その28・『仮面ライダー響鬼』の感想等々


 
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『仮面ライダー響鬼』(東映公式テレビ朝日公式)が終了しました。
 一年前に一之巻を観たときは、これは面白そうな番組が始まったと喜んだものでしたが……見事に裏切ってくれました。
 このページは、それに対する恨み節です!
 
 嘘です(笑)。
 なるべく感情的にならずに自分なりの感想・意見めいたものを書きたいと思っています。
 よろしければ、おつきあいくださいませ。m(_ _)m
 
 
 
 一之巻を観て期待したと申しましたが。
 二十九之巻までは、不満ももちろんありましたが、おおむね満足して楽しませていただいていました。
 裏切られたと感じたのは、プロデューサーやメインの脚本家が交代となった三十之巻からです。
 この前代未聞の交代劇に関して、また『仮面ライダー響鬼』そのものについても、ここで説明しますと長くなりますので省きます。公式サイトで一つひとつお調べいただくのももちろんアリですが、Wikipediaにたいへん判りやすくまとめられてありますので、こちらを参照されるのが一番効率がいいと思います。作品の専門用語等々も、こちらでご確認くださいませ。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/仮面ライダー響鬼
 
 
 
 まずは一之巻から二十九之巻までについて、私の好きな点を箇条書き風に並べてみます。
 
※ 従来の作品のように重い宿命を背負ったライダーではない。
 
 この作品内には「仮面ライダー」という呼称は存在せず、「鬼」と呼ばれますが。この鬼たちは、ある種、職業として「人助け」をしています。
 鬼が闘う相手「魔化魍(まかもう)」はいわゆる妖怪で、自然災害のような性格を持っています。従って鬼の立ち位置は、消防署員やレスキュー隊員に近いものになります。職業ゆえに、なるのも自由意志、もちろん引退もできます。
 自分の体が異質な物になってしまい「ライダー」であることから逃れられない『クウガ』や『アギト』、あるいは、いわゆる“昭和ライダー”とは違ったこの独自色をたいへん面白く感じました。
 また、誰でも強い意志と努力次第で鬼になることができるとなっておりますが、これは「誰でも金メダルを狙える」とか「誰でもノーベル賞を狙える」とかのハイ・レヴェルな話であり、アイテムさえあれば基本的には誰でも“変身”できるお手軽装着な『龍騎』や『555』、『剣』に比べ、ずっと好感の持てる設定だと思います。鍛えなければ鬼にはなれないのです。
 
※ 闘いかたが、いきあたりばったりではない。
 
 上の項目と関連しますが。この作品には鬼達を最前線とした、魔化魍退治の組織「猛士(たけし)」というものがあります。
 古来から魔化魍が自然発生的に出現してきた関係で、この猛士の戦略はまさに災害被害を最小限にすることに重点が置かれます。
 細かくは公式サイトや「Wikipedia」などでご確認いただくとしまして。簡単に説明しますと、過去のデータなどにより魔化魍の発生予測をするとか、あるいは事件が起きたなら、その事件の魔化魍のタイプが何なのかをまず割り出します。その結論を元に最適任の鬼(鬼ごとに得手不得手があるため)を派遣するという形で、魔化魍退治は進められます。
 この戦略を実現するために、魔化魍が主に発生する自然豊かな土地(要するに田舎)には、情報収集を受け持つ駐在員のような人達(高齢者が多い)が、猛士のメンバーとして活動しています。
 さらには、主人公・響鬼(ひびき)が籍を置く猛士の関東支部には11人の鬼がおり、勤務シフトによって待機と非番を交代するという徹底ぶりです。
 こういった、ある意味、ちっとも切羽詰まっていないライダーおよび組織のありかたは、これまでのライダー作品にはありませんでした。魔化魍は決して滅びることなく、去年も今年も来年も現われるのですから。
 
※ 主人公が三十路、いわゆる「おっさんライダー」である。
 
 響鬼に変身するヒビキさん(鬼に変身する人達は普段はカタカナの通称を使い、本名は決して名乗りません)は31歳、高校生のときに鬼となってから十年以上も闘ってきたベテランという設定です。
 これまでの、いわゆる“平成ライダー”は、頼りない若者がライダーになってから成長していく(あるいは成長せざるをえない)物語でした。が、ヒビキさんは一之巻の段階ですでに実戦経験豊富で、決して迷いや焦りを見せずに魔化魍と闘います。ひょうひょうとさえしており、その余裕ぶりが魅力でした。
 しかも手抜きをせず、非番のときには常に「鍛えてます」し。
 
