こちらが式などに赴く場合


 
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 立場が逆なので、番外編という扱いで、はい。
 
 あくまでも気持ちの問題ですから、少なくとも来ていただく側としては、来てくださるだけでありがたい。お客が細かいことを気になさる必要はないと思います。
 ただ、こちらからお邪魔する場合は、やはり相手の気持ちを尊重したい。そんな意味で書いています。
 
 マナーどうこうを五月蠅く細かく言う、ましてや強要する趣旨でないことだけは、あらかじめご理解いただきたく。
 どうぞ、よしなに。
 
 
 


喪服

 これは別の頁でも申しました。
 葬儀の場にて、理想は正式礼装なのでしょうが、現実的ではないように思います。
 よほどの名家・大家でもない限り、あるいは徹底的に厳格な儀礼として開催されるものでもない限り、遺族を含めて一般的には黒の略式で充分でしょう。
 
 さらに言わせていただければ、参列者なら平服に黒い腕章でも失礼にはならないと考えます。昔々のことを思えば、喪服を用意できる庶民が、いったいどのくらいいたというのか。ということですよ。
 これも別の頁で書きました。オイルの染みとかがある作業服の参列者がいたなら、「忙しいのに無理して時間を割いてくれた」と捉えて、むしろ感謝すべきだと思います。
 
 たいてい葬儀は急なことですから、お金に余裕のある暇人でもない限り、コンビニで黒腕章を買って仕事着や外出着に着ければいいのではないかと。
 もちろん、すでに喪服を持っているなら、それを着るに越したことはありませんけどね。
 
 なお、葬儀が佛式でないと判っているなら、数珠の持参が不要なのは、言わずともお判りかと。
 まあ、細かいことを言うと数珠も宗派ごとに違いがあるにはあるんですけどね。
 でも、それをいちいち指摘して参列者に文句言うような遺族なら、つきあう価値ないですよ。焼香もせずにサッサと帰ってしまっていいと思います。さすがに、そんなのは珍種レベルだと思いますが。
 無難路線でいくなら、男女とも略式の片手数珠を持てば、まず問題ないと思います。佛具屋さんの見解も「片手数珠は宗派問わず使える」だそうですから。
 で、こだわるなら、菩提寺や自宅での法要のみ宗派の正式な数珠を使えばいいでしょう。
 ちなみに余談ですが、四国のお遍路では真言宗の正式な数珠が推奨されるようです。だからと言って、片手数珠や別宗派の数珠で叱られたという話も目にしませんが。
 
 


香典

 代表として「香典」と書きました。
 が、ここに罠があるのは、ご承知のとおり。
 いくつか、不祝儀袋や封筒、水引などの表書きの例を挙げてみます。
 
 
※ 御香典、御香奠
 
 二つとも本来の意味は「お香の代わり」です。つまり、お香を焚く宗教向け。
 ですから、お香をあげない場に「香典」「香奠」はマズイです。判りやすく例えるなら、教会でのお式に香典を持って行くのは、怖いもの知らずです。
 もう一つ注意点としては、現在の「香典」「香奠」は「お香を買うためのお金」を意味するので、現金以外のお供え物には使えない言葉だということ。
 
 
※ 御佛前
 
 字のとおり、佛様の前にお供えするものです。なので当然のこと、佛教限定の表書きです。また、香典と違って現金でなくとも使えます。
 ただし、罠があります。
 ご存知のとおり、佛教のほとんどの宗派では、故人は四十九日を経ないと成佛しません。なので、四十九日が明けるまで「御佛前」はNGです。
 ですが一方、浄土真宗の考えでは、故人は亡くなった瞬間に浄土にて成佛しているので、通夜や葬儀の場でも「御佛前」で矛盾は生じません。
 もっと正確に言うと、追善供養が存在しない浄土真宗でのお供えは、故人にではなく本尊の阿弥陀如来へのものなので、常に「御佛前」となるわけです。
 とにかく、ややこしいのです。
 
