最後になりましたが、個人的に申し上げたいことが、そして大切だと思うことがあります。
ただでさえ急なことでバタバタしており、何より精神がやられているときです。
ややこしい、あるいは意味不明なルールに振り回されるのだけは避けるべきです。
弔いに限らず冠婚葬祭には五月蠅いあれこれが設定されていますが、過度な負担を強いるような無茶振りルールは無視してもいいと、個人的には考えています。女王様プレイしているわけではないのですから。
今回の体験から感じたことを、いくつか挙げてみます。
多少、毒も入っています。ですから、書いた本人が言うのもアレですが、鵜呑みは推奨できません。
この文章をきっかけに、ご自身でお考えいただければ。という程度のことです。
ページ内リンクで、どうぞ。
1.喪服のマナー?
2.遺影は必要か否か
3.紙幣について
4.喪中ハガキの真意
5.忌中とは? 喪中とは?
6.三月跨ぎ? ナニソレ?
7.戒名のこと
8.位牌のこと
9.お墓のこと
10.印相? ふーん
11.最後に
12.追記
1.喪服のマナー?
いきなり悩むことだと思います。
人によっては「参列者はともかく遺族は正式礼装でなければならない」などと五月蠅いことを言います。
ここで言う礼装とは、単なる黒服じゃないですよね。そんなの持ってる人のほうが少数派だろ。礼服売りたい連中の回し者か?
などと暴言も吐きたくなります(苦笑)。
礼服のセールスは置いときましても。
巷には「女性のパンツ・スーツは喪服として不適切だ」などというスカート崇拝者もいるので困ります。
はっきり言います。葬儀の場で女性のパンツ・スーツは問題ありません。
根拠は簡単です。式の進行などをしてくださった葬儀屋さんの女性スタッフさんたちが黒のパンツ・スーツだったからです。なお、その葬儀屋さんは名の通った大手です、念のため。
はい、解決。
少し前にネットで話題になった「黒タイツはマナー違反」なる妄言に対しても、お坊さんが「そんなの関係ねー」と一蹴しておられたのは、記憶に新しいですよね。
服装のことではありませんが、我が家で四十九日法要を執り行ったとき、来ていただいたお坊さんが「足は崩して楽に」と言ってくださいました。痩せ我慢することはないとのこと。
他の聖職者のことは存じませんが、少なくともお坊さんは「何事も無理のない範囲で、どうぞ」というのが基本スタンスだと感じました。
持っていないからと喪服を急いで無理にあつらえる必要はなく、黒腕章でも問題ない。と、個人的には思います。
例えば、作業着のまま葬儀に参列してくれた人がいるなら、「忙しい仕事中なのに、わざわざ来てくれた」と感じるのが普通じゃないですかね。そこを「喪服じゃない」と叩くのは、まさに“失礼クリエーター”だからこそなのでしょう。
コロナ禍の今、巷に湧いている「葬儀でのマスクは黒」なる不可思議珍説など、もはや論ずる価値もありません。
申し添えておきますが。式でお世話になった葬儀屋さんのスタッフ皆さん、白いマスクでしたよ。ええ。
あまり細かく気にすることは、ないと思います。
言いたい奴には言わせときましょう。無視しましょう。
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2.遺影は必要か否か
通夜や葬儀の祭壇に必要不可欠とされる遺影。
これ本当に必要不可欠なんでしょうか?
他を存じませんので佛式に限って申しますが。
今の葬儀の段取りは戦国時代には、おおよそ固まっていたと思います。かの「尾張の大虚け」が父親の葬儀に不躾な格好で乗り込み、乱暴に掴んだ抹香を位牌に叩きつけたエピソードは有名ですね(この出来事があったのが、現在は名古屋の大須商店街に在り、近年の再建でビルになっている萬松寺)。
つまり、その時代には焼香のしきたりや位牌というアイテムがあったということ。
では、その頃、遺影もあったのでしょうか?
もちろん否。
写真技術自体、幕末に伝わってきたものですし、当時は貴重で高価な代物。庶民が普通に写真を撮れるようになったのは昭和に入ってからのはずです。
つまり遺影という習慣そのものが百年経っているかどうか。
妖之佑は小学生の頃に父方の祖母を亡くしておりまして。
その通夜から葬儀当日の午前中まで、周囲の大人たちが「遺影をどうする?」と大騒ぎしていたのをよく憶えています。祖母は大の写真嫌いだったらしく、写真が見つからなかったんですね。「葬式って大変だな」と他人事のように思っていたガキでございます。
けっきょく、かなり前の団体旅行の集合記念写真を発見、メチャクチャムリクリ引き伸ばしたものを祭壇に飾ってました(銀塩時代なので、写真屋さんを叩き起こして無理を頼んだらしい)。当然ですが、すんごくピンボケ状態でした。
当時の私は大人の言うことを素直に聞く良い子でしたから、その努力にむしろ感心していましたが。
今になって思うのは、そこまでして、やるものなのか? 無いなら無いで、ええんちゃう? と思うんですよね。無理矢理のボケボケ写真を使うほうが、むしろ何だかな〜、とね。
何より、本人が写真に写るの大嫌いなのに、そんな写真を参列者に晒すのが故人のためになるんでしょうか?
