『あるポニテマニアの受難』(中)


 
 
 
 ぱぱっぱぱっ――たらららったらぁ――ぱぱっぱぱっぱぱぱ――ルパン・ザ・サード♪
 などというテーマと、『逮捕だぁ〜〜』というだみ声は、さすがに聞こえてはこないが。
 サーチライトは夜を駆ける。ビルの谷間に、公園の芝生に、女子高のプールにターボプロップエンジンの咆哮がこだまする――なぜかパンダカラーのヒューイ・コブラが飛んでいた。戦闘ヘリを秘密裏に採用しているとは、日本の警察も侮れない。
 赤外線モニタの赤い光をヘルメットバイザに映し、パイロットが無線を操作する。
「こちらナイトイーグル3。本部?」
『こちら本部。なにか?』
「ターゲットを見失った。ターゲット消失ポイントにマーカーを撃ち込む。猟犬の展開を待つ」
『了承。以降、猟犬のサポートに移行』
「任務変更了解」
 言葉と同時に、射撃音。電波ビーコンを発信するマーカーが、建設途中のビル前、アスファルトに食い込んだ。
 
 
 街の眠りを叩きおこさんとするサイレンの重唱に、鼓膜を強烈に撃たれながら。
 ファミレス裏、青いポリバケツのなかで雪野はいじけていた。どこで落としたのか、携帯電話もなくしていた。ついでに、意気地もなくしている。美花と会うからと、一着きりのとっておきブランドスーツ(特売品)で決めてきたのだが、残飯まみれ。でも、意気地ないから気にしない。
「なんだよぅぼくがなにしたって言うんだよぉちょっと可愛いポニテをつけまわしただけじゃないかぁ」
 世間では、それを突発性ストーカーと呼ぶ。
「だって、ランドセルにポニテだよ? 見過ごすほうが男として間違ってるんだ」
 そう言う雪野は、人として間違っている。
「やっぱ、見守りたいじゃないかぁ。きちんと無事、家につけるように」
 彼こそが、無事などという概念を彼女から奪い去ったのだが。
「どうしよう、これから」
 雪野は、そっとバケツの蓋を上げてみた。サイレンはまだ聞こえるが、周囲に人影はない。遠くに浮かぶ、バタフライキャッスルこと蝶乃紋家邸宅――そこに向かうよりは、いっそ塀の向こうで臭い飯。
 雪野は、本気でそう思った。
「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ。ここは素直に警察へ……」
 ごとんっ
 立ちあがってバケツから脱出する。なぜか妙に男らしい顔で通りを見渡し――
 赤い光点と『目が合った』。確かに、その光の向こうに人の意思を感じる。見られている。
 くぐもった声まで聞こえてきた。
「こちらハウンド7。トップブリーダーへ。ターゲット確認、これより威嚇する」
 小声だったが、たしかにそう聞き取れた。
「――え?」
 途端、軽快な爆竹に似た音が裏通りに響く。青いポリバケツが破裂する。
 撃たれたのだ。
 赤い光点が、近付いてくる。ファミレスの厨房裏窓から洩れる灯りが、その姿を照らし出した。黒い全身装甲、胸に猟犬と思しきエンブレム。フルフェイスヘルメットの中央で、赤いレンズが光を放っている。
 警察官には、見えない格好だった。それが、大柄なライフルを構えて接近してくる。
「ちょ、ちょっと待ってください、あなた、なんなんですか!」
 雪野は、無抵抗を示そうと、顔の前でぶんぶん手を振った。
「ターゲット、抵抗の意志を表明。威嚇行動から制圧行動に移る」
「せ、制圧って――うわあっ」
 雪野は踵を返して駆出した。
 弾丸がアスファルトを抉る、スーツの裾を掠める、耳元を唸り過ぎる。
 やはり、雪野には逃げることしかできなかった。
 
