『あるポニテマニアの受難』(後)
「ターゲットを捕捉。グレネード・ランチャーを――」「待てっ」
前席の射手の動作を、後席の操縦士が止めた。
「まずはバルカンで、友軍の後退を援護だ」
「ちぇっ、せっかくこいつを試せる時が来たってのによ」
舌打ちする射手。
「味方が距離を取ってくれれば、遠慮も要らないさ」
「りょーかい。んじゃ、機首を向けてくれや」
「OK」
うなずく操縦士によって、顎の下に六連機銃を備えたコブラ武装攻撃ヘリは、その矛先を地上に立つ白衣の天使に向けた。
「敵機接近。機種、ヒューイAH-1F。機数五。対空モードに移行します」
上空を見上げていた3Pは腰を落とし、片膝立ちの姿勢を取った。白いミニの裾からのぞく網タイツに包まれた太股の先端、立った右の膝頭は当然、お約束のとおり、ぱっくりと口を開けている。
「ハインリッヒ型地対空ミサイル、発射」
「喰らえっ、七・六二ミリ弾のシャワー!」
そう言って地上の看護婦目掛けて発射トリガーを引こうとした時、射手の視界に何かが入った。
「?」
怪訝に思っている間に、それは自分の方に近づいてくる。
「?」
やがて、射手の視野の大部分がミサイル先端に描かれた黄色いスマイル・マークで占められ――
「ナイトイーグル5、消失!」「ナイトイーグル3、沈黙しました」「2、6、ともに応答ありません」
うすら寒い報告を聞きながら、指揮官は考えあぐねていた。
しかし無駄な努力である。平和ボケのこの国で、いくら訓練を積んだところで、それは所詮、金のかかった戦争ごっこのレヴェルでしかない。これだけの強力なマジ反撃を受けた体験など、自分も部下たちも一度としてないのだ。
したがって善後策など思いつく道理はなかった。
「ナイトイーグル4、健在!」
「なにィ!?」
思わず大声で訊きかえす。
「ミサイルを避けたのか!?」
「いえ、攻撃を受けていないそうです」
通信兵の言葉に、指揮官はほくそえんだ。
「ということは……」
カチッ。
左膝を立てていた3Pは、その膝を元に戻し、上空の戦闘ヘリに両肘を向けた。
…………………………………………。
だが、何も起こらない。
3Pは、両手首を開く。
カタカタカタカタカタカタカタカタ…………。
空しい機械音だけが、夜の闇に響く。
弾切れであった。
それを見ていた指揮官の一声が轟く。
「よおしっ、今だ! かかれぇ!!」
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
それまでの鬱憤を晴らすかのように、手に手に武器を抱えた兵士たちが白衣の天使目掛けて走り寄る。
「ぐわっ」「ぐごっ」「げふっ」
たちまち、三人が道に転がった。
「弾薬消耗のため、格闘モードに移行します」
体を斜めに構えた3Pは右手を伸ばし、左手を胸の前にかざした。摺り足で兵隊たちに近づいていく。
「バカッ! 撃てばいいんだ!」
誰かの声に、皆が発砲する。
ミニの白衣に穴を開けながらも、3Pはさらに五人を叩き伏せた。
「やはり無理か……ナイトイーグル4!」
『こちら、ナイトイーグル4』
「我々地上班の後退と同時に対戦車ミサイルを撃て」
『了解。TOWを使用します』
「よおしっ、全員退避だ!」
最早、容疑者確保という任務のことなど完全に失念していた。彼らの頭の中には、この戦いに勝つことしかなかったのである。
「敵地上部隊、急速後退。敵ヘリ再度接近」
3Pにも、相手の出方は読めていた。
周囲の地面を見回す。
銀色の平たい金属製の小型水筒――スキットル――があった。敵兵の一人が落としていったのであろう。拾い上げてみる。チャプンと音がした。
「純度52%のエチル・アルコールを確認」
強めの安物ブランデーでも入っているのだろう。
それを右手に持った3Pは両膝を軽く折って、接近中の攻撃ヘリを見つめた。
次の瞬間、スキットルを鋭く投げる、と当時に左目から青白い光線を発射した。医療用レーザー・メスである。
ぼわっ。
たちまち炎に包まれるスキットルは、そのまま飛んでいった。
「TOWの照準をロック。発射する」
「なんだぁ、ありゃあ?」
操縦士の間抜けな声に、発射スイッチへ伸ばした指を止めて射手はモニターから目を上げた。
「へ? 人魂?」
青い火の玉が目の前まで迫っていたのだ。
「うわぁあああ!」「ぶつかる!」
最後のヘリが夜空に燃え上がった。
だがその瞬間、TOWも発射されてしまった。もちろん照準はズレており、3Pには当たる様子はなく――
「要介護者!?」
ミサイルの軌道を計算した3Pはダッシュした。未だ横たわっている雪野のもとへ。
「要介護者を保護」
3Pは、その華奢な体で気絶している雪野を覆った。直後に対戦車ミサイルTOWが近くの地面に着弾!
