第3話
砂嵐のティータイム
ミルクティーに、ご用心♪
作 妖之佑
無限に広がる大砂漠。
生きとし生けるものすべてを呑み込む死の世界。
そんな砂の海の真っただ中、ぽつんと蠢く影があった。
人である。若い男だ。
ボサボサの髪、ひび割れた肌、塩にまみれたシャツ、手に下げたスーツは砂の色に染まっている。
「み…水……」
ほとんど聞こえないほどの小ささで呟く声には生気がない。
可哀想に。もう何日も、あるいは何十日も砂漠をさまよっているのだろう。
驚異的な生命力と運だけで生存しているその人物は、はたしてどこに向かっているのだろうか。
お教えしておこう。
彼は、丸得商事に勤める日本人ビジネスマン・金染である。
いや、「勤めていた」というべきか。
ピラミッドとスフィンクスのテーマ・パーク化計画に見事失敗した彼は、あっさりと解雇され、帰国の足すら自前で調達しなければならない羽目に陥った。
無下に発掘現場から叩き出された金染は、自力での砂漠横断に挑んでいたのである。無謀にも。
「み…水……」
限界など、とうに越えていた。意識もほとんどなかった。ただ生存本能だけが彼を支えていたといえよう。
「あ……」
そんな金染の目が何かを捕らえた。
「水…………」
水をたたえ、青々とした木々に飾られたオアシスの風景が宙にゆらゆらと浮かんでいた。
蜃気楼である。
だが、金染には、それと判断するだけの理性はなかった。
しかも――
「ぽにてな女の子!」
オアシスの景色の中に小さく見えたのは、黒髪を束ねた若い女性の姿だった。
「ぽにてぇぇぇぇっ!」
水よりもポニーティルが大切らしい雪野……もとい! 金染は、どこにそんな力が残っていたのかと驚くほどの激しい足の運びで、砂煙を上げて駆け出したのである。
蜃気楼に向かって……………………。
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「あ〜あ、ついてないわ。ホント」
ビーチ・パラソルの作り出した日陰の下、折りたたみイスに身を預けていたさくらは、今朝から何度目かの溜め息をついた。
もう聞き飽きたという顔のシロクマは、無視してトロピカル・ドリンクをすする。
「そでもないアルよ。こーしてオアシス見つけた、コレ、望外の幸運アルね」
ドニエプルの整備をしている珍教授が振り返って言った。
「ってか、なんであんたがここにいるワケ?」
これまた何度目、いや、何十回目かの質問である。すでに話題は底をついていたのだ。
「何言うアルか。破滅の女王相手に共に戦た仲間アル、ワタシたち」
「単に足がなかったからでしょ? 発掘現場から街まで出る」
「ウッ……」
図星である。
さくらとシロクマのサイド・カーに便乗した珍教授は、砂漠の中に孤立したこのささやかなオアシスでの長逗留につき合う羽目になっていたのである。
だが、珍に文句を言う資格はなかった。なぜなら――
「あんたがGPS下手にいじらなけりゃ、今頃、お互いのお家に帰ってんのよ。判ってんの?」
そう。
二人と一頭は迷子になってしまっていたのである。
原因は珍であった。
「もっと効率上げるアル」
このひと言が不幸の始まりだった。
GPSの精度を上げようと改造を施した珍は、なぜだか携帯ゲーム機をこしらえてしまったのである。その名も“砂漠的生存遊技”。
「アイヤーッ、ついつい……。発明家の血が暴走したアルよ。笑て許して♪」
実際に許されたのは、さくらのコンバット・ブーツの蹴りを一○八回受けてからであった。
その痣は二ヶ月以上経った今でも全身に痛々しく残っている。
「悪かたアルよ。だからこしてバイクの整備引き受けてるアルね」
「壊さないでよ。改造もすべて却下」
さくらは、しつこいぐらいに釘を刺す。
「今度、なんかしでかしたら、砂風呂の刑・四八時間だからね」
「エッ!?」
珍の動揺を見逃さないさくら。
「何? まさか、もー、とっくにしでかしたとか?」
手にしていたティー・カップを音を立てて置き、さくらは立ち上がる。
そうでなくともこの二ヶ月余、たいした物を食べていないせいで、気が荒くなってきているのだ。その吊り上がった目、耳まで裂けんばかりの口は夜叉もかくやである。
「言いなさい! 何したの!?」
ずいっと詰め寄る。
その拍子に髪を結わえていた赤いハンカチが解け、さくらの髪がバサッと広がった。
ご自慢のサラサラ・ヘアーはオアシスの水を汚さないようにという理由で満足に洗えず、ゴワゴワになっていた。それが広がったのだ。これでは、ますます夜叉である。あるいは山姥か。
「い…い…いや。大したコトしてないアルよ。ただ……」
「ただ?」
さくらの眉が片方だけクィッと動く。
「ただ、何よ?」
「砂漠横断のスピード上げたい思てネ、マフラーにロケット・エンジンを――」
バキッ!