※ 出演している俳優さん達が皆、芝居上手である。
 
 ヒビキさん役の細川茂樹さんは、ヒビキさん同様に三十路。
 猛士関東支部の事務局長・立花勢地郎(いちろう)役の下條アトムさんの芸歴は触れるまでもなく。
 本当の主役とも言える安達明日夢(あすむ)くん役の栩原楽人さんら、他の若手俳優さんたちも演技がお上手で、観ていてまったく不安がありませんでした。
「オンドゥル語」なる伝説をも生み出した『剣』など、これまでの“平成ライダー”の俳優陣はいったい何だったのか? と問いたくなるほどです(苦笑)。
 
※ 舞台が東京下町であり、人情物の空気が強い。
 
 ヒビキさんからしてそうなのですが。レギュラーの登場人物達には毒が一切ありません。みんないい人で仲良しで和気藹々としています。
 一部に、猛士が切羽詰まっていないことと合わせてのその緊張感のない「ぬるさ」が許せない、との意見もあるようですが、私はこの雰囲気は大好きです。救いようのないドロドロした人間関係の多い“平成ライダー”の中、こういうまったりしたライダー作品があってもいいじゃありませんか。
 思えば、『ウルトラマン』の科学特捜隊や『ウルトラマンタロウ』のZAT、『仮面ライダー』の立花レーシングクラブなど、過去の有名作品にも実例はあるわけですし、最近でも『特捜戦隊デカレンジャー』などの空気は、これらに近いものだと思います。
 
※ ヒビキさんと明日夢くんの距離がいい。
 
 猛士の鬼たちの氏名には、実は神様視点では共通点があります。
 響鬼(ひびき)=日高仁志(ひだか ひとし)
 威吹鬼(いぶき)=和泉伊織(いずみ いおり)
 轟鬼(とどろき)=戸田山登已藏(とだやま とみぞう)
 斬鬼(ざんき)=財津原蔵王丸(ざいつはら ざおうまる)
 ……などなど。
 お判りですね? 名字と名前の頭の音が同じなのです。ちなみに、威吹鬼ことイブキさんの弟子の名前も天美(あまみ)あきらくん。
 そして、ヒビキさんとの関わりの中で成長していく実質的主人公たる少年の名前が安達明日夢(あだち あすむ)くん。
 ということで、明日夢くんが鬼になるのかならないのか。ヒビキさんの弟子になるのかならないのか。そういった部分で視聴者をミスリードしていく可能性を維持しつつ、二人の関係に「どうなるんだろう」と思わせる演出をしてくれます。
 しかも、毎回のエンディング画像で、ヒビキさんはあとをついてくる明日夢くんを最後には置いて、独りだけで去っていきます。その際に流れる主題歌『少年よ』の歌詞も、少年を独りで歩かせる内容になっていますし。
 私自身は、明日夢くんは決して鬼にはならない、と、初期の段階で予想していました。ヒビキさんは、男としては明日夢くんの良き師匠になろうとしますが、たとえ明日夢くんが望んだとしても鬼としての師匠になることは絶対にない、と。
 明日夢くんが鬼に興味を持ち、ヒビキさんにそれをほのめかしたときも、ヒビキさんははっきり「少年(ヒビキさんは明日夢くんのことをこう呼びます)を弟子にするつもりはないんだよ」と言いました。でも、ドラムをやっている明日夢くんに、「今度、一緒に太鼓を叩くか?」などと誘ってみたりと、少年の世話そのものは何かにつけ焼きたがっています。
 ザンキさんに「弟子は取らないのか?」と訊かれたときには、ヒビキさんは「俺的には、もう弟子を取ってるつもりなんスけどね」と答え、「明日夢くんか?」の再度の問いに、うなずく。
 簡単に、明確に明日夢くんを鬼の弟子にするよりも、ずっと物語に奥行きが出ていいと思うのです。
 
※ 細かな所まで丁寧に造り込まれている。
 
 画面の造りが丁寧なのです。
 下町のロケもそうですし。何より一之巻、二之巻は屋久島ロケでしたし。
 また、猛士の本部が奈良の吉野にあるという設定を受け、関東支部の鬼たちが移動に用いる車両のナンバーが「奈良」になっているなど、細かな部分までこだわっており、見つけると楽しいです(本編内容の質とは関係ないですが……)。
 
※ ディスクアニマルが良い♪
 
「ディスクアニマル」とは、鬼が現場で魔化魍の正確な位置を探索したり、魔化魍やその従属物である姫、童子を追跡したり、さらには実際の戦闘にも活用する人工の式神です。円盤状の物体が動物に変形するという楽しさで、玩具でも人気が出ました。
 このディスクアニマルは単なる機械というだけではなく。例えばヒビキさんの太鼓の稽古では、音に合わせて周囲で楽しそうに踊ったり。魔化魍を見つけ、ヒビキさんを案内する際に手招きしたり。闘いの後、バテて横たわるヒビキさんの周りに心配そうに寄り添ったり。ディスクアニマル同士で身振り手振りの会話をしたり。と、お茶目な仕草がいっぱいあり、画面に花を添えてくれます。
 