 
※ 御霊前
 
 単純に考えるなら、霊魂の存在を認める宗教で使える表書き、ということになります。
 なので、佛教だけでなく神道でも、そしてキリスト教もカトリックなら使えるはずです。ともに死者の霊という概念がありますからね。
 ただし、佛教であっても、四十九日が明けてからの「御霊前」はダメです。使ってはいけません。
 また、ここでも浄土真宗での注意点。繰り返しになりますが、浄土真宗の教えでは死者は即行で成佛しますから、そもそも霊魂の状態などないのです。故に浄土真宗の場で「御霊前」は一切使えません。
 キリスト教のプロテスタントも、浄土真宗と似たような考えかたをします。つまり「死者は、ただちに天国に行くので、霊など存在しない」ということ。よって「霊前」という言葉そのものが、ありえません。
 
 
※ 御神饌料、御玉串料、御榊料
 
 すべて神道でのみ使う表書きです。
 
 
※ 御花代
 
 読んで字のごとく。「これで、お花を供えてあげてください」ということですね。
 葬儀などで花を供えない宗教は、日本では少ないと思いますので、これならどの宗教でもいけるのではないかと。
 ただし、「花代」なので現金にしか使えない表書きとなりますね。
 小五月蠅いことを言うと、佛式における花代は「葬儀に間に合わなかったから香典代わりに」という意味もあるそうな。でも、そこまで気にして受け取る人は極稀だと思いますが……。
 
 
※ 御花料、献花料
 
 キリスト教の場合、「御花代」でなく、こちらの表書きを使うほうが、いいらしいです。
 ホント、めんどくせー。
 
 
※ 御供、御供物
 
 現金でない場合は、これらがほぼ万能でしょう。
 
 
※ 御供物料
 
 現金をお渡しするなら、これが「御花代」と並んで万能選手かもしれません。
 
 
 まとめます。
 
 浄土真宗以外の佛教では、四十九日までの「御霊前」と、それより後の「御佛前」とを、きちんと使い分ける。
 浄土真宗は、すべて「御佛前」でいける。
 佛教というだけで宗派までは判らないなら「御香典」が無難。
 神道は「御霊前」でもよし。
 キリスト教は「御花料」か「献花料」。
 宗教宗派が判らないなら「御花代」か「御供物料」にしておけば、たぶん大丈夫。
 無宗教なら「御香典」「御霊前」「御花代」などでOK。
 
 とにかく迷ったら、現金は「御花代」、物品は「御供」でいい。
 何してもクレーム入れるバカは存在するので、そんなのは無視無視。
 
 
 なお、「表書きは手書きに限る。印刷は無礼」とする意見がありますが、私はそうは思いません。
 不祝儀袋に限らず、表書きを印刷した封筒や熨斗紙などなどが実際に市販されているのです。印刷が礼を欠くなどという理屈は成り立たないでしょう。ただの言いがかりです。
 表書きの目的は中身にこめた意味・意図を伝えることですから、手書きであれ印刷であれ違いなどないはずです。
 それよりは、水引の色に気をつけたほうが、いいかもしれません。地方によって色の持つ意味が異なるそうなので。
 
 


挨拶

 実は、あまり考えずに使っている、お弔いでの挨拶。
 意味を知ると、やばかったと思うかもしれません。
 なので、調べておこうかと。
 
 愁傷……嘆き悲しむこと。
 
 悔やみ……悔やむこと。
 
 哀悼……死を悲しみ痛むこと。
 
 冥福……冥界を経て幸せになること。
 
 こうして意味を知ると、どれも適切ではない気がしてきます。
 少なくとも「愁傷」と「悔やみ」は、不本意すぎる死、例えば不慮の事故死などでないと違和感があります。
「哀悼」なら適切かとも感じますが、一方で平均寿命越えの大往生などでは使えないんじゃないかとも思えます。
 そして「冥福」は、はっきり言ってリスキーです。↑の「御霊前」のところでも言ったとおり、浄土真宗やプロテスタントなどでは、死者は即座に浄土や天国に着いている(流行りの言葉で言えば転生している)ので、そもそも闇の世界を通っていないのですよね。よって、「迷わず成佛」とかは浄土真宗では失礼にすらなりかねません。先方の宗教宗派が判らないうちは、「冥福」だけは使わないほうが、よさそうに思います。
 
 それでは、どう言うのが無難なのか?
 