「すぐに戻して。ソッコー」
「は…はいアル」
百何十個めかのタンコブをこしらえた珍は、泣きっ面で頷いた。
ズズーッ。
シロクマのストローをすする音だけが、妙にのんびりと響いた。
「ぽ……ぽにてが…消えた……」
決死の疾走をしていた金染が失望の声を上げた。
自分が全力で目指していた黒髪ポニーティルの娘の姿が、山姥に変じてしまったのだ。
「あ…ああ……もう駄目だぁ…………」
力の抜けた金染は、その場にへたり込んでしまった。
挿入歌
『砂漠のティータイム』
一番
装備は今日も絶対不足
指令はいつも無理難題
飛び交う弾丸 唸るエンジン
オイルと硝煙 慣れたくないわ
乙女ですものドレスも着たい
そんな任務は来ないけど
相棒しろくま 芸達者
どうやら隠し子いるらしい
お茶をしましょと声かけて
無言で突き出すその爪で
いくつカップを割る気なの?
今日も砂漠のティータイム
お肌でスコーン焼けちゃいそ
明日も砂漠でティーパック
染みそばかすには ご用心
二番
給料いつも絶対不足
命を賭すには超不満
砂嵐の日々 埃っぽい髪
お肌荒れまくり もうたくさんよ
日本帰って草津で一泊
帰還命令来ないけど
バイクも操る しろくまくん
そんなになんでもできるなら
お願いもっと楽させて
だいたいあんたと一緒じゃあ
ティールームにも入れない
昨日も砂漠でティーパック
ターフの下じゃあ華もない
今日も砂漠のティータイム
優雅な御茶会 夢の果て
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「ったくぅ、クリスマスもお正月も、まさかこーんな人里離れた辺鄙なオアシスで過ごすなんて思わなかったわよ」
不機嫌そうに、さくらは愚痴をこぼす。
「どーせなら、キリッとした背の高い男の子とラヴラヴ・ヴァケーションなら、こーゆーオアシスも最高のシチュエーションになったんだけどねー。横にいるのは頑固者な毛皮のかたまりと、変人中華爺ィだけなんだから」
チラッと視線を投げかけられたシロクマは、そしらぬ顔で昼寝をしていた。このオアシスに逗留してから、さくらの愚痴とヒスは日課になっているので、いちいち相手をするのも面倒なのである。
「まァまァ、機嫌直すアルよ。紅茶のお代わり、いかがアルか?」
珍教授が、いそいそとティー・ポットを持って駆け寄る。
「ふーっ」
さくらは拾い上げたハンカチで髪をまとめなおし、ドサッと椅子に腰掛けた。
「ミルク入れるアルか?」
「当然でしょ。紅茶といえばミルク・ティーに決まってるの」
無愛想にカップを差し出す。
そこに珍のポットからお茶が、続いてミルクが注がれる。
その白く小さな滝のラインが微妙に乱れた。それを見逃さないさくら。
「ありがと」
さくらは、ぼんやりとしたマーブル模様を描いたカップを口許に運ぶ。
唇に触れた瞬間、動きを止めた。そして横に立っている珍に視線を走らせる。
教授の表情がこわばった。
カチャッ。
「ど、どしたアルか?」
カップを置いたさくらに、珍が問いかける。
そんな老人に、さくらが、この上もなく優しい天女のような笑顔で言った。
「毎日、いろいろご苦労さま♪ たまには、あんたも休んでちょうだい。さ、ここに座って」
そう言って立ち上がると、代わりに珍を座らせた。
「い…いや、ワタシ、まだ整備あるアルから――」
「いいじゃないの、そんなのあとで。ほら。あんたが入れてくれたお茶だけど、飲んで飲んで」
「いや、だからワタシ――ウグッ」
その明るい声とは裏腹に、さくらは、半ば強引に珍の頭を押さえつけ、その口に熱い紅茶を注ぎ込んだ。
「ウグッ、ウグッ、ウグッ……」
抵抗も空しく、教授は自分の入れたお茶を飲み干した。
「美味しいでしょ? あんたの入れたお茶だもんねー♪」
にっこり笑うさくら。
対する珍の表情は固い。
そして――
「うっ、し…痺れるアル……」
珍教授が涎を垂らしながら地面にズルズルと崩れ落ちた。
「しばらくそーしてなさい! このあたしに一服盛ろうなんて、百年早いわよ」
焼けた砂の上に小刻みに震えながら横たわる中華老人。それをそのままに、さくらは椅子に座りなおしたのである。
砂嵐が起きていた。
倒れたままの金染の体に徐々に砂が覆いかぶさっていた。
そして、全身が砂に埋もれようというまさにその時――
「ぽにてっ!」
金染がガバッと跳ね起きた。
「ぽにてが復活したぁっ!!」
すでに蜃気楼は消えていた。
が、なぜか金染は、山姥がポニーティル娘に戻ったことを感知したらしい。
「ぽぉにぃてぇぇぇぇぇっ」
ふたたび信じられない力強さで、走り出す金染であった。
