『大魔神カノン』って 
 何だったんだろうねぇ。


 
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 あの『大魔神カノン』が完結しました。
 
 いやー、始まった当初、まさか2クールやるとは思いもしませんでした。
 と申しますか、何話かを観て「こりゃ1クール作品だよな」と思ってましたよ。
 なのに、2クール半年間。
 大胆な。と思ったのは妖之佑だけではなかったと思います。
 
 観ながら、ずーっと悶々としていたものを、ムリクリですがまとめてみました。
 正直、アンチ的内容ですので、『カノン』大好きなかた、高寺プロデューサーの信者さんには不愉快な内容になるかと思います。
 ので、そういったかたは、以下の文章をご覧にならず、スルーされることをお薦めいたします。
 
 
 
 
 
 道中、観飛ばした回も、いくつかありました。
 忘れいてたわけではなく、「まあ、いいか」と観なかったりしたわけで。
 観ていて「今日は特に退屈だ」と、途中でTVを消したことも何度もあります。
 
「大魔神」のタイトルは、本当に客寄せのネオン程度でしかありませんでした。
 あるいは高寺Pが角川からOKを貰うために、この看板を利用したのかもしれませんね。メジャーなタイトルなら制作費も出る、ということは東映時代に学んでおられるはずですから。
 でも、それで「リメイク」とまで言うのは、やめてほしかったですね。だって、全然別物ですから。
 
『カノン』は、まちがっても大映の名作『大魔神』のリメイク作品ではありません。
 むしろ、『仮面ライダー響鬼』のリメイクと言うべきです。いや、焼き直しかな。
『響鬼』を途中降板させられた高寺Pが、『響鬼』でやり残したことを『カノン』でやろうとした。
 もちろん、まんま『響鬼』の流れをなぞったわけではなく、主人公・カノンとオンバケたちとの温かい交流が成立するまでは『響鬼』との類似点が存在した。という感じでしょうか。
 
『響鬼』は、いつも憧れのヒビキさんの後ろをついてばかりいる少年・明日夢くんが、自分の道を見つけるまでの物語。
 あの前期のED映像は印象的でした。明確に映されているわけではありませんが、歩くヒビキさんの背中をずっと見ているカメラの構図は、明日夢くんの視点に他なりません。それがEDの最後で、ヒビキさんは振り返って軽く「シュッ」と挨拶すると、明日夢くんをその場に残して走り去ってしまうのです。「ここからは独りで歩けよ」とでも言うように。流れている主題歌『少年よ』も、まさにそんな内容ですしね。
 たぶん、高寺Pは『響鬼』の最終回で、これを描きたかったんだと思います。その意味では、後任である白倉Pと井上本による実際の『響鬼』最終回は、その流れをある程度は継承できていたと言えるでしょう。まー、視聴者として不満タラタラではありますがね(苦笑)。
 
 対して『カノン』は、親の反対を押し切ってまで自分の道を進もうとした田舎育ちの少女・カノンが都会の、と言うか大人の世界、大人の事情、大人の実態によって傷ついたところから始まるわけです。つまり、ヒビキさんを追いかけることをやめた明日夢くんの、その後です。
 そんな、独り歩きで傷ついたカノンが、純朴なオンバケたちとの交流を経て立ち直る物語ですね。
 
 別に、まちがっちゃいないんですよね。方向。
 なのに、なんで、あんなに退屈なんでしょうか。
 
 原因は、第一にテンポの悪さ遅さ。
 まず、1クール目の進みかたが超牛歩。
 カノンを泣かせた元凶である二股かけた盗作男に一つのケリをつけての2クール目は、カノンが人との関わりについてあれこれ考え悩む過程が、一話一話てんでバラバラに進行します。
 
 そして、もう一つの原因。
 主人公の立ち位置にあったと思うのです。
 
 明日夢くんは『響鬼』第一話の時点では高校受験を間近に控えた中学三年生、つまり15歳でした。
 そして男の子ということもあって、たまたま目撃してしまった鬼(妖怪退治の専門家)と魔化魍(人喰い妖怪)との闘いに驚くと同時に、鬼に変身したヒビキさんに強い憧れを抱くという流れがあります。
 ために、その後の明日夢くんは、EDのようにヒビキさんを追いかけてばかりいます。そして、ヒビキさんと、その仲間である甘味処「たちばな」(魔化魍退治の秘密基地)の面々も明日夢くんと交流することに。
 それは必然的に明日夢くんが魔化魍事件とも接点を持ち続けることになるわけ。視聴者が観たいと思う戦闘シーンにもある程度は同席するわけですから、明日夢くんの物語と特撮番組の売りであるバトル・シーンとが離れずにあった。
 
