折りたたむ
第一巻のプロローグ、千年前に栄えた国の成れの果てである迷宮発見のいきさつにて触れられた「狂乱の魔術師」なるラスボス、そしてそれを倒した者にすべてを与えると言い残し塵になった「王」を名乗る人物。
これは単に物語に箔を付けるためだけの導入だと思っていました。このまま放置するものと思っていました。
ところが第四巻の最後。
唐突に現れた黒エルフが、どこかで見た顔だと思いましたら、第二巻の「生ける絵画」の中にいた道化師(の成長した姿)ですよ。
この生ける絵画のエピソード『宮廷料理』にて、腹ぺこ主人公ライオスは
「絵に描いた餅を食う人の絵」を実行するために絵の中に入るのですが。彼が食べ物を求めて入った三枚の絵は、デルガル王子の生誕、王子の結婚式、そしてデルガル王の戴冠式という、国家として重要なシーンを描いており、その王子(王)に常に付き従っているのが黒エルフの道化師(というより、おそらくは護衛)でした。戴冠式の場が、絵画の飾られている部屋そのものなので、絵は迷宮になる前の城の史実を描きとめたものだと判ります。これは中世あたりに実際にあった記録手法で、今で言う記録写真に相当します。つまり、物語世界においてデルガル王は過去に実在した人物ということ。それが、第四巻の道化師再登場によって、より確実なものとなりました。
となれば、そこから少しだけ推測を加えて。
プロローグで、地下への入り口を発見した村人たちに「狂乱の魔術師」のことを教え「すべてを与えよう」と言い残して消えた王とは…………デルガル王しか、ありえません(演出的に)。
『宮廷料理』のエピソードは、あくまでも城の記録に触れただけのことで、ライオスたちに直接かかわるものではないと高をくくってました。
生ける絵画というのは魔物ではなく、仲間である魔術師マルシルの説明によると
「絵画を媒介にして幻を見せる魔術」とのことで、要するにヴァーチャル・リアリティの世界に冒険者を取り込むということです。であれば、絵画それぞれでVR世界は独立している。歴史映画を3Dで体感するようなもののはずです。
にも関わらず、戴冠式の絵にいた道化師はライオスのことを
「王子の誕生の日や結婚式にもいたな」と憶えていました。つまりリンクしている、いや、時系列がつながっている。となると、ライオスは幻を見たのではなく絵画を媒介に過去にタイム・トラベルした、となりませんか?
でもって、ライオスを曲者として問いつめた道化師が千年分の成長をしての再登場ですから、ただで済むはずありません。
そもそもライオスは「すべてを」手に入れるつもりなど、なかったのです。何となく冒険者になっただけで(笑)。しかしながら、あっちから接近してくるとなれば話は別です。こっちの意思に関係なく、狂乱の魔術師につながるゴタゴタと関わらざるを得なくなりそうな気配。
加えて。
炎竜に喰われた妹・ファリンの蘇生がね。成功……したの? って演出なのが不穏な空気を醸し出しています。
このあたりも「作者、上手いな〜」と思わせてくれる部分なのですが。
物語開始早々、炎竜に喰われ退場したファリンは常に糸目であるのを外見上の特徴としています。その後、回想にて何度か登場する際も常に糸目で、瞳は描かれません。
この複数の回想シーンは、読者に、ライオスたちがファリンを大切に想っていることを示す目的だと思っていました。
それもあるでしょうが、実は主目的は違った。
第四巻でライオスの夢に出てきたファリン(夢の最後に意味深な言葉を残した)と、白骨から蘇生したファリンは、瞳が描かれているのです。糸目にもなりますが、見開いているシーンのほうが多い。蘇生成功に喜んでいるライオスたちを尻目に、読者は甦ったファリンに強い違和感を憶えることになる。これこそが、回想シーンを何度も描いた作者の真の目論みです。
同時に、同じ第四巻の頭、息抜き回と思われた『地上にて』がトンデモな伏線であることにも気づかされるのです。ライオスたちと知り合った研究者のタンスじーちゃんが島主を焚きつけるあたりは、ともかく。元仲間だったナマリが、じーちゃんの身内である双子を食事に誘い迷宮内での心得を説くシーンで言っていた、蘇生における危険性の一つ、魂が混じるリスク。
そしてファリンの蘇生には黒魔術を使い、肉体再生の素材として、通常なら新鮮な家畜の死体を使うところを、倒した炎竜の死体を急場しのぎに利用した。
それらの情報すべてをまとめると、結果はどうなるか…………。