 
「まだ、電話にでませんこと?」
「はい、いくら掛けなおしても、留守電センターにつながるだけですぅ」
 麗香と美花は、雪野の現状――特殊部隊一個師団の方位網に囚われかけている――などとは、想像だにできぬだろう。街を騒がしているサイレンも、完全防音の屋敷内に届きはしない。
 世界最大のロレックス、高さ四十メートルの柱時計が、素晴らしい精度で組まれた歯車を、つつましく鳴らしているだけだ。
「しょうがありませんわね、雪野さまは……高村!」
 空から人が振ってきた。
「きゃああっ?」
 その者は、くるぐりんっと後方身伸二回宙返り一回捻りを披露し、したっと着地した。
「は、お嬢さま。ここに」
 伸びた眉毛が、すっかり目を覆った黒服の老人である。執事だ。
「高村。アレの準備はよろしくて?」
「いつでも」
「よろしい。では参りましてよ、華見さん」
 あくまで優雅に、イブニングドレスの裾を翻して麗香が歩き出した。無言で執事高村が続く。
「あのー。えーっと。なにがなんだか、さっぱりなんですがぁ」
 困り笑顔の美花に、振り向きもせず麗香は言った。
「新マッハ号を出します」
 
 
 背に蝶の図案を背負った作業着の群れが、忙しく動き回るむやみに秘密めいた雰囲気の、まさしく秘密基地といった空間に、それはあった。
 艶かしく輝く流線型の白いボディー、流れるラインと同じ色の、赤いレカロシート。ルーフなどという無粋なものなどなく、邪魔な後部座席もない。
 オープンツーシーターのスポーツカー。その流麗なボンネットには、なぜか『新』と漢字のマーキング。それが、りゅおんりゅおんと、聞いたこともない音でアイドリングしていた。
「これが……新マッハ号?」
 呟く美花を尻目に、麗香がドライバーズシートへと向かった。
「ほんとはギリシャ文字でνとマークしたかったのですが。ドリキャスで表示されるのかどうかわかりませんから、この際、新なのですわ」
「あのー。言ってることが、やっぱり」
「庶民のあなたが、理解する必要はなくってよ? このマシンは、由緒正しきある財閥系天才レーサーの縁のものですから」
「あの。蝶乃紋先輩ってば、キャラが変わってません?」
「そんなことは、なくってよ。おほほ」
 麗香を迎え入れるように、ドアが勝手に開く。乗り込むと、ばどぅんっと重厚な音を立て、ドアは自動で閉まった。
「ほら、華見さんも乗りなさい」
「えっと……はぁい」
 タクシーみたい、と感想を胸に秘めつつ、美花も新マッハ号に乗り込んだ。
 シートにふたりが収まったと同時に、しゅるんっと四点式シートベルトが、これまた自動で乗員を固定した。
 車の脇に控えた高村に、麗香が言い放つ。
「新マッハ号、発進スタンバイ」
『しーんマッハごぉぉおおっ発進スタンバーイッ!』
 大音声で、高村が復唱した。
『サー! イエッサー!』
 空間を揺るがす、肯定返答の嵐。
 新マッハ号の斜め上前方、壁が開いてゆく。車体を載せたリフターが、音もなく上昇する。
 リフターが停止した。フロントウインドウ越しに広がる、下界の夜景――
「蝶乃紋麗香、新マッハ号。行きます!!」
『グッドラックッ!!!』
 幸運を、との唱和に送られて、新マッハ号は発進した。派手なタイヤスモークを振りまき、盛大なスキール音を撒き散らして。
「きゃあ!」
 強烈なGとエグゾースト・ノートに、美花は思わず叫んだ。
「口を開けていては、舌を噛みますことよ」
 平然と言う麗香は、ステアリングの12時の位置を右手で掴むと、左手をシフト・レヴァーに軽くそえ、足首をひねり真横にした右足で二枚のペダルを同時に踏む。
 グィッ、ブロム、コクン、ブロォン、コクンッ、キュッ、ブロォォォォォォォム!!
 屋敷の正門を飛び出した直後に、きっちり90度左折したνマッハ号――せっかくの麗香嬢のお心遣いだが、ドリームパスポート3も捨てたものではなかったので、以降「ν」と記述させていただく。ただしマーキングは「新」のままがよろしかろう。百式、カッコええもんなぁ♪――は、ふたたび闇を切り裂くようなスキル音を上げた。
「ひっ、ひえぇぇぇぇ!」
 シートに押し付けられた美花の悲鳴を残し、ロケット花火も、寺尾関の立ち合いもかくやという初速で、危険な武装集団の蠢く夜の町内へと飛び込んでいったνマッハ号であった。
 
 
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」
 雪野は走っていた。
 どこへ行くのか?
 そんなことは判らない。追いかけてくるしつこい猛犬集団にでも訊いてほしい。
「ハァッ、ハァァ、ハァァァ」
 雪野の息が乱れてきていた。
 いつまで続くのか?
 そんなことは判らない。大仰なライフルを抱えているいかれたヘルメット男たちにでも訊いてほしい。
「ハァア、はぁ、はぁああ〜〜」
 限界が近かった。
 これからどうなるのか?
 そんなことは判らない。夜空に舞っているやかましいヘリコプターのパイロットにでも訊いてほしい。
「はぁあ、ひぃい、ふぅぅ、へぇえ、ほぉお〜〜〜〜」
 それでも雪野は走った。助かりたい一心で。
 しかし、何から…………?
 