 まだあるかもしれませんが、ひとまず、こんなところで、私が『仮面ライダー響鬼』一之巻から二十九之巻までを好きな理由はご理解いただけたと思います。
 
 
 
 では、続いて三十之巻以降がどう変化したのかを述べたいと思いますが、基本的には上記に挙げた魅力がことごとく破壊されたとお考えいただければ、ほぼ正解です。
 
※ 鬼に対して生命に関わる重たい重責が課せられた。
 
 前期にて古傷が元で引退したザンキさんが、諸々の事情で、猛士専属の医師から厳しく止められているにもかかわらず、ふたたび斬鬼に変身して闘います。そして最期には命を落とします。
 これはこれで、四十五之巻のサブタイトルに使われた「散華」という言葉とともに、見せ場ではありましたが、前期の空気からは、かけ離れたものになってしまいました。
 また、事態を急変させた「オロチ」なる魔化魍の異常大量発生現象を迎え、吉野の本部がイブキに対し「殉職せよ」と言わんばかりの過酷な使命を与えます。こちらは「散華」したザンキさんほどの盛り上がりもなく、フェード・アウトのような収めかたをされ、脚本・演出の不味さを露呈してしまいましたが……。
 
※ 闘いかたが、いきあたりばったり。
 
 猛士の長い歴史の中で培われてきたセオリーが無視されるようになりました。
 魔化魍が出たっ。→ ヒビキ、イブキ、トドロキの三人が現場に急行。→ 三人で魔化魍相手に大乱闘。
 という“平成ライダー”伝統の、やっつけ仕事が目立ちます。猛士が重視していた予防的措置は、どこにいったのでしょうか?
 駐在員的なお爺さんお婆さんも出なくなりましたし、斥候としてのディスクアニマルの活躍も激減しました。
 さらには、前期には、「夏の魔化魍」と呼ばれる等身大魔化魍たちには太鼓による「音撃(おんげき)」(清めの音による浄化儀式と理解してください)以外は通用せず、管使いの威吹鬼や弦使いの轟鬼も、太鼓を稽古するという描写があったのですが。後期に入ると途端に、これがなし崩しに無視され、めいめいの鬼はそれぞれの得意武器のみで等身大魔化魍をバッサバッサと倒していきます。
 
※ 出演俳優が下手である。
 
 三十之巻から登場した桐矢京介(きりや きょうすけ)という新レギュラーを演ずる俳優さんが、他のレギュラー陣からは一人だけかけ離れて演技力が不足しています。桐矢の嫌味さ過剰な性格設定とも相まって、完全に浮いていました。
 いったい何を考えての追加レギュラーの設定とキャスティングだったのか、未だに理解できません。
 なお、桐矢については、あとできちんと触れなくてはなりません。
 
※ 画造りが雑である。
 
 悲しいかな、前期の丁寧さの名残もありません。
 上記の「いきあたりばったり」にも通ずるのですが。
 どこかの山中(どう考えても東京23区ではない)で魔化魍探索をしているイブキさんが突如、複数の魔化魍に襲われる。急遽、威吹鬼に変身、闘いますが数が多すぎる。一方、東京下町に在る関東支部に、その威吹鬼から電話、応援要請があります。威吹鬼はどうやってケータイをかけたのでしょうか? ともかく、要請を受け、ヒビキさんとトドロキさんが現場に向かいます、バイクと車で。次の場面で魔化魍たちに取り囲まれ満身創痍の威吹鬼の所に、さきほど下町を出発したばかりの二人が駆けつけ変身、加勢します。
 というように、時間と距離という矛盾を完全に放り投げてしまっています。子供向けだからと言うには、脚本も演出もあまりにも乱雑な仕事ぶりだと思うのは、私だけでしょうか?
 最終之巻に至るまで、この手の「瞬間移動」は、くどいほどに乱用され続けました。
 