猛烈な爆音・熱風とともに、無数の金属片が飛び散る。
それらは雪野を守る機動看護婦に、容赦なく叩きつけられた。
「外郭装甲、一部損傷。左脚部関節、破損。右音響センサー、右電磁波センサーともに機能停止」
3Pの自己診断の文面よりも、実際の被害はひどかった。
爆風の高温により、純白の制服は黒ずみ、背中の部分は完全に焼失してしまっていた。そして剥き出しになった背中の人造皮革は破れ、強化セラミックの装甲が見えている。しかもひび入りで。
看護婦のシンボルたるナース・キャップも、すでに原型をとどめてはおらず、ただ、焦茶色の繊維の切れ端が頭にへばりついているだけであった。
開発者ご自慢の美しい栗色だったポニーティルは形こそ残ってはいるものの、元のファイバーの色が現われてしまっている。もちろん白かったケブラー・リボンも黒焦げだ。
「よしっ、敵の動きが止まった。いくら化け物でも、あれだけの至近距離だ。最早戦えまい。――全軍、前へ!」
勝ち誇ったかのような口調で、指揮官が命ずる。それに呼応して二人に近づき始める兵隊たち。
「敵、接近。防衛策を検索中」
だが、片足の使えない状態では、なすすべもない。
「う…うぅん」
その時、雪野が意識を取り戻した。
ゆっくりと目を開くその視界に、白衣の天使の笑顔があった。
「き…君は……?」
「大丈夫ですか? どこか痛くありませんか?」
いかなる状況でも、患者に不安を与えてはならない。そのため、要介護者に接する際の3Pは笑顔しかできない。どんな窮地であろうとも。
「そ、そうか……まだ、追われてたんだ。連中に。は…ははっ」
ほとんどヤケ気味に笑う。乾いた笑い声だ。
「要介護者、不安なのですね。誰にでもあることです。大丈夫です、要介護者」
言われて、雪野はゆっくりと言った。
「要介護者って、なんだかなぁ。雪野っていうんだ、僕」
3Pは、こっくりとうなずいた。こぼれんばかりの笑顔で。
「心配しなくてもいいです、ゆきのさん。私がお守りします」
その声に、雪野はあらためて自分を抱きとめてくれている相手を見た。
――か、可愛い! しかもぽにてだ……。
つぶらな瞳も美しかったが、この後に及んでもやはりポニーティルに目がいく雪野の根性だけは、見上げたものである。もっとも、3Pの外部損傷が背後だけでなく前にも及んでいれば、とうに悲鳴を上げているところではあろうが。
「さあ、容疑者を渡してもらおうか」
すでにすぐそばまで来た指揮官が、尊大に言った。
「拒否します。看護婦は患者を見捨てません」
ぎゅっと雪野を抱き締める3P。雪野の頬が、3Pの胸部の冷却ジェルに押し付けられる形となった。
3Pの体内で活動している熱核反応炉の熱エネルギーを受け、ジェルはちょうど三六・五度に暖められていた。
――あったかい。
雪野がそう思った時、三人の兵士が二人を引き離しにかかる。
バキッ!
