(キャスティングの会議で、未熟な新人は「育てればいい」とも)。
大チャンスのプレッシャーに圧される絵麻っちに、「受けたほうがいい」と助言する杉江さん。
極度のコミュ障ながら頑張って作打ちに臨んだ久乃木と、彼女の必死な片言に全力で応える中年男たち。
平岡を半ば強引に呑みに誘って、彼の本音を吐かせたタロー。
問題を起こした平岡や、詰んだ監督に説教するでもなく、優しく語る社長。
随所随所に描かれているんですよね、この群像劇では。
群像劇と言うと、偏った趣味の妖之佑は、士郎正宗さんの『ドミニオン』(白泉社版)を、そしてこれの元ネタと思われる U.S.A. の『ヒルストリート・ブルース』を真っ先に思い浮かべます。
ただ、この二作品は本当に群像あるいはメリーゴーランドで、それぞれのキャラというか小グループが互いにさほどリンクせず、めいめい自分の仕事だけをこなしている。グループ同士の繋がりが薄いんですよね。そこが、わりと新鮮でもあり、作品としての個性だった。
対して、一つのアニメ作品を作り上げる現場を描いた『SHIROBAKO』は、ムサニも社外もひっくるめて皆が同じゴールに向かっている。だから、縦横無尽に入り組んだ人間関係を立体的に表現する結果となる。
最終話の、みゃーもりの言葉や集合記念写真だけでなく、どの回だったかな。自宅からの通勤距離だけが理由でムサニに転職した「アニメはギブリしか」の佐藤さんが、後に「一丸となって完成を目指す感じ」に目覚めたあたりも、さりげなく作品テーマに触れてるなあと。
本当に巧みな群像劇だと思います。
また、つまらぬものを読んでしまった
そも。
原作の主人公は、もちろん諸星あたるですが。
アニメは、EDに載るキャストを見ると、あたるを差し置いて、ラムが先頭になっています。つまりラムが主人公。
そのためか、原作でラムの登場しない話でも、アニメではラムが出ます。
まあ、だからと言って原作とストーリが激変する、ということではないんですけどね。
しかも原作自体、初期と、それ以降とではスタンスが変わっていますから。
高橋留美子さんがまだ大学在学中に始まった『うる星』は完全連載ではなく、短期連載および不定期掲載でした。それが謂わば「1年4組時代」。
この頃は、あたる&しのぶは相思相愛のカップルであり、そこにラムが横恋慕で過激な邪魔をする。つまり、ラムは完全に引っかき回し役、お邪魔虫に過ぎません。断じてヒロインではなかったのです。これは、あたるとラムが十年後にタイム・スリップしたときの話でも判ります。諸星こけるの母親つまり、あたるの結婚相手はラムではありませんでしたから。
元々、『うる星』という作品は、あたる&しのぶが、毎回毎回いろいろ入れ替わりに登場する怪物たちに恋路を邪魔される、というのが基本形です。そして第一話の怪物が鬼の父娘だった。ですから第二話では合わせ鏡から出てきた悪魔がメインであり、ラムは登場しません。その時点で本来なら、もう鬼は用済みだったわけです。ところが、トラジマビキニの効果もあってか人気が出たのでしょう(四人組も「ベントラ」唱えるほど切望してましたし♪)。ラムは再登場するだけでなく、重要レギュラーに昇格した。
このあたりの経緯は、同時期に連載されていた鳥山明さんの『Dr.スランプ』と似ています。あっちの主人公は毎回毎度、自分の珍発明に翻弄される千兵衛さんであって、アラレは第一話の発明品に過ぎなかった。それが「可愛いから」という理由で主役に昇格。
さて。
高橋さんが大学を卒業なさって専業となり正式な週刊連載が開始された、謂わば「2年4組時代」に入ると、この人間関係が激変します。と言うか高橋さんが意識的に激変させました。
面堂終太郎の登場ですね。
高貴な家柄で大金持ちで文武両道でイケメンで女性に対して(だけ)紳士な面堂は、転校その日に2年4組の(そしてたぶん全校の)女子全員を虜にしました。もちろん、しのぶも例外ではありません。
この時点で、あたる&しのぶというカップルは完全崩壊です。しのぶの想い人は、基本的に面堂となります。あたるは、もはや幼馴染みに過ぎないのです。
そして同時に、ラムがヒロインに昇格。以降、熱烈アピールのラムと、ツンデレあたるとのラブコメ物として長期連載されることとなります。
1年4組のときに示された、あたるがラムと結婚しない、つまりラムがヒロインでない決定的な事実については、後に登場する因幡くんのエピソードで合理的に解決させましたし。ラムのヒロインとしての立ち位置は、もはや揺るぎません。
あたるが怪物に取り憑かれる「1年4組時代」のパターンから、「2年4組」では話が面堂をトラブル・メーカーとした学園ドタバタ物へと変わったため、物の怪退治担当だった錯乱坊とサクラさんが出てこなくなり、あれだけ毎回あたるにツッコミ入れていた、あたるの両親も出番が無くなります(面堂が委員長に立候補したときの演説にて天誅の想像図としてチラ見えただけ)。サクラさんこそ保健室にて(お色気担当として)現場復帰しましたが、錯乱坊と両親の再登場は、かなり後のことです。
