それからの鬼太郎の感想など
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『鬼太郎とねずみ男』
一話2ページという超短い作品です。
困ったことに、「鬼太郎父子は七年は復活できない」と締めた少年サンデー版から二年しか経ってないんですよね、これ。
この鬼太郎が時系列のどこに位置するのか、断定的なことは読者として言えそうにありません。
※ 1「毒ネコ」
鬼太郎とねずみ男の相互関係が端的に描かれている。
※ 2「死の評論家」
評論家という存在に対する強烈な皮肉。
※ 3「猫神教」
鬼太郎がノイローゼになって胡散臭い新興宗教に入信するお話。
鬼太郎は少年マガジン版(「海座頭」)でもノイローゼになったっけ。
『ゲゲゲの鬼太郎 死神大戦記』
少年サンデー版では消されてしまった「南の島に移住した」設定が、ここでは生かされています。
つまり「その後の鬼太郎」のストレートな続編。
すべての鬼太郎作品の中、ダントツの大長編。何せ五百ページに及ぶのですから超大作ですわな。
分量的にはムー帝国との闘いを描いた『鬼太郎国盗り物語』のほうが多いですが、あちらは一話一話の積み重ね長編なので、一本の長編としては『死神大戦記』の勝ちということで(笑)。
世界中から昼がなくなった大異変。天岩戸以来の天変地異を解決すべく立ち上がったのは、選ばれた十二人の少年少女たち。
というジュブナイル的設定で始まる大スペクタクル巨編。
子供たちに協力するのが、南の島から一時帰国した鬼太郎と、漫画家・水木しげる。
なのですが、どうにも収まりが悪い。
まず、モブキャラだけでなく、肝心の十二人の子供たちが、水木キャラではない。
鬼太郎の仲間たち、砂かけや子啼きも水木キャラではない。
もちろん、敵キャラも水木キャラではない。
それどころか下手すると、ねずみ男ですら水木キャラでなくなるコマも。
聞くところによりますと、ストーリも水木サンではなく別の人が考えたものだそうで(著作権表記は水木しげる名義)。
始まりと終わりとでブレブレな構成も頭を傾げたくなるレベルです。
主役であるはずの子供たちが、どんどん使い捨ての脇役になっていきますし。生還したのが十二人中たったの三人なのですから、そこを投げっぱではなく最後にちゃんとフォローすべきでしょう。
つまるところ、水木サンがタッチした部分が物凄く少ない作品なんじゃないのか、という疑問が拭えないのですよね。
て言うか、これを“水木しげる作品”と呼んでいいのか? とすら。
これよりずっと後の、アニメ第三期の頃にコミックボンボンで連載された『最新版鬼太郎』。あれと同じシステムで制作されたんじゃないのかな、と想像します。つまり、“水木しげる主体”でなく“水木プロ主体”で作業が進められた。
それだと数々の違和感にも納得できます。
内容にあれこれ言うのも何ですが。
思いっきり淡泊にお話が進むんですよね、これ。
例えて言うなら、
「AがBと出会った。AとBが闘った。Aが勝った」
てな感じで演出皆無で出来事だけを綴っているのです。特に、後半の盛り上がるべき実戦でその傾向が顕著。強敵になればなるほど戦闘シーンが簡素になります。
悪く解釈すれば、尺の配分にミスったのかもしれません。
が、あえて好意的に解釈するなら、この作品は叙事詩を目指したのではないかと、そうも考えられます。『古事記』や『エッダ』や『リグ・ヴェーダ』、ギリシャ・ローマ神話などなどの形態ですね。
冒頭のやや長ったらしい説明文など、そんな雰囲気を醸し出してますし。
ただ、そんな叙事詩の空気感にしても、冒頭や結びでの仰々しい語り口にしても、肝心の本編で表現できているとまでは、お世辞にも言い難い。
地の文でやたらと「死とは何か」という問いかけが出てきます。それも仰々しく、しつこく。
これは水木翁も、よく取り扱うテーマではあります。ありますが。
それに対する解説、考察、思考、模索……そういったものが本編で何もない。ストーリを考えた本人(無論、水木サンではない別人)自身の死生観とか何もないままに、イメージ先行で進めてしまった感すらあるんですよね。
すべてがチグハグに終始した大長編だったと思います。
それにしても、この手の物語に登場する頂点キャラって、解決に向けて具体的に何も動かないのに、思いっきし偉そうなんですよね。判りやすいので言うなら、RPGで勇者に魔王討伐を命令する王様や神様(爆)。
この作品については如来・菩薩がそれに当たります。すべて解決してから、鬼太郎たちを招いてあれこれ説法する。いや、口より手を動かしてくれよ。人類や妖怪が滅んでも、あんたら何もせんかったつもりか?(ついでに言うと、大日、釈迦などなど知ってる名前を適当に挙げた感が拭えません。少しくらい勉強してから書いてほしいよ)
比較すると、『西遊記』の佛様がたは、直接の手出しこそしなかったものの、過酷なる玄奘三蔵の旅に向けてのお膳立ては百年単位で、きっちりやってくださってましたからね。
この本を他人様にオススメするかどうかと訊かれれば、あえてオススメはできない、としか。
スミマセン。
『鬼太郎の世界お化け旅行』(『鬼太郎のおばけ旅行』に改題)
鬼太郎一行が世界の妖怪を退治する旅に出るお話です。
このシリーズでは、鬼太郎は運動帽を被っています。従来のシリーズとは違うという意思表示でしょうか。
※ 1「獏」
鬼太郎、ねずみ男と「何年かぶり」の再会。「悪魔ブエル」でのことを言ってるんだろうか。
鬼太郎は、世界の妖怪を退治すると言い出す。何考えてんだこの父子。
※ 2「水精」
ソ連と言うか露西亜のモンスターだそうで。正式名は「ヴォジャノーイ」。
倒しただけでなく、ねずみ男がカツにして喰うだと!?