もう一度言います。
遺影は葬儀のしきたりの中では桁違いに新しい、言い替えればほとんど歴史のないものであり、厳格な葬儀のルールに組み込まれるべきものですらない。
もちろん飾ってもいいけど、無いことで「弔いができない」と大騒ぎするものでもない。
そう考えます。
また、例えば。
忌明けの後も自宅に飾りたいけど、大邸宅の佛間にズラリ並ぶ御先祖様がたの写真じゃあるまいし、立派すぎるよ。だったら、最初っから小さなサイズの遺影でも、よくね?
などとも思います。
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3.紙幣について
御布施や香典、花代などに使う紙幣。
よく言われるのが
「通夜や葬儀の香典にピン札は失礼だ」
「ピン札しかないなら、折ってから封筒に入れろ」
というもの。
これは判ります。
普通、ピン札は用意しないと手元にない性質のものですから、急な知らせを受けて参列した人がピン札を使うのは、「てめー、死ぬの待ってやがったな」と先方を不愉快にさせかねない。
(同じ理由で、職場から通夜に直接かけつけた人が喪服でビシッと決めていると叩かれます。職場のロッカーに黒服を常備していても、喪主側の時間に余裕のない通夜では仕事着に黒腕章で参列するのが無難だそうですね。もちろん自宅から行くなら無問題)
ただ、それから日数が経っての法事では、準備期間があるのだからピン札を使うように、よく言われます。
また葬儀でも法事でも、お寺さんへの御布施は、むしろ使い古しのお札こそ失礼だ、とも言われます。
本当に、そうでしょうか?
ピン札でないと失礼なのでしょうか?
これも遺影と同じ根拠として。
佛式の葬儀ルールが固まった頃には、そもそも紙幣がありません。硬貨ばかりです。
なので折り目のあるなしなんて問題になるはずがないのです。
それに豪商豪農ならともかく、庶民が新品の硬貨を用意することも無理でした。
当時の僧侶が未使用のピカピカ硬貨にこだわっていたとは思えないのですよね。
佛様からすれば、お金はお金です。ピン札でも使い古しでも価値は同じ。
自販機を通らないほどグチャグチャな紙幣でもない限り、無問題なんではないでしょうか。
まして、お坊さんの立場を想像するなら、ピン札の十万円よりシワクチャの十五万円のほうが嬉しいと思いますよ。だって人間だもの(笑)。
まあ気分の問題でもあるので、さすがにシワクチャは避けるべきでしょう。
でも、平均的な折り目があるだけで御布施にNGとするのは、さすがに滑稽だと思います。
そんなところにこだわって不機嫌になるような坊主は生臭者であり、そんな輩が読むお経に価値などないとすら思いますね。
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4.喪中ハガキの真意
年賀欠礼状、所謂「喪中ハガキ」。
これも↑と同じです。
そもそも年賀状の習慣自体、郵便制度ができてからのものです。なので歴史は浅い。
これについて、しきたりどうのこうのと五月蠅くあれこれ言うのは、例の「江戸しぐさ」レベルで胡散臭いです。
市販の喪中ハガキを見ますと、テンプレの文言が印刷されており、書き込み用の余白は最後にしかありませんよね。つまり、差出人を記名するスペースしかない。
これをもって不出来だとか言う人々がいるわけですが。
妖之佑も今回、調べて判ったことですが。
喪中ハガキは
「今は喪中なので、新年の御挨拶をとりやめさせていただきます」
というお断りなんですね。
なので市販ハガキのテンプレ文面で必要充分ということ。
まして、「誰が何月何日に何歳で亡くなった」ということを書く必要はない。むしろ余計な情報。
喪中ハガキは訃報とは違うのです。
ですから、「こんな知らせでは誰の不幸だか判らん」と怒って電話してくるような輩は放っておきましょう。
そもそも、知らせるべき相手なら通夜や葬儀の段階で知らせているはずです。
それをしないのは「ご参列いただくにはおよびません」とか「ご香典をいただくほどではございません」という意味がある。要するに、そこまでの間柄ではないということ。
まあ、昨今では喪中ハガキを、葬儀に参列してもらうまででもない縁の薄い人への知らせと兼用する意味があるのかもしれませんが。
そもそも、縁遠い人にまで訃報を伝える必要があるものかどうか。
妖之佑の例で言えば、妖之佑が年賀状のやりとりをさせていただいている友人知人に、父と面識のある人はいませんでした。
なので「喪中ですから」という文言だけで済ませました。それでいいと思います。
もちろん、あたりまえですが、父と直接のつながりがある親戚や旧知のかたには喪中はがき以前に、とっくにお知らせしています。
喪中はがきの意味を理解できれば、詳細不要ということも自ずと判ります。
無知な外野に何か言われても気にしないことですね。
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5.忌中とは? 喪中とは?
