その22・「食べる」ということ


 
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 ちょいと野暮用があって。
 
 某県庁所在地に行って。
 
 で、お昼になって。
 
 せっかくだから、久々に少しだけいいもんでも喰うかと思い。
 
 鰯の専門店に入ったんだわ。
 
 鰯のお刺身と押し寿司の定食(断っとくけど、んーな高いもんじゃないっス)を頼んだの。
 
 押し寿司、美味しかった。
 
 お刺身も美味しかった。
 
 まったく臭味がなかったのが感激ものだった。
 
 それはいいとして。
 
 お造りとなると、付き物なのが、お魚の生首。
 
 これがねー。
 
 魚が新鮮だっちゅー証明なのは理解できるんだけどねー。
 
 でもねー。
 
 食べてる目の前で口やエラをぱくぱくされるとねー。
 
 痛々しいやら。
 
 悲しいやら。
 
 申し訳ないやら。
 
 だってさー。
 
 お店に入る際に見た水槽で泳いでた、その中の一匹の生首なワケで。
 
 自分が注文さえしなければ、こいつはまだ生きてられたかもしれないと思うとねー。
 
 思わず合掌したよ。
 
 いや。
 
「食べる」ということと、その対象の「死」とが表裏一体なのは理解してるんだけど。
 
「いただきます」が「命をいただきます」って意味もあるって、判ってはいるんだけど。
 
 それでも。
 
 目の前に現実をつきつけられるとねー。
 
 やっぱ、キツイっス。
 
 鯛を刺身にさばいて、その骨だけになった鯛を水槽で泳がせる料理(ってか芸?)もあるけど。
 
 あれって、悪趣味って思うんですよねー。
 
 お造りに、生首なしだといけませんかぁ?
 
 美味しい物を食べに入ったお店で。
 
 随分と大きな考え事のテーマを貰ってしまいました。
 
 帰宅してからも考えてます。
 
 
 
 
2003.02.19.の日記より

 
 
庭に出る

 
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