 
「うわっぶっ」
 美花が顔をしかめた。自分の柔らかな黒髪が目を覆ったのだ。
 オープン・カーでは、気取ったコミックのように女性の――別に男のでもだが、やっぱ男の長髪は画にならない――長い髪が後方になびいたりはしない。フロント・スクリーンでかき乱された風が座席の上あたりで渦を巻くのだ。結果、女性の――別に男のでもだが、以下同文――長い髪は、前へと回り込む。
「お使いなさい」
 運転席の麗香が、何かを手渡してきた。
「はい?」
 左手でクシャクシャになった髪を抑えながら、右手に渡されたそれを見る美花。
「あ」
 幅広のピンクのリボンであった。
「あなたにも雪野さま探しを手伝っていただくのですから、そんな状態では困ります。結わえなさいな」
「はあ……」
 中途半端に返事をする美花の目は、そう言う麗香嬢の横顔に釘付けになっている。
 その現実離れした、あるいは劇画的な三次元髪型は、νマッハ号のたたき出す猛スピードから生じる荒れ狂う旋風に対して、微塵も乱れていないのだった。
 ――キャプテン・ハーロックみたい…。
 古本屋で見つけたアニメ雑誌のネタを思い出す美花。髪の毛とスカーフが互いに逆方向になびいているというアレである――って、誰が判るの!?
「早くなさい!」
 狭い路地を強引に駆け抜けるνマッハ号。そのステアリングをせわしく操作しながら、麗香嬢は鋭く言った。
「はっ、はぁい!」
 促され、美花は自らの黒髪を両手で集めはじめた。
 後頭部、水平に対し仰角30度の位置にまとめあげ、口にくわえていたピンクのリボンで結んでいく。
 
 
「ふむ。これで役者は揃ったな」
 同じ町内のとあるビルの屋上で、今どきあまり使わない7×50の黒い大型双眼鏡を覗いていた人物が呟いた。
「で、こっちはどうだ?」
 そのままの姿勢で対物レンズの向きを変える。
「……おっと、いかんな、こりゃあ」
 そう言う人物の目には、接眼レンズの映し出す映像が、すなわち、猛犬とヘルメット男と機関銃装備の軍用バギーGDDS ALSVと迷彩塗装のメガ・クルーザーと桜田門印付きの74式戦車の大集団に追い詰められたあわれな青年の姿が、ありありと見えていた。
「限界か……」
 そう呟いて双眼鏡を下ろしたポニーユニオン社長・東郷重一郎は、足元に置いてあった古臭い受話器がしがみついている大型の箱――第二次世界大戦時に各国の通信兵が持ち歩いていた送受信機――にかがみ込んだ。
 いくつかのつまみを操作しながら、受話器を手に取る東郷。
「こちら駄菓子屋のおばば。築地の中卸、どうぞ」
 数秒のちに返答があった。
『こちら築地の中卸、感度良好』
「例の作戦が最終段階に入った。これより、コード・“お馬の親子”を発動する」
『了解。コード・“お馬の親子”を発動します。駄菓子屋のおばば、最終指令コマンドをどうぞ』
 東郷は、大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと言った。
「ポニポニロボ、発進!!」
 