 昔、マナーに詳しい人(所謂マナー講師ではなく、冠婚葬祭の司会業をなさっている人でした)のお話を聞く機会がありました。そのときに教えていただいた、少々ズルい方法が、
「このたびは、まことにごにょごにょごにょ…………」
 というものです。つまり、肝心なところは頭を下げつつ口ごもらせて、はっきり言わず漠然とした小声だけを出す。
 お祝いの席ではダメな方法ですが、お弔いなら小声でも問題なく、何か言ってるなと相手に思わせれば目的は達成している。言葉の内容は向こうに想像してもらう。これなら、クレーマー体質の親族でもイチャモンのつけようがない。
 さすがベテラン、上手いこと考えるなー、と感心したものです。
 
 もう一つは、今回の葬儀で知った言葉です。
 法要をお願いしたお坊さんのご挨拶が、
「たいへんに、お淋しいことでございます」
 というものでした。
 なるほど、と思いました。
 大往生なら「悲しい」や「不幸」は不適切。
 宗派によっては「冥福」は、まちがい。
 対して、「淋しい」というのは、すべての宗教で共通する言葉ではないでしょうか。腹黒で邪な本音を隠した遺族であってすら、表向きにだけは「いなくなって淋しい」はず。
 つまり、弔いにおける万能な挨拶言葉であると言えます。
 これは本当に勉強になりました。
 
 


焼香、献花などなど

 佛式なら焼香が、キリスト教なら献花があると思います。
 宗派によって焼香の作法に違いがあることはあります。回数とか、摘まんだ抹香を眉間に掲げるのかどうかとか。
 まったく知識がありませんが、献花もきっと同様でしょう。
 慣れていないと、それぞれのやりかたに戸惑うのはあたりまえ。
 ですが、気にすることはありません。
 ちゃんとした葬儀の場であれば、進行担当の人やお坊さんなど、その場を仕切る人が教えてくれます。うっかり聞き逃したなら、前の人の真似をすれば、たぶん大丈夫。
 大切なのは気持ちです。形は二の次。
 チョンマゲ時代の庶民だって、そこまで詳しくなかったと思いますよ。
 
 


 
 
 ステレオタイプの日本人を考えた場合、祝い事は神社、弔い関係は仏閣、結婚式はハワイの教会(笑)、というのがパターンだと思いますので。
 あえて佛教を前提にお話しするのをご容赦いただきたいのですが。
 
 式が終わってから、先方のお宅に花代や供物を持参する場合は、玄関先で挨拶してお渡しするだけで失礼するのが、いいと思います。
 まだまだ、しなくてはならない事が山積みのはずですし(手続きとか手続きとか手続きとか……)。
 遠方であれば、挨拶文を同封した現金書留や、電話したうえで口座に送金、あるいは進物を宅配便、で問題ないでしょう。無理して訪問すると、かえって先方に気を遣わせてしまいます。
「ぜひ、お線香を」と乞われたときのみ、あがらせていただくべきでしょう。
 その際、線香のあげかたは、素直にご遺族に尋ねるのが、よろしいかと。同じ佛教でも宗派ごとに本数などなど違いがありますので。
 
 もちろん、佛壇のあるお宅であれば、ある程度は宗派が判ります(確認すべきポイントは御本尊と脇侍、香炉、りん台……などなど)。すべての宗派を予習しておく必要がありますけどね。
 ぶっちゃけ面倒ですし、たとえ同じ宗派でも地方による違いがありますし、さらに言えば勘違い記憶違いもありえるので、やはりご遺族に伺うのが無難だと思います。知らないのを恥と考えないことですね。
 
 なお、浄土真宗だけは、りんは読経のときに、それも決められたタイミングでしか鳴らしません。
 線香をあげるときに鳴らすのは、本当はダメなんですね。
 でも、真鍮の音色は綺麗なので、ついつい鳴らしちまうんですが……(汗)。