その24・“種”ガンダムへの文句


 
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※ ご注意
 
 ガンダム作品について述べていますので、「戦争」についても一部触れております。
 もちろん架空の戦争のことであって、今(2003.3.31.現在)の世界情勢とは何ら関係ない話ではあります。
 ですが「切り離して考えられない」というかたは、この頁はお読みにならないことをお勧めします。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
“種ガンダム”も早2クール(半年・26話)。折り返し点。
 回を追うごとに、どんどんつまらなくなる不思議なガンダム。
 
 メカ・デザインとかはいいと思うんだけどねー。
 レール・ガンによるモビルスーツの射出なんかは、絵的にも好き。戦艦アークエンジェルやストライクGの定番なデザインも嫌いじゃない。
 ストライクが“刀”を構えるというのも好き。妖之佑は前々からモビルスーツには日本刀を扱ってほしかったと思ってたから。ってか、そもそもが大河原さんの手によるガンダムって、鎧武者がモチーフだったはず(つまり、SD武者ガンダムは正しい姿ってコト♪)。
 これまでで一番“刀”にイメージが近かったのはシャイニング・ガンダムだったかな。左腰に二本差しのビーム・サーベルからの抜刀を見せてくれてたから。
 ストライクGも、ビーム・サーベルでなく“刀”を持つソード・ストライクは嬉しい図だ。
 ただ、Gのフェイズ・シフト装甲にはかなり疑問符だが。
 
 反面、肝心のストーリーとキャラクターがあれでは……。
 
 第一、なぜに21世紀のガンダム作品で、かつての“一年戦争”をトレスせにゃならんのか。しかも中途半端に。
 スペース・コロニーの住人だった少年少女たちがなりゆきで兵士になっちゃうって点もまさにトレス。制服の色が、男女でまんま青とピンクだもんなー。正規兵のが薄いグレー(あるいはベージュかな?)ってのもおんなじ。
 一年戦争のランバ・ラルとハモンを意識したであろう砂漠の虎&アイシャ@ビビアン・スーのカップルもトレス。そのわりに、たいした活躍もなくほぼ自滅状態というあっけなさだった。つまりは無意味なトレス。
 無理して似せることないと思うのだが、ストーリ。
 
 毎回性格の変わるレギュラー登場人物たちにも「?」マーク。特に艦長。
 まあ、たしかにアムロやブライトやカイたちも、回によっては「あれ?」って行動を取ることはあったけど。でも“種”ほどひどくはない。
 
 要は、設定をどう生かすか、その使い方という点かな。つまりは演出側の問題。
 
 例えば、賛否の分かれた第一話でのキーボード。主人公・キラがストライクの不完全なOSを戦闘の真っ最中にコックピット内で書き換えてしまったというアレ。
 モビルスーツのコックピットにキーボードがあっても不自然じゃないし、むしろあって当然だと思う。
 だが、その場でのOS書き換えは、いくらキラが人工優良人種「コーディネーター」であっても、無茶すぎ。お経を毎朝十万回唱えなさいっつー仏教の修行課目みたく現実離れがすぎる。加速装置でもないとねー。
 むしろ、不完全なOSのために、やむなく操縦桿によるアナログ操作を諦めて、キーボードで直接コマンドを入力して何とかストライクを操った、としたほうがキラの能力の凄さを納得させられると思うのだが。
 
 もう一人の主役・アスランにしても。
 無人島での敵との格闘で、10メートル近く(推定)もジャンプしちゃ、あかんやろ。
 いくら彼も人工優良人種だからって、スペース・コロニーの住人が、降下したばかりの地球上で、そこまで動けるなんて、変すぎ。天然の重力って、そんなに甘くないはずなのに。ただでさえ、特撮ヒーロー並みのジャンプだというのにサー、かなり無理がある。
 
 こんなムチャクチャな頭脳や運動能力や環境適応力がコーディネーターに備わってるというなら、そもそも地球軍vsザフト(コーディネーター国家)の戦争って、その様相がまったく違うモノになってるはずだと思う。
 