 
 貸しビル・ゴールデンサーモン四階芸能プロダクション・ポニーユニオンの真上――(株)望月ネット商品企画課に緊張が走る。
「来ました、コード“お馬の親子”!」
 白衣姿の青年技師が、モニターを見据えたまま告げた。
 その背後、胸の名札にプロジェクトチーフとあるバーコード頭の壮年が頷く。
「よし。ついに我らの偉業が日の目を見る」
「チーフ、今は夜ですが」
「レトリックに突っ込むな、馬鹿」
 突っ込み返すも、バーコード男はモニター向こうの金属塊を見据えたまま。
『PPP―01・Super Ponyterious』
 Project Pony Proto・type 01、通称3P一号機こと、ポニーティル人型突撃介護用機動看護婦――スーパーポニテリオス。東郷には『カタカナ言葉は苦手だ』と、ポニポニロボとなど呼ばれる、(株)望月ネットの社運をかけた発明品である。万能ハンガーなど、ただのダミー企画なのだった。
 その試作品が収まっている、見た目はただの業務用ロッカーを横倒しにしただけというメンテナンスベッドが、隙間からしゅうしゅうと冷気を吐いている。
 3Pのメインリアクター冷却のためだ。定格二テラ・ワットのマイクロ核反応炉は些細なことで暴走する――が、採用は必然である。内燃機関では環境に優しくない、バッテリーや燃料電池では稼働時間が稼げない。
 老人社会時代の幕開けを支えるであろう、二十四時間不眠不休で連続十年勤務可能な介護ロボには核しかないのである。要は、暴走さえしなければよい。ユーザーが核装備に気がつかなければ、なおのこと。知らぬに勝る安心はないのである。蝶乃紋家所有の特殊自動車にも搭載されているその機関は、もちろんさる高貴な財閥系からもたされた技術のひとつだ。
 が、開発を指示した当人は危険性も承知していた。人類の手には未だ余る代物だったのだ。しかし、作ったものは動かしてみたい。
(やはり、時代は核なのだ)
 バーコードに包まれた頭蓋骨のなかで、技術者の好奇心が脳のシナプスを駆け巡る。
 バーコード男は、ついに命じた。
「木村くん。起動だ」
「はい。これで――博士も浮かばれます」
 木村がキーを叩く。モニターから洩れる光が、彼の目尻に浮かんだ粒を輝かせた。
 バーコードも目許を押さえた。
「あの男も、本望だろう。ポニテに殉じたのだ――」
 感慨深げな男たちの前で、寝転がったロッカーが開く。内部の殺菌用ライトの青白い光が、身を起し始めた機動看護婦を照らし出す。
 踵の低いパンプス、編みタイツにミニの白衣。引き締まったウエストのうえ、リアクター冷却ジェル内蔵のたわわなバスト――御約束どおりの童顔も愛らしく、きゅっと白いケブラーリボンで纏められたポニーティル。看護婦の命、ナースキャップのロゴは3P。
 なにかのアニメからサンプリングしたかのような、少女然とした声が響く
「リアクター内圧上昇中――三、二、一、定格発電開始。PPP―01、スーパーポニテリオス、正常に起動いたしました。ご命令をどうぞ」
 バーコード男が告げる。
「行け! もっとも心拍数が高い人間が要介護者だ!」
「了解。心拍音サーチ開始――東南東、距離4582。心拍数220を確認。スーパーポニテリオス、発進します」
 身を翻して、3Pは窓へと向かった。ばくっとその背が割れる。外燃焼式スラスターが四基、現れる。
 ひぃぃぃぃっ――燃料圧縮音――ごっ!!
 スラスター焔を室内に観たし、3Pは窓を突き破ってすっ飛んでいった。
 もうもうと立ちこめる刺激臭を含んだ黒煙のなか、バーコードも無残に塵となった男が呟いた。
「――そう言えば、伝説のナースエンジェルもポニーティルだった」
 アフロとなった木村が訊ねる。
「3Pは、現代の『りりか』になれるのでしょうか?」
「なれるさ」「ですね」
 生涯を賭した仕事をやり抜いた顔で、漢たちは頷き合うのだった。
 
 
 雪野はまだ走っていた。
 ぜひっぜひっ――死ぬ。
 ぜひっぜひっぜひっ――もう死んでる?
 頭が爆発しそうなほどに痛い。心臓はもう、破裂しているんじゃないか? だったら、このばくばくばくばくしてるのはなんだ? あ、心臓か。まだ破裂してないってことか、どーでもいいけど。
 そいや、なんで追われてるんだ? 僕は、なにも悪いことしてないじゃないか。無実の善良な市民を追いかけることが、警察の仕事だっけ? って、あれは警察なのか?
 振りかえる余裕などないが、追ってくるのはあの赤い目をした装甲姿の妙な連中だとわかっていた。
 装備の重さに、今も自分が逃げ続けていられるとまでは、理解していなかったが。
 ぜひぜひぜひぜひぜひぜひ――呼吸がおかしくなってきた。膝も、かくんかくん笑い始めている。
 ――あー……もう倒れちゃおうか。さすがに、殺されることはないだろう……
 コンビニ前でいちゃつくカップルを横目に、雪野はアスファルトへと倒れ込んでゆく。
 ……ちぇ、あの女ショートカットじゃないか。
 胸で独りごちるも、虚しかった――ふと、ヘリとは違う轟音を耳にした。
 間近で爆音が止まる。
「要介護者確保」
 と、雪野は何者かに抱きとめられた。薄れゆく意識のなか、雪野は見た。
 夜風にたなびく、ポニーティルを。
 それはさながら、天使の翼のようだった。
 