その間、舞台はほとんど友引高校。高橋さんが週刊連載のスケジュールに慣れるまでは簡略化すべきところは簡略化したということかもしれません。
ついでですが、2年4組に進級した時点で四人組は別クラスになったのでしょう、姿を消します。以降、二度と登場しません。2年4組で、あたるの相棒として一緒に悪さするのは新キャラ・白井コースケです。
アニメは、このタイミングで始まっているので、あたる・ラム・しのぶの三角……というか、あたる・ラム・面堂・しのぶの四角関係を前提として制作されたフシがありますね。ちなみに、アニメ版では最初から、つまり鬼ごっこの時点で2年4組です。
原作で消えた四人組は、アニメ化のタイミングが良かったのか、アニメでは消されずにすみました(ただし、当初は担当声優さんが固定されないモブ扱いだった)。と言うか、パーマとチビはデザインそのものが変わっており(パーマのキャラデはコースケを元にしており、原作のコースケの役処もアニメではパーマが担当する)、原作の四人組とでは構成が違います。もちろん、アニメ版のほうがキャラの描き分けが優れています。原作の四人組にはアダ名すら無かったことと併せて、高橋さんが四人組をそこまで重視していなかった証拠でしょう。
ついでに、千葉繁さんの怪演によって命を得たメガネも、アニメ版の四人組のキャラ立てに大貢献しましたし♪
四人組以外で原作とアニメとで大きく違うのは、一つは友引高校です。
原作では普通の鉄筋コンクリートと思われる、テンプレな校舎ですが。
アニメでは、なぜか古風な木造モルタル二階建て時計塔の校舎で、窓もサッシではなく観音開きという。
校長も原作と違い、当初は口髭&蝶ネクタイのお洒落な紳士でした。いつの間にか、原作準拠の眼鏡で禿で緑茶好きな校長に代わっていたのは、異動でもあったんでしょうか?(友引高校は区立)
そして2年4組の担任は温泉マークではなく、アニメ独自の栗林三十郎という、問題児を抱えた学校を依頼を受けて渡り歩くフリーの雇われスパルタ教師という不思議なキャラでした。こいつの登場回はアニメのオリジナル話で、ぶっちゃけ、つまらなかった。以降、第2クールいっぱいまで、栗林は原作の温泉マークの代役となります。課外活動で、あたるが河童に攫われて沼に沈んだとき、自分のことを「懲戒免職だ」とか「退職金も出ない」とか「妻と腹をすかせた子供と老いた母がいる」とか、あたるの命より自分の生活を心配していたシーンが一番、判りやすいかな。原作の温泉マークは、栗林同様に世帯持ちなんですよね(アニメの温泉マークは「三十四歳、独身」とされており安アパートに独り住まい)。
栗林の受けが悪いのか、校長を含めて反応が悪かったのか。第3クールから友引高校は、ごまかしの効かない校舎を除き、原作準拠に戻されました。2年4組の担任も温泉マークになりました、つかいきなり温泉マークが出てきて栗林が消えました。この段階で青春大好きな花和先生も着任、原作準拠の姿勢を強調していたような気配もします。ひょっとして小学館サイドから何か言われたのかな?
もう一つは、友引高校を取り巻く環境。「しのぶさん好きじゃー」な仏滅高校総番こそ原作からのキャラですが、それ以外の周辺校、仏滅女学院などなどの連中はアニメだけの存在です。そして、そこから拡大したと思われるのが、例の立ち喰いのプロたち(せっかくなので、牛丼仮面も、ここに入れてあげよう♪)。押井監督と伊藤さんの悪乗りでしょうね。この設定は、後に『パトレイバー』や『紅い眼鏡』、『立喰師列伝』などで、さらなる広がりを見せます。
おっと脱線しかけた。
アニメ版『うる星』は第2クールまでの半年間、三十分二話構成でした。つまり一話が十一分程度。局やスポンサーが“ジャリ番”と考えていたのかもしれませんね。それゆえの窮屈さから、押井監督も迷走していたと思われます。雑で退屈な回も多かったんだよ。
なので、きっと憂さ晴らしに、たまーに掟破りの三十分一話(全話通しての名作とされる『ときめきの聖夜』とか『スペースお見合い大作戦』とか)を出していたとも思えます。力入ってましたからね。
それが第3クールからは一話構成となり、いよいよアニメの『うる星』も本格始動というわけです。
実際、これ以降は傑作が続きます。TVSPからは伊藤和典さんが脚本参加されたのも大きいでしょうね。
『美少女は雨とともに』『レイ復活! 自習大騒動!!』『怪人赤マントあらわる!』『戦りつ! 化石のへき地の謎』『階段に猫がおんねん』『命かけます授業中!』などなど、そしてTVアニメ終了記念企画のランキング視聴者投票で一位に輝いた『君去りし後』も。これらすべて、原作を尊重しながらも巧みなアレンジを加え、良い方向に強化しています。