[コーディネータ(遺伝子改造種)vsナチュラル(天然種)]が、富野ガンダムにおける[ニュー・タイプ(宇宙適応種)vsオールド・タイプ(不適応、もしくは未適応種)]、あるいは[スペース・ノイド(スペース・コロニー人)vsアース・ノイド(地上人)]の対立図式を意識しているのは理解できるが。しかし、そのトレスのしかたが上手くない。
“種”みたく両者間の能力差をつけすぎては、モビルスーツ戦としてのストーリーが成り立たないと思うのだよ。
 もしも妖之佑がザフトの作戦立案者なら、派手な戦闘は一切避け、地球軍政府の内部破壊工作に徹すると思う。
 
 例えば――
 情報操作や撹乱によって要人の失脚を謀るとか。
 もっとストレートに要人の誘拐とか。
 ハッキングによる情報網の破壊とか。
 同じくハッキングによる経済麻痺(要は電子マネーのデータをムチャクチャにする)とか。
 同じくハッキングによって兵器工場の機能を麻痺させるとか。
 シンプルに、コンピュータ・ウイルスをバラ蒔くとか。
 偉い人同士の人間関係を操作して政府機構を弱体化・無力化するとか。
 地球の有力な平和活動組織にテコ入れして反戦ムードを増大させるとか。
 地球の反政府組織をつっついて、内乱にまで発展させるとか。
 地球に悪癖(新種のドラッグ等)を流行らせるとか。
 流通している音楽や映像やゲームのソフトに特製のサブリミナル効果を潜ませておくとか。
 ――こんなトコかな。
 
 戦闘中にOS書き換えるとか、地上で10メートルもジャンプするようなコーディネーターの異常能力があれば、その使い方次第ではあるいは無血勝利も不可能ではないし、血を流すにしても、一部の要人の暗殺のみで済みそうに思う。
“優良人種なりの戦いかた”ってあるはずで。それは全面戦争なお話でなく、スパイ物的なストーリー展開になるはずだろう、ってコト。
 つまりは、も少し両者の能力差を縮めてくれないと、話に納得いかないのだよ。
 たしかに、「コーディネーターは万能じゃない」という台詞が劇中にあるにはあった。それと、ザフトにも使えないおバカがいることをアスランの同僚であるヘタレ二名が証明してくれてはいるが。それならそれで、コーディネーターったって、ナチュラルと大して変わらないってゆーふーに描かないといけないはず。
 一年戦争のアムロ・レイは、確かにニュー・タイプとしての感覚はすごかったが、それでも、ただのガキんちょだった。超人ではないと、きちんと描かれてた。よく、すねたし♪
“種”で伝わってくるのは「コーディネーターってバケモンか」って印象ばかりなのだ。特に、コーディネーターの元祖について触れた回で、大きくそう印象づけてしまったと思う。
 となれば、すでに演出は失敗していると言えるか。
 
 そもそも“種”ってば、設定に走りすぎてるきらいがあるよね。
 登場人物たちに関する、本編中では触れられていない裏設定(公式の)は相当量あるそうで。その手のサイトでは話題がもちきりらしい。見てないが。いや、見る気もないが。
 ついでに言うと、ストーリーの流れで徐々に明かされていくべき設定すら、放送前からネタバレ(しかも公式サイトで、らしい)している、という有様。な〜に考えてんだか。
 
 仮面の男・クルーゼは、その“偽シャア”ぶりからも、何やらいわくありげな人物としての位置を与えられているようだ。想像するに、裏設定ではかなり物語の核心(“種”にそんなしっかりしたストーリー展開があるのかどうかは疑問だが)に触れるキャラクターなのだろう。
 が、この仮面野郎、オープニングにもしっかり出ているワリには、この半年でモビルスーツに乗ったのが一回こっきり。登場シーンも少なく、しかも鼻につく口調で気取った台詞を吐くのみ。正直言って存在感希薄。
 おそらく、終盤戦ではストーリーに踏み込んでくるのだろうけど。だけど、それまでにしっかり活躍してポジションをアピールしとかないと、裏設定の量だけではコアなマニア以外の視聴者は納得できないと思う。仮に後半からどんどん登場するとしても、「半年も遊んどいて今さら」って感じもぬぐえないよね。
 