※ ディスクアニマルをロクに使わない。
 
 あの子たちの活躍が激減しました。
 これでは玩具もますます売れなくなりましょう。
 せっかくグッドデザイン賞を受賞したというのに、もったいない話です。
 
※ 人間関係がドロドロになり、下町の風情が消失した。
※ ヒビキさんと明日夢くんの距離が狂った。
※ どんな**でも鬼になれるようになった(爆)。
 
 先に挙げた桐矢京介(きりや きょうすけ)の登場が、すべての元凶です。
 簡単に紹介しますと、明日夢くんのクラスに転校・編入してきた桐矢というのは学業面では天才肌の二枚目キャラクターです。ですが、実はコンプレックスの固まりで、常に自分は人より優れていると認識したいがために他人を卑下してばかりいます。つまり人の気持ちを思いやることのできない、いわゆるDQNであり、無自覚に言葉で他人を傷つけて回るのです。
 この人物が一人加わっただけで、前期の下町人情ドラマが完璧に打ち砕かれてしまいました。作品カラーの激変です。
 ある意味、ものすごい存在感なのですが、これは桐矢の登場シーンが他の俳優さん達と比較して異常に多かったことに起因します。このまるで主役並みの扱い、なにやら“大人の事情”の匂いを感じるのは私がひねくれているからなのでしょうか……。
 それはともかく、客観的に観ても、桐矢の頻繁な登場に必要性は感じられません。けっきょく、最終之巻でのメインが明日夢くんだったことからも、桐矢の優遇は無意味だったと思います。
 なにせ、桐矢京介は、その氏名が「き・き」となっているとおりヒビキさんに弟子入り、最終之巻では主題歌をバックに鬼(猛士公認の正式な鬼ではなく、あくまでも発展途上の「変身体」という扱いですが)に変身までしてしまいますから!
 たしか、鬼になるには肉体もですが、それよりも精神を鍛えなければならないはずなのですが、桐矢の空気読めなさすぎぶり、身勝手ぶりは、少なくとも作品で描かれている範囲では、さほど改善されていません。
 そんな心の持ち主が鬼になれたことには、混乱、というよりも失望が大きいですね。
 視聴者に納得させるためには、桐矢の成長を事細かく描く必要があります。その過程で、自分のしてきたこと、人を平気で傷つけてきたことに対する反省を桐矢にさせなくてはなりません。
 ですが、それをやれば、桐矢が本当に主役になってしまいます。
 そうなのです。この路線ならば、明日夢くんを降板させるか、少なくとも明日夢くんの視点を排除して完全な脇役に降格する必要があるわけです。
 ところが明日夢くんは、やはりヒビキさんとともに主役であり、にもかかわらず、なぜか脇役の桐矢の出番が異様に多い。
 中途半端な路線変更のせいで作品が破綻していると言っても、失礼ではないと思います。
 ラス前・四十七之巻と最終之巻の間には乱暴にも一年もの歳月が置かれており、その間、おそらく桐矢は人の何十倍も努力したのでしょう(初登場時の彼は極度の暗所恐怖症であり極端な運動音痴でした)。ですが、それを一切描写しないでは、視聴者、特に子供には何が伝わると言うのでしょう。
「あんな**でも鬼になれる」
 という歪んだものだけではないでしょうか。
 桐矢を優遇しすぎた脚本・演出には、一視聴者としては疑問しか残りませんでした。中途参加者が全部美味しいところを持って行ってしまった形ですからね。
 重ねて申しますが、桐矢を鬼にしたいのなら、はっきりと主役に昇格すべきでした。明日夢くんを降ろしてでも。それを怠った時点で、失敗が確定したものだと思います。
 あえて申し上げますが、三十之巻以降の新体制が犯した最大の過ちは、桐矢京介という登場人物を追加したことです。他はすべて譲っても、これだけは断固として断定します。
 
 
 
 他にもいくつも言いたいことはありますし、「こうしたほうが良かったのに」といったストーリへの意見めいたものもありますが、素人にすぎない私が制作のプロのかたがたの手法を具体的に批判することは、礼儀として差し控えておき、上記のとおり、好き嫌いだけを言わせていただきました。
 
 ですが、一点だけ。
 三十之巻以降、各所にばらまいてきた路線変更に伴う伏線らしきものは、最終之巻までに、すべてきちんと解決していただきたかったです。投げっぱなしは“平成ライダー”の悪しき伝統ではありますが、せめて前期体制が始めた今作品でだけは、その伝統は受け継いでほしくなかったですね。
 つまり、収拾つかなくなるほど大風呂敷を広げるなっ、ということです。
 
 
 
 最終之巻のラスト。
 明日夢くんの、
「僕は鬼にはなりません」
 という決意。そしてヒビキさんの、
「出会った頃からずっと、明日夢は自慢の弟子だったよ」
 という言葉。
 この二つの台詞を、物語を一年間見守ってきた視聴者として素直に受け入れられるよう、三十之巻から四十七之巻までを変に歪めずに進めていただきたかったと、つくづく残念に思います。
 
 ともあれ。
 プロデューサー交代劇という茶番に関わりのない制作スタッフのかたがた、そして出演俳優の皆さんには、お疲れ様でしたと申し上げたいと思います。
 途中までではありますが(苦笑)、素敵な物語をありがとうございました。

 
三つ巴  庭に出る

 
 
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