おかねもち


作 妖之佑

 
 
 
 
「あー、カネが欲しい」
 琢也は、青空を見上げて、ため息混じりに呟いた。
「クッソー、今にも売れちまうかもなー」
 つい今しがた目にしたものを思い浮かべる。
 スズキGT750。“ウォーター・バッファロー”の呼び名で知られた三○年ほど昔の水冷式2サイクル・エンジンのバイクである。
 たまたま覗いたバイク屋にあったのだ。店主に話を訊いてみると、どこかの道楽家が買ったまま長年しまい込んでいたらしく、ほとんど未使用とのことだった。見た目にも輝いていて、状態の素晴らしさが嫌でも判った。
「ぜってー欲しい!」
 とはいえ、激レア物のため、値切りや分割などは一切通用しない。相手の言い値で現金払いするしかないのだ。
「あのオヤジ、欲張りやがってよー」
 街にゴロゴロしている“ご利用は計画的に”で借りようにも、額が額である。とても足りはしない。第一、琢也は散財のしすぎで、業界のブラック・リストに挙げられている。
「こーなりゃ、やるっきゃねーか」
 すれ違う人々を見る琢也の目つきが怪しくなりはじめた時である。
「融通してやろうかい?」
「え?」
 不意に聞こえた声に立ち止まる琢也。
「誰だよ?」
 だが、自分を見ている者などいない。
「こっちだよ」
 腰のあたりから声がしていることに気づいた。
「あ?」
 クシャクシャのレインコート姿で肩からズタ袋をかけた、頭の薄いホームレス風の老人が、電柱の根元に積まれたゴミを漁る手を止め、こっちを見上げてニタニタ笑っていた。日焼けした浅黒い顔も、薄汚い。
「いくら要るんだい?」
「……………………」
 言葉が出なかった。それなりに色々な目にも合ってきた琢也だが、こんなからかわれかたをしたのは初めてだった。
「ざけんなよ! ったく……」
 まだ見ている老人を放っておいて、琢也は歩きだした。
「銀行の前で張ってりゃ――」
「捕まるだけだぜ。やめときな」
!?
 同じ声がして、思わず琢也は振り返った。だが、さっきの電柱の所に人影はなかった。
「どこ見てんだい?」
 声は足元からだった。
「え!?
 息を呑む琢也を愉快そうに見上げながら、集めたゴミを選別している老人の姿がある。
「おっ、おめえに用なんてねーよ!」
 吐き捨てて、琢也は先を急いだ。昼時の今なら、銀行も混雑しているから、獲物も見つけやすいはずだ。
「やめときなって」
!!
 もはや、どう反応していいのか、判らなかった。後ろに残してきたはずの老人が、目の前でニタニタ笑っているのだ。
「お、おめえ……なんなんだよ?」
 やっとの思いで、声に出した。
「なんでもいいじゃないかい。俺ぁ、あんたにカネを融通してやろうって言ってんのさ」
 しわの中に隠れそうな小さな目で、琢也の顔を覗き込む。
「ひったくりなんてバカやっても、得なことなんざ、ないさね」
「なっ、なんだとぉ!?
 腹の内を見透かされて、琢也はうろたえ、相手を睨みつける。
「怒るこたぁないだろ? その代わりに、カネを出してやるんだからよ」
 いきり立つ琢也をニヤニヤ笑いであしらう老人。
「だまされたと思って言ってみな。いくら欲しい?」
「それは――」
 その言葉につられて答えかけ、口をつぐんだ。こんなみすぼらしい老人に、カネが用意できるはずがない。自分はからかわれているのだから、と、あらためて思ったのだ。
「やれやれ。しょうがないな――ほれ!」
 老人が右手を軽く振った。
 と――
「え!?
 琢也は我が目を疑った。
 周囲の人や車がすべて動きを止めたのだ。凍りついたかのように。いや、時が止まったかのように……そう、時間が停止したのだ。
「なんだぁ、こりゃ?」
 ぽかんと口を開いた琢也だが、すぐに状況に気づいた。そして――
「なんでもいいや。今のうちに――」
 そう言いながら、自分の隣を歩いている――正確には、歩いた姿勢で停止している――中年女性の高級ブランド・バッグに手を伸ばす。
「よしな」
 その声と同時に、バッグを掴みかけていた琢也の手に、電気が走った。