 
「心拍数確認。252回/分。体温38.2、血圧105から228、状態は興奮及び疲労。安静を要する」
 腰を落として膝に雪野を抱き、3Pは手短に診察した。安静にさえしておけば、危険はないと判断。
 となると――
「患者の安静を阻害するものを、実力排除します。看護モードから戦闘モードに移行」
 雪野をアスファルトに横たえ、3Pは立ちあがった。
 つぶらな瞳が向けられた先に、赤い光点の群れが集っていた。
 警察庁特殊部隊ハウンドのひとりが、歩み出る。
「何者かはしらないが、少女暴行未遂の容疑者を渡したまえ」
「却下します。患者は安静を要します」
「では、実力で奪取させていただこう」
「許可いたしかねます。こちらも全力で抵抗しなければなりません」
「好きにすればいい――総員構え!」
 じゃっと隊員たちが最新型軍用ライフルM4カービンを的に向ける。
 3Pも両腕を掲げる。手首がぱくんっと開放し、ケースレスカートリッジ高速弾六連装マシンガンが一基ずつ、砲身を覗かせた。
「撃てえっ!」
「射撃開始」
 夜の街に、無数の火線が閃いた。
 
 
「止まれーっ、ここから先は立ち入り禁止だーっ」
 いかにも定年を間近にひかえ、何事も起きてほしくなかったのに、準待機から呼び出しを喰らい、眠気と空腹をだましだまし仕事をこなしているといった感じのくたびれた顔をした初老の制服警官が赤色灯を振り回しながら、精一杯の大声を上げていた。
「せんぱーい、あのお巡りさん、止まれって言ってるみたいですけどぉ?」
 通りをふさいだバリケード目掛けて闇夜を疾走するνマッハ号のナヴィゲーター・シートで、美花が言った。
「それがどうかしまして?」
 ステアリングを駆る麗香は、気にするふうでもなく応えた。
「たかが地方公務員の分際で、このあたくしに指図なさるなど、一億万年早いですわ」
「せんぱーい、一億万って単位はぁ――」
「何です?」
「い…いいえぇ」
 などと掛け合いを二人がしているうちにも、νマッハ号の白い流線型ボディは、バリケードに迫っていく。
「止まれ! 本当に止まれって! ぶつかるぞ!!」
 それまで、でれりぼわ〜っとしていた警官の顔色が真剣なものへと転ずる。
「せんぱーい。あの人の言うとーり、止まったほうがいいと思いますぅ。このままじゃ――」
「口を閉じてなさい!」
 言うと同時に、アクセル・ペダルを踏み込む。たちまち美花の体がシートに押さえつけられる。
「きゃあぁぁぁっ!」「ひえぇぇぇぇっ!」
 美花と、道路に立っている初老の警官とがかぶって叫んだその瞬間――
「新オート・ジャッキ!」
 麗香がステアリングのセンター・パッドを囲む六つのボタンのうちの「A」を押した。
 シュワンシュワンシュワンシュワン…………。
 奇妙な効果音とともに車体下部から生えた四本の「脚」がアスファルトを蹴り、νマッハ号の白い流線型ボディは軽やかに宙を舞った。
 バリケードを越え、二○メートルほど先に着地し、スピードを落とすことなく、そのまま走り去っていく。
 あとには腰を抜かした制服警官だけが取り残されていたのだった。
 