もはや前方にはその姿もないのに……。
昼を過ぎ、いよいよ日差しがきつくなってきた。
ビーチ・パラソルの下のさくらは、居眠りを始めていた。
このオアシスに滞在するようになってからは、シロクマや珍教授と違い、一切することのないさくらの唯一の日課である。
「や…やと動けるよになたアル」
痺れ薬の効果が薄れたのか、珍がぎこちない動作で身を起こした。
「ひどい目に遭たアルな。バイクの整備に戻る前に、しておくことできたアルよ」
そう言いつつ、珍は震える手でタオルを一枚取り出した。
音を立てずにそっと、眠っているさくらに近づく。
暑気払いにオアシスで泳いでいたシロクマが顔を上げ、軽く鼻息で牽制する。
「しーっ、静かにするネ。もう悪さはしないアルよ。なにも砂漠的手下、締め落としたりしないアル。ただ、少しおちゃめさせてもらうだけアルね」
珍の声と表情に、さほどの害意のないのを見てとったシロクマは、意味深な笑いを残し、泳ぎに戻った。
「判てくれたアルか。やぱ男同士ネ。チミもなかなかいい奴アル」
言いながら、珍はタオルを、寝息を立てているさくらの顔にふわりとかけた。
「これでいいアル。あとは時間が仕上をしてくれるアルね♪」
満足げにうなずくとドニエプルの傍に戻り、スパナを取り上げた。
水面に浮かぶシロクマは、まだニヤニヤ笑っていた。
「くっ、えいっ、このっ、くそっ」
砂嵐に視界を遮られながらも、砂に足を取られながらも、金染は必死に走り続けていた。
「負けるもんかっ! あのぽにて、絶対に逃がさないぞ!」
やはり水よりもポニーティルに執着を見せる金染。
不思議なことに、とうに蜃気楼も消失しているにもかかわらず、金染の進む方向には、確かに目標とするポニーティルの眠れる娘がいたのである。
方向を見失いがちな砂漠にあって、この感覚はまさに人間離れしていた。
そろそろ日が傾きかけた頃である。昼寝しているさくらが、身を動かした。
そのはずみに、珍のかけたタオルが地面に落ちた。
さくらのまぶたに日の光が当たる。強烈な砂漠の陽光だ。
「う……うぅん?」
まぶしさのせいか、さくらは目を覚ました。
「…………?」
寝ぼけまなこなさくら。
何か違和感を感じていた。顔が、なぜかむず痒い。
「何……?」
手鏡を探し、自分の顔を覗き込む。
「げっ!?」
顔の色が異常に赤かった。日焼けだ。
太陽の移動のため、パラソルの影も移動してしまっていたせいだ。
だが、問題はそれだけではなかった。
「なんなのよォ、これェ……」
目の部分と左頬のみ、焼けずに薄めの小麦色のままだったのだ。
真っ赤な顔の中に、言ってみれば小麦色の“¬”マークが描かれていた。
当然二、三日中には小麦色と焦げ茶色のツートン・カラー模様が、さくらの顔面上で完成するだろう。
おまけに鼻の皮膚がむけ、赤いままに光るであろうことも、ほぼ確定的だった。
「……………………」
言葉を失い凍りつくうら若き乙女、さくら。
その様子を、いくぶん離れた場所で笑うシロクマと珍教授。
そう。
珍のかけたタオルの仕業である。
「あんたたちぃぃぃぃ」
事の真相に気づいたさくらは、“¬”マークの顔に怒りの色を浮かべ、一頭と一人に向きなおった。
「あり? 冗談アルが、通じなかたアルか?」
さくらのマジ怒りを感じ、危機感に陥る珍。
シロクマはすでに逃げの体勢に入っている。
「アイヤァ! 待てほしアル!」
慌ててシロクマの後を追って駆け出す。
「待ちなさぁぁいっ!」
さくらはバイクのシートに跨がり、怒髪天の勢いでキック・ペダルを蹴り下ろす。
一発始動。
いきなりのフル・スロットル。
逃げる一頭と一人を追い、さくらのドニエプルMT-10は、ウィリーののち、飛び出していった。
無限に広がる砂の海の中へ。
「ぽ…ぽにての場所が変わった……?」
あと少しでオアシスに達しようとしていた金染は、歩く方向を変えた。
「に…逃がすものか…………」
すぐそこに水があることなど無視して、金染もまた、砂の海を進み続けるのであった。
彼らがそれぞれの場所に帰還するには、まだしばらくかかりそうである。
2002.1.6.
「どこに島なんてあるのよーっ!」
さくらが叫ぶ、死海のほとり。見渡す限り、しょっぱ過ぎるだけの湖。
死海の島で、塩を採取。その任を受けてきてみれば、やっぱり島なんてなかった。
「どうゆうことよーっ!!」
さくらには解らない。
シロクマくんは、にまにまと笑うだけだった――
次回、『デザート・エージェント さくら』
『幻の大地、さくら立つ』
レディー・ゴーッ!
(予告編 by 笑う満月)