立ち出でん空もなき心ちして


作 妖之佑

 
 
 
 
「おい、典子。酒が足りない。持ってきてくれ。それと、お湯もな」
「はい」
 父に言われて、私は立ち上がり、座敷を出た。
 私の背後、障子越しに、騒がしいダミ声やら、音程の外れた歌声やらが聞こえてくる。
 ――ムカツク。
 短く息を吐き、私は廊下を歩く。
 親族会議からなだれ込んだ宴会になんか、つき合いきれない。
 正直、座敷のバカ騒ぎから離れられて、ほっとした。それに、これで…………。
 台所に入り、隅のケースから日本酒の一升瓶を一本取り出す。
「あとは、お湯……か」
 アルマイトの大きなヤカン――アルミは体に悪いそうだが、どうせ私が口にするお湯じゃない――に水を注いで、ガスコンロの火にかけた。
「ふぅ…………」
 そのまま椅子に腰掛け、ダイニング・テーブルにつっ伏した。
「いや〜、とにかく丸く治まって、よかったなあ」
 廊下を通じて、座敷の声が聞こえた。あれは一番下の叔父だ。
 ――よかった? 何がよかったのよ!?
 私は顔を上げた。
「一時はどうなるかと思ったわよ。本当に」
 今度は三番目の叔母の声。
 思わず立ち上がった。椅子がガタンと鳴る。
 ――やっぱり許せない。
 私は決めた。
 そもそも、あの人たちが悪いのだ。父も含めて。
 いや、本来なら私をかばってくれるべき父が、一番悪い!
 私が結婚したい人がいるとうちあけた時、戸惑いながらも父は喜んでくれた。
 彼が父のメガネにかなうと、私は確信していた。なぜなら、父もよく知っている、そして日頃から何かと父が目をかけている人だから。
 でも、相手の名前を告げた瞬間、父は烈火のように激怒した。
 仕事もできて、真っ正直な性格で、子供が好きで、お金にもきちんとしていて、どこを取っても父の希望に背くところなんてなかった。
 ただ一つ、私たちがいとこ同士という点を除いて…………。
 父はすぐに弟――私の叔父であり、彼の父親だ――を呼び、相談――私に言わせれば謀略だ――し、彼を海外にやってしまった。父の会社に彼が勤めていたのが災いした。
 距離さえ置けば、あとは時間が解決すると思ったのだろう。
 だが、私は引き下がらなかった。すぐに彼を追う準備を始めた。
 その挙げ句が、この親族会議だ。父を中心に厳しい顔をした叔父・叔母たちに囲まれ、私は責め立てられた。
 ――夕霧と同じだ。
 下らない説教を聞き流しながら、そう思った。
『源氏物語』のヒロインの一人だ。いとこ同士の恋を引き裂かれた悲劇の女性。
 でも、私は違う。
「判りました。身を引きます」
 らちがあかないので放った言葉を真に受けた父たちは、そのまま宴会へと突入したのだ。
 人の人生を踏みにじっておいて、お気楽にお酒だなんて……。
 そもそも今日発つつもりだったから、パスポートもヴィザも手許にある。お金だって荷物だって、準備できている。その気になれば、今からすぐにでも、彼の所に翔べるのだ。
 だが、その前にしておくことがある。
 ――今しかない。
 私はポケットにずっと隠し持っていた紙包みを取り出した。
 開いて中の白い粉末を見つめる。これだけあれば、簡単に事は終わる。
 私は座敷の様子をうかがいながら、魔法瓶の口を開ける。
 ――魔法瓶。
 彼が好んで使う言葉だった。私とそう変わらないのに、なぜだか古い言い方の好きな人だ。そして、彼自身、古い時代に生きるほうが似合うような、ゆったりとして穏やかな人。
 そんな彼が、私は大好きだ。
「…………」
 私がこんなことをしても、彼は受け入れてくれるだろうか。でも、このままじゃ、きっとまた邪魔をされてしまう。
 紙包みを手にしたまま立ちすくむ私の横で、アルマイトのヤカンが激しく湯気を立て続けている……………………。

 
 
 
 


 
 某企画への貢ぎ物第三段? です。あと三枚あれば、少し違う形になったのですが……。これじゃ、ちょいと激しすぎますかしらん。
 
2001.7.10.
 
スミビト企画

 
「宿坊」ご常連の、あおいさくらさんより、“『源氏物語』の夕霧は男の子”とのご指摘をちょうだいいたしました。きちんと調べなかった己への自戒を込めて、あえて本文は修正せずにおきます。
2001.7.19.

 
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庭に出る
 
 
 
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