※ 3「妖怪大パーティー」
砂かけたちが合流。
水精の仲間たちが、また不気味で。
※ 4「妖怪七人の侍」
伝説のおかた、チ*ポさん登場!
ドラキュラは、「妖怪大戦争」のドラキュラとは別人っぽい。人相が違いすぎる。
つまりこれは、真祖ドラキュラ伯爵の子々孫々たちの間で本家争いでもしてるのかもしれない。
※ 5「ドラキュラ親分」
成り行きなのか最初から本気なのか、ねずみ男が大活躍。
※ 6「砂妖怪」
砂漠の真っ只中。ゴビだろうか?
※ 7「魔女サーカス」
町に着いたからって、せっかくの空飛ぶホウキをすべて売ってしまうとは、鬼太郎たち何も考えてないな。
※ 8「吸血鬼」
ピーのときと真逆で、鬼太郎とねずみ男は無事で、砂かけたちが吸血鬼化とは。
※ 9「蛇人ゴーゴン」
ギリシャに着いたとさ。
本来、ゴーゴンは三姉妹。
※ 10「狼男とゴーゴン」
ルーマニア到着。
この狼男も「妖怪大戦争」のとは別人っぽい。
※ 11「決闘コロセウム」
ローマ到着。
せっかく鬼太郎をコロセウムに誘い出したのに、攻撃が銃って、ドラキュラたちも何を考えとる?
※ 12「蝋人形妖怪」
フランス着。
人形が不吉な予言、それが次々と的中ってのはトラウマ級の怖さ。
※ 13「ベルサイユの化け猫」
これぞ定番、巴里の花売り娘。
切腹がたまたま敵の粉砕という結果になるとは。
※ 14「霊魂爆弾」
ロンドンに着いたと思ったら、すぐにエジプトに行かされる。
※ 15「ベアード」
イギリスに戻る。
「妖怪大戦争」の宿敵、ベアード登場!
なのに、意外と弱かったな。これも再生怪人の法則か?
※ 16「ブードー」
帰路の途中、ケニヤに。
「曲を盗まれた」というのは、「さら小僧」のときと同じケース。
まさか唐傘が、ねずみ男の共犯になるとは(苦笑)。
『悪魔くん 悪をほろぼせ!!』(『鬼太郎対悪魔くん』に改題)
鬼太郎と悪魔くんという水木作品の二大主人公が対決するという、まさに『マジンガーZ対デビルマン』のごとき読み切り企画です。
内容的には貸本版『惡魔くん』の続編あるいは後日譚に位置し、『鬼太郎』の時系列には組み込みにくいです。
そこを、あえて鬼太郎の時間軸に入れるなら。掲載が 1976年であり作中に賄賂を意味する「ピーナッツ」という言葉が出てくることもあって、『妖怪ロッキード』と、ほぼ同じ頃になります。とすると、発表順とは逆に『妖怪ロッキード』のすぐ後の事件かもしれません。なにせ『妖怪ロッキード』が『世界お化け旅行』直後の出来事ですので。
ですが、とにかく読者サービス的なコラボ企画ですから、『鬼太郎』『悪魔くん』どちらの作品にも寄らず、両作品の中間地点の出来事くらいに考えるほうが、いいかと思います。
『妖怪ロッキード』
読み切り短編です。
冒頭に「世界異次元旅行から還っ」たばかりという説明があるので、おそらくは『世界お化け旅行』のすぐ後の事件と思われます。
当時、世間を騒がせていたロッキード事件。あれの黒幕が西洋モンスターだった、というお話。
ただし、ドラキュラ、狼男ときて、フランケンの代わりに魔女。しかも魔女がボスという……。
いちおう、「妖怪大戦争」のときの連中っぽいのですが、なぜかベアードは目玉親父に協力してくれるという摩訶不思議。しかも、ベアードは「月の妖怪」とされている。
「三味線猫のなげき」
これも読み切りです。しかも3ページと超短編(いや掌編か)。
鬼太郎作品ではありますが、水木翁お得意の猫モノ短編集のお仲間と言ったほうが相応しいかもしれません。
テーマが、まさに共通しています。
『蓮華王国』
読み切り作品です。
来日した鑑真和上が世を救うため即身佛(木乃伊)になろうとするのを蜃に邪魔されているため、地蔵様と閻魔様から依頼を受けた鬼太郎たちが千何百年を飛び越えて、鑑真を助けに行くというお話。
これ、ストーリ考えたの誰なんでしょうね。水木カラーじゃないんですよ。
しかもです。史実では、鑑真和上は即身佛になってませんから。普通に入滅しただけですから。そもそも、鑑真和上の律宗では即身佛など扱わないはずですし。
つまり、これも『ベトナム戦記』や『死神大戦記』同様に、誰かが自分の脚本を水木サンに依頼して絵にしてもらったのかもしれません。であれば、考証グダグダなのも仕方ありませんね。
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