「ぐわっ」
一人がはじき飛ばされた。
そして残り二人も、一瞬にして地べたに沈んだ。
片足立ちした3Pが、両腕を構えている。
「あくまでも抵抗するのか。よかろう」
指揮官の合図で、一斉に3Pの上半身へとM4ライフルの照準が向けられる。
「撃てっ」
たちまち硝煙と銃声に周囲がおおわれる。
だが、銃撃を受けたまま前進する3Pは、一人のM4の銃身を掴むと、無造作に放り投げた。
さらに、その隣の兵士の腕を強引に引き、他の数人にぶつける。
その間も、弾丸の雨にさらされ続けている3P。
「な…何がそこまで……」
指揮官の顔は引きつっていた。
〔われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん〕
不意に3Pが喋りはじめた。音声回路の故障による不随意的発声である。ために、音量調整もできないのか、かなりの大声だ。
〔わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを〕
「撃てっ、撃てぇっ!」
うろたえて叫ぶ指揮官。その様子に、兵士たちも浮き足だってきていた。
〔われはすべて毒あるもの、害あるものをたち、悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし〕
口ずさむように歌うように語る3P。その間にも撃たれ、傷つき、戦っている。
〔われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし〕
「これは!?」
機関音の中、耳に届いた声に、思わず車を停止させる麗香。
「どうしたんですかぁ、せんぱーい」「お黙り!」
〔わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて〕
「これって……」
耳をすます麗香が呟く。
「確か…ナイチンゲール誓詞」
「そう、ナイチンゲール誓詞。世界中の看護婦がその胸に持っている偉大なる誓いの言葉」
ビルの屋上で7×50の大型双眼鏡を使っている東郷重一郎は、独り言のように言う。
「徹底して要介護者を守らねばならない3Pの頭脳には、面倒な“ロボット三原則”などインストールされてはいない。邪魔になるだけだからな」
〔わが知り得たる一家の内事のことすべて、われは人にもらさざるべし〕
東郷の心の耳にも、3Pの声は届いているのだ。
「彼女の行動原理は、これだけだ。これだけで充分なんだ」
東郷は、誰に言うともなく、熱く語った。
ゴキッ!
必死の形相の兵士が叩きつけた鉄パイプを右足に喰らい、3Pはついに倒れ込んだ。膝があらぬ方向に曲がってしまっている。
「よくやった! これで動けまい。ぶち壊してやる!」
両手を使ってなんとか地面を移動する3P。その痛々しい姿を、しかし、武装警察たちは憎しみを込めて見つめている。
〔われは心より医師を助け、〕
「撃ちかた用意!」
全員の銃口が、無惨な姿の機動看護婦に狙いを定める。
〔わが手に托されたる人々の幸いのために、〕
3Pは、辛うじて上半身のバランスを保ちながら、両手を大きく広げた。
「撃――」
〔身を捧げん〕
指揮官の命令が飛ぶか飛ばないかの内に、「ナイチンゲール誓詞」を唱えおわった3Pの両手が弾けた。
飛び出した十本の指は、さらに数十の矢となって、周囲の兵士たちを襲った。超小型の多弾頭ミサイルである。
「ば…馬鹿な……たった一体の…………」
そこまで呟いた指揮官が、最後に倒れ伏した。
最早、動く者はなかった。
「ゆ…きの……さん…………」
指を失った手で体を引きずり、3Pは、要介護者の元へ急いだ。彼女のできる精一杯の速さで。
「看護婦さん……」
感極まった表情で、その姿を見守る雪野。
その時である。
「雪野さぁーん」
ようやく現場に到着したνマッハ号から、美花が駆け降りてきた。
「探したんですよぉ。何してらしたんですかぁ?」