 ところがです。
 田舎から出てきた女子大生・巫崎カノンには、そんな明日夢くん要素がありません。皆無です。
 カノンは「いのりうた」を受け継ぐ歌姫の末裔というガチすぎるほどのストーリーの核的な設定を課せられているにも関わらず、本編内でやっていることは、本当にただの平凡な女子大生です。平凡に終始しています。
 歌姫であるがためにオンバケ(日々、人助けに努める妖怪)・タイヘイから接触を受けるのですが、カノンはタイヘイたちと心を通わせてからも、オンバケたちのイパタダ(悪霊)退治に対して、一切関わりを持とうとはしません。ただ、「オンバケさんたちって、たいへんですね」と言うばかりで、てんで他人事。
 ある意味、無謀にもチョロチョロ危険に首を突っ込む明日夢くん(あきらくんから厳しく叱られてましたっけ♪)と違い、カノンのそれは小市民としては至って正常な反応です(笑)。
 
 ですがね。
 それって特撮番組の主人公としては、どうよ?
 と言うこと。
 
 明日夢くんが非常識にもバケモノ退治に首を突っ込みたがるおかげで、明日夢くんの日常と、ヒビキさんたちの魔化魍退治との二本軸が良い感じで付かず離れずだったのに対し。
 カノンの日常は、イパタダ退治とは完全に離れています。カノンを歌姫として連れ帰りたいタイヘイがカノンに近づくに比例して、タイヘイまでもがイパタダ退治とかなりの距離を置いてしまうという体たらく。実際、2クール目ではタイヘイはイパタダと一切闘っていませんよね。
 ビビキさんの立ち位置にあるはずのタイヘイがこれではもう、あかんでしょ。
 おかげで、カノンの人間ドラマと、イパタダ退治との二本軸は、どこまで行ってもまったくの平行線。交わることが一切ありません。
 
 終盤になって、ようやく歌姫のことを知らされたカノンが、武人様・大魔神(おおまひと)の説得にあたるわけですが……さすがに時既に遅し。と言うか、もう乱暴なほど力業で持っていった展開。
 武人様が思いっきり人間臭く、拗ねていじけたヒッキーであっても、それは別にいいんです。元々、岩となっていた武人様が最終回に復活して巨大イパタダと闘う展開は、最初から約束されていたわけですから。
 ただ。途中をあれだけ退屈させられただけでも、半年もかけた作品としてどうだろうか、という疑問しか残らないわけです。
 最終回だけを取り上げれば、あの形は、あれはあれでアリだとは思います。でも、「終わり良ければすべて良し」とは、こーゆー場合に使う言葉じゃないですよね。最終回にまで視聴者を飽きさせずに引っ張っていく過程こそが大切なのに。
 
 ちなみに、この『カノン』、制作費が十億円だそうです。
 これが多いのか少ないのか、よく知りません。が、その大半はCG特撮に使われたとも聞きます。何でも、建物が壊れるときの瓦一枚一枚まで描写したのだとか……。
 力を入れるところは他にあったように思うんですけどね。
 
 脇を固める出演者も、それなりに豪華でした。
 長門裕之さん、柴田理恵さん、渡辺いっけいさん、大空真弓さん、石井正則さん(アリtoキリギリス)、池田秀一さん(赤い彗星)、そして最終回にだけ登場して無意味に存在感を主張したオダギリジョーさん(もちろん『クウガ』)。
 人間形態を持たないオンバケたちの声にも、上條恒彦さん、加藤精三さん(星一徹)、田中信夫さん(総裁X)、小林清志さん(次元大介)、皆川純子さん(「まだまだだね」)……等々。
 
 無駄に力を入れるのは嫌いじゃないんですが。それも、中心の軸がきちんとしていればのこと。
 ストーリーが退屈だった『カノン』については、素直に「うわー豪華ー♪」と喜べませんでしたね。
 まあ、最終回にカノンの兄役でポッと出するのがオダジョーでなく細川茂樹さんだったら「おおーっ!」となったんでしょうがね、この私も(笑)。
 
 ぶっちゃけ、全然観なくてもよかったな。
 
 と本気で思う作品には、中々お目にかかることはありません。普通、そういうのは実際に途中で見限りますから。
 その意味では、迂闊にも最終回まで観ちまった『カノン』は稀少な作品だったのかもしれません。
 
 
 
 蒸し返すようで、何ですが。
 P降板劇が無かった『響鬼』の完結を観てみたかったですね。
 今さらながらですが。本当に。

 
 
庭に出る

 
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