 
 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 熟練者の扱うボール型タイプライターのような、ほとんど連続した機械音を伴って、純白の制服に身を包んだ小柄な看護婦の伸ばした手の先端からマズル・フラッシュがほとばしる。
 そして、一秒も置かずして、看護婦と意識を失った青年とを取り囲んでいる装甲車両に穴が空けられていった。
 3Pの両腕に内装されたG11改ケースレス・マシンガン――というと聞こえは良いが、実は開発者であるH&K社に無断で、望月ネット商品企画課が勝手に図面を流用し、より小口径・高速弾化へと改良した盗作品――の銃口から硝煙が立ち昇る。
「なっ、なんてタマ数だ……」
 頭を抱えて道路につっ伏していたハウンドの指揮官が吐き捨てた。そして焦った声で指示を飛ばす。
「総員下がれーっ! 距離を取れ」
 その声を待っていたかのように装甲兵もバギーもジープも74式戦車も、我先にと後退を始める。
「標的、急速後退。距離500。装薬弾による攻撃を中止します」
 そう言って3Pは開いていた両手首を閉じる。次に両肘を折り曲げて、その先端をバックしていく敵車両群に向けた。
「攻撃再開」
 可愛らしい声による宣言と同時に、彼女のぱっくりと開いた肘から白煙とともに無数のダーツの矢のような物体が飛び出していった。
 ひゅるるるる……………………どっかぁん!
 爆音を上げ、炎上する74式戦車。続いて迷彩メガ・クルーザー、オリーブ・カラーのHJ58ジープと、次々に犠牲となっていく軍用車両たち。
「タイプ004/マイクロ・ロケット弾、第一弾倉終了。弾倉を交換します」
 カコンッ、ジー、シャキッ。
 姿勢はそのままに、3Pの二の腕内部から金属音が響く。そしてじきに――
「ローテーシュン完了。攻撃再開」
 甘い声とともに――
 しゅるるるる……………………ずっばぁん!
 ふたたび炎上する車両群。
「ば…馬鹿な!? あんな小さな体に、なんて無茶苦茶な量の火力なんだ……?」
 そう呟きながらも、指揮官は、上空のヒューイ・コブラ(パンダ・カラー)に命令を出した。
「ナイトイーグル2から6、地上の敵兵を排除せよ。手段を講ずる必要はない。バルカンだけでなく、ミサイルの使用も許可する」
『了解』
 
 
「そぉれ、新ベルト・タイヤ! 新カッター・マシン! 新ディフェンス・ガラス! 新イヴニング・アイ! 新フロッグ装置! それからぁ――新ギズモ号の体当り!!」
 次々と行く手を遮ろうとする交通課の警官たちを秘密兵器で蹴散らしながら、麗香の駆るνマッハ号は町内をひた走っていた。
「せんぱーい、なんだか楽しそうですね」
 リボンで結わえているとはいえ、猛スピードで疾走する熱核反応機関搭載のオープン・スポーツ・カーである。風にもぎ取られそうになる髪を押さえながら、美花は運転席の麗香に声をかけた。
「とーぜんですわ♪」
 歌うように答える麗香。もちろんその髪は微動だにしていない。
「常々、このνマッハ号の実力を試したいと思っていたのですから。――もっとも、相手があのような腰抜けばかりでは、せっかくの楽しさも半減ですわね。オーッホッホッホッ♪」
「先輩! 前ェ!!」
「!?」
 だんっ。
 ギャギャギャギャギャギャギャギャッ!
 考えるよりも先に体が反応し、νマッハ号はその白い流線型ボディを横向きにして、停止した。
「な……何ですの?」
 さすがの麗香嬢も言葉を失った。
 止まったνマッハ号のすぐ前から、ずっと、延々と、はるか向こうまで、ジープやトラックや戦車など、様々な車が見るも無惨な鉄屑と化して山となっていたのであった。
「い…いったい、何が起こっているのです? ――高村!」
 しゅっ、すたっ。
「きゃん!」
 驚き硬直する美花の目の前に、黒服の人物が月面宙返りを見事に決めて着地した。
 見覚えのある、目が隠れんばかりの立派な眉毛は、蝶乃紋家の執事である。
「はい、お嬢さま。お呼びでしょうか?」
 うやうやしく一礼する。
「この先、危険が伴うようですわね。νマッハ号の装甲強化を」
 眉毛に隠された瞳で麗香嬢を見つめていた執事であったが。
「お止めしても無駄でございましょうな。承知いたしました。ただちに」
 右手を軽く振った老高村。即座に、先刻屋敷で見た背に蝶の図案を背負った整備員の一群が路地裏から、木戸から、垣根の向こうからわらわらと現われ出て、νマッハ号の白い流線型ボティにとりついた。
「どのくらいかかります?」
 整備員の一人に訊く麗香。
「少なくとも一時間は――」
「三○分で済ませなさい」
「ははっ」
 そんなやりとりを見ながら、美花は思った。
 ――早く帰りたいなぁ。

 
 
蔦

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