喪中の言葉が出ましたので。ついでに調べたことを記しておきます。
神道では人の死を「穢れ」と考える。それが「忌中」というルール。
この期間は最大で五十日間を「忌む」ので、神社への参拝を慎む、自宅の神棚を閉じる、期間が年末年始に被ったら正月飾りやお節料理などもしない。
葬儀への参列から帰宅した際に使う「清めの塩」も神道が由来。
一方、佛教では死を穢れとは捉えない。
「中陰」(四十九日)は、実は神道の忌中とは関係ない全く別のシステムで、故人が死から七日目ごとに十王の裁きを受けて、その七回目で「地獄行きか極楽行きか」の判決が確定する、というもの。7×7だから四十九ということ。
ただし佛教でも浄土真宗だけは、故人が死ぬと同時に阿弥陀様に救われているので閻魔大王の裁判とかは無いとしており、そもそも「冥福」とか「迷う」とか「地獄に堕ちる」とかの概念が浄土真宗にはない。
そして、よく言われる「喪中」は儒教の言葉。
儒教が浸透していない現代日本では、そのルールも明確ではない。期間を一年間とするのも根拠希薄。
このあたり、各家庭ごとの立場をしっかり確認しておけば、無責任な外野の雑音に振り回されずに済むと思います。
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6.三月跨ぎ? ナニソレ?
忌中の三月跨ぎは縁起が悪いから、四十九日法要を前倒しでやれ。
なんて話も迷惑千万なデマ情報ですね。
たぶん、昔々のマナー講師(迷惑クリエイター)の同類が広めたんでしょうが。
忌中は五十日間、中陰でも四十九日間ですよね。
カレンダーを眺めて少しだけ考えてください。
ほら、よぉーく見れば忌中あるいは中陰の期間が三ヶ月に渡る命日の日付って月の半数に及ぶんですよ。
お弔いの半分が不吉だなんて、与太話をやるにしても程があります。
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7.戒名のこと
戒名というのは、故人が佛の弟子になったことを受けての名前。
というのは、よく言われることですが。
実は、これ、経典にない後付け設定です。
よく、戒名の金額でお寺と揉める、なんて話を聞きますが。
意味のないことだと個人的には思います。
そもそも文字数の多い戒名は、それなりにお寺に貢献した人だけが授かるもののはずです。しかも、そういうかたは生前に戒名を授かっているものです。
なので、檀家でもない人が亡くなって慌ただしい中、いちおう戒名も、というのであれば、そこまで高額になる理屈はないと思います。しょせんは、坊さんが稼ぐための手段ですし。
戒名が無くても、俗名でも納骨できる墓地や納骨堂を運営するお寺もあるのですから、そこまで戒名にこだわることもないかと思います。
うちの父は生家が浄土真宗なので、一連のことすべて浄土真宗の様式で進めていただきました。
ですので、戒名の悩みは、そもそも発生しませんでした。
浄土真宗では法名を授かりますが、これに別料金は付きませんでした。葬儀屋さんが仲介してくださった御布施の額だけですみました。法名の文字数は男が三文字、女が四文字と決まってますしね。
他の宗派を葬儀屋さんが紹介してくださる場合がどうなのかは存じません。
悪しからず。
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8.位牌のこと
四十九日まで故人の魂を仮の白木位牌で祀っていたのを、佛壇に移す際に本位牌を用意する。
これもまた、経典にはありません。というか、位牌は神道の霊璽と同じく、儒教由来のアイテムなのだそうです。
ですから、無理に本位牌を作る必要はないと、個人的には思います。
そもそも、佛壇を置く予定がないのなら、本位牌も不要でしょう。
これも浄土真宗のことですが。
浄土真宗では本位牌を必要としません。ですから、我が家も作りませんでした。葬儀屋さんには、しきりと勧められましたけどね(苦笑)。
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9.お墓のこと
「地獄に堕ちるわよ」の脅し文句で有名だった某占術師が
「墓参りで墓石に水をかける馬鹿がいる。人の頭から水を、まして酒をかけるか!? よく考えなさい!」
と偉そうに罵倒しているシーンをTVで観た記憶があります。
今回、墓の開眼法要と納骨式をご住職に執り行っていただきまして。
ご住職は、墓石の真上から丁寧に日本酒をかけまわしておられました。式の後で「乾くと汚れるので、水で流してあげて」とおっしゃいました。
はい。墓石に水やお酒をかけるのは佛教の正式な法要で行われていることを知りました。
某占術師は無知なだけでなく、知ったかぶりで口から出任せを言っていたわけですね。