こういった流れを受けて一旗あげたのが劇場版一作目『オンリー・ユー』でしょう。この頃のアニメ版の良さがすべて注ぎ込まれていた。聞くところによると、高橋さんも絶賛されていたそうで。
これ以降も名作ズラリです。
が、同時に、原作に無いオリジナルの実験的ストーリもチラホラ。『しのぶのシンデレラストーリー』『そして誰もいなくなったっちゃ!?』『恐怖! トロロが攻めてくる!!』などなど。
中でも『みじめ! 愛とさすらいの母!?』は、劇場版二作目のプロトタイプとも言われるほどの異色作でした。
そして、その劇場二作目であり、にも関わらず「高橋作品」ではなく「押井作品」であった『ビューティフル☆ドリーマー』(これの評価云々については、また別の機会に)を最後に押井監督は『うる星』を降板、ぴえろも退社。
押井体制が終わったところから、アニメ版『うる星』の緩やかなる劣化が始まりました。残念ながら。
それでも、後任チーフとなった、やまざきかずお監督を始め、スタッフの熱意は本物だったのでしょう。何とか盛り上げようというのは感じられた。
迷作も少なくなかったけど、名作ももちろんあった。押井監督ほどのムチャクチャさは無いものの、充分に楽しめました。押井監督と同時に伊藤和典さんも降板されましたが、それでもこの頃は脚本家陣が充実していたんですよね。カラーが変わっただけでパワーは落ちてない、と言うべきかもしれません。
製作が、ぴえろからディーンに代わった中での名作と言えば、一連の子ギツネ物でしょうか。アニメ版オリジナルのキャラであるカカシの三四郎くんが大人気となったのは記憶に残っています。
ただ、それでも、どうしても徐々にパワーダウンもしくはマンネリ化しつつあったのは否定できない。
それと、やまざき監督や脚本の井上敏樹さんあたりが、どうも押井監督の影を追いかけていた、あるいは押井監督の呪いに縛られていたような気がするんですよね。
それが感じられる話はいくつもありますが、顕著なのが『退屈シンドローム! 友引町はいずこへ!?』でしょう。原作にある“缶ジュース”の話を大改造してしまい、『トワイライト・ゾーン』や『ウルトラQ』のようなストーリに作り替えて見事…………こけた回です。本人たち、何がやりたかったのか自分でも理解が中途半端だったと思いますよ、あれは。
このためか、やまざき監督による劇場版『リメンバー・マイ・ラヴ』と『ラム・ザ・フォーエバー』は、ともに微妙な出来で。
しかもこの二作品、作画や音響が一作目二作目よりダンチで高品質だから始末が悪い(苦笑)。
三作目『リメンバー・マイ・ラヴ』は、テーマが一貫していたのでストーリは良いのですが、とにかく演出がダルだった。テンポ悪くてね。
四作目『ラム・ザ・フォーエバー』は監督が三作目に不満だったのか、三作目と同じテーマを自らの脚本でやっちまった。なので、もう何も言いたくないレベル。メガネが愛用の“重モビルスーツ”を着たことだけが評価に値しますかね。(;^_^A
巷で人気者の因幡くんが出るのは、放送終了から一年くらい経ってリリースされたOVA『'87』。
原作最終章をアニメ化した『完結編』が劇場公開されたのは、それよりもさらに後のこと(TV終了後も連載は続いてたんだから、あたりまえか)。これは完全に原作準拠で変なことをしていないので、原作ファン向けと言えると思います(ただしオイラは、そこまで感じるものがなかった。原作完結でお腹いっぱいだったからか? TV版と雰囲気が違いすぎたからか?)。
それ以降も、なぜかOVAが何巻か出ましたが、TV版のスタッフが解散していることもあり、その出来に届くわけもなく。
なぜか劇場版六作目も作られましたが、もはや内容を憶えてすらいません。TV版の雰囲気が皆無だったからでしょうね、きっと。
えーと。
途中から完全にアニメだけの話題になっちまってますが。
それは原作が完結までずーっとブレずに安定していたからに他なりません(マンネリ化はあったけど、その都度、新キャラ投入で乗り切ってた)。だから触れようがなかった。
原作が変化したのは唯一、あたるたちが1年4組から2年4組に進級したときだけですし、これは作者サイドが判っていて意図しての舵切り。
それ以外でのブレが皆無という点でも、高橋留美子さんの力量に感服させられます。
一方、TV版はTV版で、森山ゆうじ、西島克彦、土器手司、西村純二、吉永尚之、島田満、土屋斗紀雄、井上敏樹、網野哲郎……等々(以上、敬称略)、その後に活躍する人たちが関わっていたという点でも重要なアニメ作品だった。
いろいろな面で、その後のアニメ作品群に与えた影響は大きかったと思います(この流れを宮崎駿監督はネチネチ批判しておられましたけどね)。