折りたたむ
ようやくハリウッドが自らの手で黒歴史(例のイグアナもどき、ね)を葬り去った。
と言えるほど、今回の、あいつは「ゴジラ」でした。よくやってくれた。素晴らしい。
この監督さんは、イグアナもどきの勘違い思い上がり監督氏とは違い、ゴジラという存在をきちんと理解しておられますね。
それが、よく判る作品でした。
ゴジラが畏怖すべき「荒ぶる神」であること。
したがって、ゴジラは人間など意に介していないこと(ただし、第一作目に登場した個体は肉食性で、人を捕食していましたが)。
ゴジラ最大の武器が実は、長くしなやかな尻尾であること。
ゴジラはTレックスではないので、直立での二足歩行をしなくてはならないこと。
などなど。
そして、例の決め技をちっとも出さないので嫌な予感がしていたのですが、引っ張って引っ張って引っ張った挙げ句に、ついに背びれが白く光ったときは、もー鳥肌立ちましたよ。
監督さん、ゴジラ好きの気持ちも、よく判ってらっしゃる♪
今作品独自の新解釈として。
ゴジラは太古の生態系において頂点に位置していた(日本版では基本、水爆実験の放射線による突然変異体という設定)。
ゆえに、種族として元から体内に天然の原子炉を持っている。
Tレックスなどとは別の系譜なので、あの直立姿勢で二足歩行をする。
ビキニ環礁を始めとする各国の水爆実験は実は実験ではなく、ゴジラを対象とした実戦だった。
放射性物質を主食とする M.U.T.O. は、ゴジラ体内の原子炉に産卵する(現代では、ゴジラの代わりに原発や核兵器があるので、特にゴジラを必要とはしない)。
このため、ゴジラは M.U.T.O. を種族の敵として認識、積極的に攻撃する(劇中、芹沢博士の言う「自然界のバランス」ですね)。
旧作品を全否定することなく、巧みに新解釈を取り入れていると思います。
このあたりも、日本生まれのゴジラの設定を尊重しようとする「敬意」のようなものすら感じます。
旧作では、水爆の脅威が具現化した存在であったゴジラですが。
今回、核の脅威は M.U.T.O. に委ねられました(ただし、M.U.T.O. 自身が放射線を撒き散らすわけではなく、食事のために核施設を狙っては容赦なく破壊することで結果的に地域を汚染する、という意味でですが)。
米軍総動員であたっても、M.U.T.O. 一匹も倒せず、結果的にゴジラの闘争本能に頼るしかない。
ゴジラは米軍の攻撃を蚊に刺された程度にすら思っていないので、反撃もせず完全無視。
洋上でゴジラと遭遇した空母サラトガなんて、ゴジラに見逃してもらっている始末(笑)。
ここまで米軍が無力に描かれるのは、従来のハリウッド映画では、ありえないことでしょう。実際、ハリウッドでは「怪獣モノ」は受けない、という定説がありますからね。例のイグアナもどきの監督も「日本の『ゴジラ』は一部のマニア向けにすぎない」ので、世界中に売り込むために、あのイグアナもどきに変えたそうで。よって、そのイグアナもどきには米軍の火力が通用するわけ。
制作側のこの変化は、あるいは『Transformers』や『Pacific Rim』が大きく影響したかもしれませんね。
どちらも、ハリウッド映画ながら、その発想の根底は日本の特撮ですから。
物語の構図としては。
ゴジラの専門家である芹沢博士の視点。
十五年前に M.U.T.O. の被害者となったフォード・ブロディの視点。
この二つが並行して進みます。
が、主人公はフォード・ブロディのほうでしょうね。
冒頭、原発のメルトダウンで母親を亡くす小学生として登場。「十五年後」のテロップだけで一気に家庭を持つパパとなり、米軍人でもある。という立場で、妻子を心配しながらも兵士として M.U.T.O. と関わり続ける立ち位置。ラストに妻と息子に再会、ハッピーエンドとなるわけですが。
既視感があって、何だったかな? と少し考え、スピルバーグ監督の『War of the Worlds』に行き当たりました。あの主人公パパは、離婚した妻から子供を一時預かりしていて、そこに異星人による侵略攻撃が始まり、大混乱の中を妻の許まで子供を届ける、というのがストーリの流れとしてありました。
あれに似ているのです。
単純に「怪獣被害と、それに抗する人類の作戦展開」という構図にせず、人間ドラマの要素を大きく盛り込むのは、ハリウッドだからでしょうか。まー、大人向けにする、ってことかもしれませんが。
気になった点は。
ダンジョン的に薄暗い通路や施設内を軍が索敵や捜索のため銃を構えて歩く。
何か(小窓や扉など)を見つけて、そっとうかがう。
そして、突入してみれば。
何物かに兵士が襲われる、と思いきや。青空が見える。
外側からのカメラ視点に切り替わり、完全に崩壊した施設の全貌がロングで写る。
この演出パターンが、しつこいほど何度も何度も出てきました。さすがに、くどいです。
それと。
芹沢博士がね。
やたら、あちこちに顔を出すわりに、実は役立たずだったりします。
第一作の芹沢博士と本多猪四郎監督の名前をいただいたキャラにしては、情けないです。
芹沢博士が、やったことと言えば、ブロディ父子を連れていくよう軍に指示を出したことくらい。その結果、重傷の父は病院に行くこともなく死亡、フォード本人も、この同行がラストまでの受難の始まりだったことを思えば、芹沢博士の存在は少なくとも、この父子にとっては迷惑ですらありました(爆)。
広島で亡くなった父親の形見である懐中時計と、それに絡んでの核兵器批判も、とってつけたような置きかたで、あまり巧みとは思えませんでした。
要するに、芹沢博士って不要なキャラだったと思います。残念ながら。
いや、ゴジラの化石から回収した卵を孵した功績があるな。つまり M.U.T.O. のうちの一匹を現代に甦らせた功績(をいっ)。
もう一つ。
M.U.T.O. の外見が、あまりにも平成ギャオスだったこと(笑)。
あれだと対戦相手はガメラにすべきでしょ(爆)。
それにしても、冒頭の原発事故と言い。
十五年後の立ち入り禁止区域の廃墟ぶりと言い。
中盤のホノルルでの大津波と言い。
生々しいシーン続出で、仮にやろうとしても日本では作れない映像でした。原因が怪獣とは言え「3.11」そのものでしたからね。
と同時に、弱いことは弱いのですが、「ヒロシマ」を含めて核批判が込められていたことは、ハリウッド映画として珍事かもしれません。
面白いのは、M.U.T.O. が強力な電磁波を発生させるため、米軍の最新兵器すべてがダウン、ガラクタになってしまうという点。無様に墜落する戦闘機群が哀れどころか滑稽ですらありました。
これなんかも、現代文明に対する皮肉に思えますね。
人々が避難するにも今の車は電子機器ですから、米軍と同様。
昔々の古すぎる車なら動くのかな? とか思うと、古い車やバイクを鉄クズにしてはいけないな、などとも思います(笑)。