その9・1月17日


 
道草に戻る
 
 
 
 
 05:46
 
 思うところあって、こんな時刻に起きている。
 
 もう七年経ったとはね…………。
 
 
 
 七年前の今朝。
 
 妖之佑はね、前日(月曜日で成人の日の振替休日だった)に風邪をひいてしまい、早くに寝てたんだけど。
 なぜだか、そう、05:43ぐらいかな? 目が覚めたんだよ。
 
 風邪のせいでちゃんと眠れないのだと思ってたら…………何かが来た。
 
 神戸からは思いっきり遠い地なのだが、ひどく揺れた。しかも、長く。
 驚くとかじゃなく、無反応だったかな? 訳判らなくて。
 
 当然、TV。
 でもNHKさんも混乱気味。
 
 やがて日が出て。画像が明るくなって。
 
 愕然としたね。
 あの横倒しの高速道路。
 
 
 妖之佑の母上の実家は、あの県にある。父上の以前の実家もそう。
 だから、あの県には、親戚ウジャウジャいるのよ。
 
 とはいえ、連絡なんてつかないし。
 NHKさんがFMも使ってのラジオでの消息放送も、
「**さんが**さんの安否を知りたがっています」
 なんて、的外れもいいとこの放送しかしてないし。逆なんだよね。
「**さんは無事です」
 ってのが知りたいのに。なんとか頑張って、こーゆーのを放送してほしかったと思う。
 
 まあ、けっきょく我が家の親戚筋は無事だったんだけど。神戸からは距離もあったし。
 
 
 イライラしたのは、ニュース番組。
 
「なぜ、こんな地震が起きたんです?」
「活断層というのがありまして…………」
 
 んなこと、要らないのに。もっと必要な情報があったのに。
 
 
 
 皮肉だったのは、救援・救助の一団よりも、報道陣のほうが遙かに早く現地入りしたって事実。
 なんだかなー、って思った。
 
 ただ。
 東京から飛んだ女子アナさんが、怪我したお婆さんを目の前に言葉を失い泣いてしまい、インタビューもコメントもできなくなってたのには、逆にほっとしたよ。
 マスコミ人にも、血の通う人がいたんだって。
 
 避難所の学校のトイレが汚物の山になってるのを撮って放送したのは、妖之佑は正解だと思った。
 嫌なものだが、あれぐらいでないと、伝わらないとも思うから。
 
 
 いや、本当に都会ってのが、ライフ・ライン切れると「コンクリート砂漠」になってしまうというのを思い知らされた。
 人の生きていくには、きつい所だ。
 
 
 
 政府がモタモタしてる間に、在市の**組の人たちがいろんな物資を市民に配ってたのも印象的。
 
 
 
 
 あの時、TVやラジオ番組ってもめたんだよね。レギュラーをどうするか。
 
 
 よみうりTVの『PAPEPO TV』。
 
 これ、上岡龍太郎さんと笑福亭鶴瓶さんのアホなトーク番組なんだけど、あえてそのままやったんだよね。
 
 鶴瓶師匠の言葉が印象的だった。
「自分はお笑いの人間やから、こういう時こそ、笑わせるんや」
 っていう意味だった。
 
 
 
 ラジオでは、地元、AM神戸の『ハートフル・ステーション』。林原めぐみさんのアレ。
 ここも、あえてレギュラーの形のまま放送したんだよね。
 
 大ブーイングだったそうだ。ただし、県外からばかり。
 
 肝心の地元からは、感謝の言葉が多かったという。
 暗い報道ばかりの中、普段どおりの明るい放送は、心の支えになったとのこと。
 
 
 当事者でないと判らない異様な状況なんだよね。
 身も心も。
 
 とても想像なんてつくはずもない。
 
 もちろん体験なんてしたくない。
 
 
 
 とにもかくにも。
 
 今日も、ごくごくありきたりに平凡な夜明けが訪れますように。
 
 
 
 
2002.01.17.の日記より

 
 
庭に出る

 
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