周囲の惨状にまったく気づく様子もなく、美花は呑気に声をかけてきた。疲弊しきった雪野がまだ満足に動けないのにも、おかまいなしだ。
「すぐに来るって、おっしゃってたじゃないですかぁ」
そう雪野を問い詰める美花の髪は――
「ぽにてだ……」
少しの間、見とれた雪野は、必死に這いずってこようとしている看護婦の姿に視線を戻した。
全身を焼け焦げにし、手足を失ったその無惨な姿は、すべて自分を守ってくれたためのものだ。彼女は自らを犠牲にし、そのすべてを雪野に捧げてくれた。すでにファイバーの素材色が剥き出しになった髪だけは、わずかにポニーティルの形をとどめていた。が、乱れた髪型とて彼女の勲章なのである。
雪野は自分を見つめる二人の娘を交互に見た。
身を呈して、狂った戦闘集団から自分を守りぬいてくれた機動看護婦。方や何も知らずに、呑気に自分を質問責めにする美花。
そう。どちらを選ぶかなんて、最初から決まっていたのだ。
「美花さぁーん」
甘え声を上げ、雪野は美花にすがりついた。
「こ…怖かったんですよぉおお」
「雪野さん……」
美花は、そんな雪野をいとおしそうに包み込んだ。
――作り物よりも、「生ぽにて」がいいに決まってる。
判りやすい雪野の選択である。
「じゃ、行きましょうか」
「ウン」
鼻の下を伸ばして、美花に従う雪野。こうなると体も思いどおりに動くのだから現金なものである。
足元に横たわっている3Pに、一瞥もくれずに歩いていく。
「せんぱーい、捕まえましたぁ」
「へ?」
その言葉を理解するより前に、雪野は背中を強く押され、つんのめった。そして目の前には、絶対に目にしたくない顔が――
「雪野さまぁ♪」
「んがおゃうぇおぁうにぃいい!?」
目をうるませる麗香嬢の存在を認識し、聞き取り不能の言語を発する。
「じゃあ、あたし、もう帰ってもいいですね、先輩」
「ええ、ご苦労さま。あ、屋敷の者に送らせますわよ、華見さん」
上機嫌で笑顔を向ける麗香に、美花も明るく答える。
「ありがとーございますぅ。でも、すぐ近くなんですぅ。デートの待ち合わせ」
――でぇとぉ!?
雪野が凍り付いた。
「あら、そうですの。でも、この騒ぎでは……」
気遣いを見せる麗香に、にっこりと微笑む美花。
「彼なら、ゴジラが出ても、UFOが降りてきても、待っててくれるんですぅ。だから行きます」
「まあ、お安くないのね。では良い夜を。ごきげんよう」
「おやすみなさぁい。雪野さんも、お疲れさまでしたぁ」
そう言って美花は、楽しそうにスキップをしながら、そこかしこに横たわっている兵士たちの体を踏み越えていった。ピンクのリボンで結わえられた美しき黒髪ポニーティルが、踊るように左右に揺れながら、暗闇に消えてゆく。
「では、あたくしたちも参りましょう、雪野さま」
「そ……そんなぁ…………」
ズルズルと力なくひっぱられていく雪野は、そのままνマッハ号の助手席に四点式シートベルトでしっかりと縛り付けられてしまった。
ブロォムッ、ブババババババッ…………。
去り行く白い流線型ボディを物陰から見送っていた東郷は、一つ溜め息をついた。
「やれやれ、これから後始末か。にしても……」
すでに機能を停止している3Pを見下ろす。
「回収しても部品取りにしかならんか。まあ、テスト用としては、成果はあったわけ――」
そこでふと口をつぐむ。
3Pの電磁波センサーの光学レンズ部分が光ったように見えたからだ。
「ふん。レンズ用の洗浄液か……バカバカしい」
そう言って、通信機を取り出す東郷。
「こちら駄菓子屋のおばば、オーヴァー?」
3Pの円く開かれたままの瞳からは、確かにしずくが流れ落ちていたのである。
ちなみに――
その夜、バタフライキャッスルから響き渡った、ガチョウの締め殺されるかのような不気味な悲鳴は、夜明けまで続いたという。
教訓。
人の好意を踏みにじる奴は、
馬に蹴られて
死んでしまいますことよ。
オーッホッホッホッホッホッ♪