あんなインチキ婆ァの類いは、もっと言うとTV番組で垂れ流されている情報は、まずはすべて疑ってかかることです。
特に、居丈高に大声で断言する人ほど信用できないと思います。
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10.印相? ふーん
葬儀等々と直接の関係はないですが、これも触れておこうかな。
相続手続きに印鑑証明が必須ですから。
印鑑の字体。
一般的に多用されている「印相体」なる字体。
縁起が良いとか言われていますが、実は大嘘だと知りました。
印相体とは実は印鑑業界がハンコのために創作した新作の字体であり、占術的にも学問的にも後ろ盾の一切ない、歴史的にペラッペラの浅いものだそうです。
いや、デザイン的には格好良いんですけどね。
でも、これをもって開運どうのこうのを、まして印鑑としての出来不出来を述べるのは滑稽にすぎないということ。
新作の字体であると知ったうえで印相体の印鑑を選んでもいいと思います(私も使ってます)。
印相体の密なデザインは印章面の強度を稼げているとも思いますから、悪いことばかりではないでしょう。
でも「印相体でないと」などと霊感商法的な偽情報に振り回されたりしないことは大切ですね。
まして、印相体を推すために、歴史ある字体を否定するのは本末転倒(ハンコの広告に「こんな印鑑は不幸になる」とかのデマが、たまに見られる)。
印鑑は欠けておらず鮮明であれば字体は何でも気に入ったものを選べばいいと思います。
デジタルちっくな新作字体もあるようですし。個人的には、イラスト入り印鑑でも登録できるように法改正してほしいくらいです♪
まあ、口座を作るときの銀行届出印や書類への認印だと絵入りでも通るケースが多いらしいんですが、印鑑登録だけは「氏名以外が入ったらダメ」という決まりがあるんですよね。
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11.最後に
あれこれ言いました。
が、これらはすべて私の個人的見解です。
もちろん私は、これらが正解だと信じています。
ですが、自分の信念を通すために、あえて周囲を不愉快にさせる必要性もありません。
そこらは、なあなあで済ますのが平和だとも思います。
ただ、自称マナー講師やマナー自警団や失礼クリエイターやインチキ占い師やエセ霊能者や悪徳宗教家どもにきつく言われて凹むのは、無意味どころか損だということを言いたいのです。
家族の死去に伴うあれこれは精神的にも身体的にも、きついものがありますからね。余計なことにまで気を回してなどいられません。無駄に疲れるのだけは回避しましょう。
自身の中に正しい知識に裏打ちされたものがあれば、外野がどう騒ごうとも「言わせておけ」とスルーできると思います。
そのうえで、波風立たないように適当に合わせておきましょう。何でもかんでもすべてガッチリとマナー自警団の言いなりになる必要など全然ありません。
さすがに目に余るようなレベルなら無視しましょう。縁切りしましょう。
我が家の場合ですが。
葬儀屋さんのかたがた、そしてお坊さんもあれこれと気遣っていただき、言葉は悪いですが一連のことすべて丸投げでき、無知でも何とか済ませられました。これはこれで、もちろん大助かりだったのですが。
実は、告別式が終わって斎場に向かうタクシーの中で、運転手さんが
「葬式に慣れてる人なんていないよ。知らなくてあたりまえだよ」
と、かけてくださった言葉が一番、気持ちを楽にしてくれました。
葬儀屋さんも、お坊さんも同様の心中で動いてくださったとは思いますが、はっきりフランクに言ってもらえたのが、本当にありがたかったですね。
ですから、その言葉を、これを見てくださっている人にも伝えたいと思います。
専門家以外で葬式に慣れてる人なんていない。
知らなくてあたりまえ。ちっとも恥ずかしくないから。
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12.追記
意外なところに恐ろしい罠がございました。(;^_^A
佛式の場合、葬儀の祭壇にせよ、後飾り祭壇(中陰壇)にせよ、白い菊はデフォなのですが(白い切り花の中では比較的安価で長持ちするほう、というのが理由らしい)。
キク科の花粉に反応する体質の人が遺族におられる場合は、他の白い花を選んだほうがいいです。葬儀屋さんにも早めに相談すべきです。
大広間での葬儀はともかく、小さな場所での家族葬とか要注意です。まして後飾りは自宅に一ヶ月半ほど設置するわけですからね。
自宅のは、すぐに別の花に替えればいいけど、それだと菊の代金がもったいない。最初っから菊を除外すべきです。
いや本当に酷い目に遭いました。
瞼と目頭がボロボロですわ。(T-T)
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