 第一話からいきなり五機(今後の展開で十機に増える予定らしい)登場したG(=ガンダム)にしても。
“種”の監督氏は「ガンダムがたくさん出てもいいじゃないかと思ってあれだけ出した」とかおっしゃっているそうだが。
 この発言に「あれ?」と思ったのは妖之佑だけではないと思う。ガンダムが複数登場したガンダム作品って、過去にいっぱいあったはずだから。
『Zガンダム』では、MkIIとZと百式か。あとサイコ二機種もいちおう。
 続く『ガンダムZZ』ではZZを追加。「ガンダム・チーム」なんて呼称まであったっけ。
『0083』でもアナハイム製の試作ガンダムが三機種登場したっけ。
『第08MS小隊』には量産型(あるいは廉価型?)ガンダムがゾロゾロと。
『Vガンダム』は、ヴィクトリーとV2、ヘキサ、ガンブラスター、ガンイージーと、リガミリティア側のモビルスーツは、実は全部ガンダム・タイプだったはず。
『ガンダムW』でも、第一話でいきなりの五機のガンダム登場だった。ウイング0とエピオンの追加で都合七機。
『ガンダムX』ではフリーダム所属の三機すべてガンダムだったし、追加のXXも当然ガンダム。ってゆーか、この物語では、先の大戦での連邦(いや、連合だっけ?)側のモビルスーツはすべてガンダムだったはず。
 そして、“ガンダムの数”というならば何より『Gガンダム』を置いて他にない。なにせ「ガンダム・ファイト」なのだから、すべてガンダム。あれもガンダム、これもガンダム、敵もガンダム、味方もガンダム、レギュラーもガンダム、ゲストもガンダム、端役もガンダム、ラスボスもガンダム。
“種”の監督氏は、ひょっとして過去のガンダム作品を皆目ご存じないのだろうか、とすら思えてしまう。だって、今さら「ガンダムをたくさん出してもいいじゃないか」なんて言われてもねー。
 開き直るというならば、『Gガンダム』くらいには弾けてもらわないと、はっきり言ってつまらん!
 
 制作の勘違い・思い上がりぶりは、社会問題にもなりかかったしね。
 そう。例の演出で、あちこちから抗議があったってヤツ。
 そりゃそうだよ。あれは、あの時間帯でやっていい演出じゃない。ガンダムは良い子も観てる番組なのだ。深夜アニメじゃない。
 
 制作側の意図がどうにも理解できない点として、もう一つ。
 なぜ、桑島法子さんが二役兼任なさるのかが判らない。
 艦長役の三石琴乃さんがナレーションも兼ねるのは、問題ない。ナレーションをレギュラー陣の中から兼ねるというのは、いちおうはガンダム作品の伝統なのだから。
 だが、桑島さん担当の二人とも台詞の多いキャラクターなのに、なぜ兼任なのか。ホントに判らない。不可解だ。
 ちなみに、かつての『機動戦士ガンダム』での声優さんの兼任(二役、三役あたりまえ)は、単純に予算の関係であって、他に意味はまったくなかったそうな。
 カイやブライト、セイラさん(なぜかセイラさんだけはいつも「さん」付けになる)だけでなく、アムロやシャアですら、整備兵とかの声やってたもんなー♪
 
 総集編が多いのも気になる点。
 スケジュールが押せ押せで、このままでは恐怖の「平成009症候群」(妖之佑が勝手に命名♪)が発症する、という事態よりは、総集編で逃げるほうがましだとは思う。
 が。
 どうにも、最初から総集編を前提にしたスケジュールを組んでいるような気がする。“種”に限らず、今のアニメ作品の何割かは、だが。
 だとすれば、これは反則だ。
 そもそも総集編などないに越したことはないのだ。あくまでも、これは「避難的」な「応急措置」なのだから。
 それを当然のように枠組みしておくなど、視聴者に対して失礼だと思う。まして、DVD等のソフトにも収録するというなら、これはもう泥棒だ。その一話分、丸々値引きしないのなら、納得などとうていできない。
 視聴者もスポンサーも、この総集編偏向主義には、もっともっと怒っていいと思う。
 
 ついでに。
 1クール(三ヶ月・13話)ごとに主題歌代えるのもウザイ。かんべんしてほしい。「CD売りたい」意識ミエミエで、嫌ンなる。
 TMレヴォリューション、ビビアン・スーときて、今度は石井竜也らしい。なんだかな〜。
 で、石井さんも声のご出演をなさるので?
 
 ともかく。
“種”がシリーズ最低のガンダムとなるのは、ほぼ確定だと妖之佑は思っている。
(皮肉なことに、プラモの出来は、かなりのものらしいんだけどね)
 
 
 
 

 
 
庭に出る

 
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