「あちっ!」
 一瞬だが鋭い衝撃に、思わず手を引っ込める。
「俺ぁ、あんたに盗みをさせるために、こんなことをしたんじゃねーんだぜ。あんたに信用してもらうためにだ。判るよな?」
「…………」
 まだ痺れている手をさすりながら、うなずく。相手を怒らせないほうがいいと判断したのだ。
「よっしゃ。じゃあ、よく聴きな。俺ぁ、実は死神なんだよ」
「ま……」
 まさか、と言おうとしてやめた。少なくとも、相手が尋常な存在でないことだけは確かなのだ。自分の左側に駐車しているワン・ボックス・カーの屋根から飛び降りたトラジマ猫が地上一メートルの高さで全身を伸ばしたまま凍りついて浮かんでいるのが、何よりの証拠だった。
「お、俺を殺しにきたのか?」
「おいおい」
 心外だという顔で、老人は首を横に振った。
「まったく、どいつもこいつも……いいかい? 死神ってのは死にそうな奴に憑きはするがよ、殺したりはしねえんだぜ。そりゃ、まあ、落ち込んでる奴に自殺をそそのかしたりは、たまにゃやるがね。直接手にかけるのは、閻魔様に禁じられてんだよ」
 真面目な顔で解説する老人、いや、死神である。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
 話を聞いているうちに、琢也の頭に、言い知れぬ不安と焦りが沸き上がってきた。
「…………じゃあ……俺は…もう死ぬ……のかよ?」
「いんや」
 死神は、きっぱり否定した。
「そこで相談なんだよ」
 肩から下げているズタ袋から何かを掴み出す。
 ゴクリッ。
 琢也の喉が鳴った。
 老人の黒ずんだ手に、ぶ厚い札束が握られていたのだ。
「こいつで、あんたの寿命を売らねえか?」
「はあ?」
 一瞬、意味が判らずに、琢也は口を開いたままでいた。かなりの間抜け面だ。
「ああ、その前に訊いとかないとな」
 札束を袋に戻し、思い出したように言う老人。
「あんた、何かでっかな人生計画とか、あるかね? 何十年かかけて歴史に残るような偉業を成し遂げたいとかよ」
「い……いや、んなもんねーよ」
 何十年どころか、明日のことすらロクに考えたことのない琢也である。
 老人も判っていたというような意味深な笑いを見せながら、ふたたび札束を取り出す。さっきよりも増えているようだった。
 ゴクリッ。
 また琢也の喉が鳴る。
「いちおう訊いとかねーとな。あとで泣き言、言われるのは気分がよくねーんだ」
 そのぶ厚い札束でパタパタやりながら語り続ける死神。
「こないだもよ、カネを融通してやった奴んトコに行ったんだよ。何十年も前に俺が寿命を買った奴んトコによ」
 宙に目を泳がせながら喋る。
「百まで生きるところを七○にして、その分、カネを渡してやったのさ。奴はそれを資金に、なんだか小難しい研究ってのにのめり込んだのさ」
 そこで少しおかしそうに笑った。
「ところがよ、俺が迎えに行ったら泣きついてきやがったのよ。『まだ研究が完成していない。頼むから待ってくれ。カネなら返すから』ってよ」
 今度は、しかめっ面に転ずる。
「そーは言ってもよ、最初の約束は変えられねえ。俺だって仕事なんだぜ。ここで筋を曲げたら、閻魔様に大目玉だあね」
 小さく首を横に振ってから、琢也へと視線を戻す。
「だからよ、あんたにも確認しときたいのさ。この先、長めの計画とかあるかい? 彼女と結婚して子供生んで育てて孫ができて、金婚式の海外旅行に行くのが生き甲斐とかよ」
「バカバカしい! ねーよ、んなもん」
 吐き捨てるように言う琢也。
「今日が楽しけりゃいいさ」
「明日のことなんざ、判らねえ……かい? 映画か何かの台詞みてーだな」
 にんまり笑って老人は言う。
「よっしゃ、商談成立だ。――で、いくら要る?」
 訊かれて琢也は計算した。
 ――バイク屋のオヤジ、一五○万って言ってやがったな。登録だ何だって二○○万ぐれーか。新しいメットと革ジャンも欲しいし……いや、よゆー見とかないとな。
 そして計算終了。
「さ…三○○万――だと、何年だ?」
 かなり思いきって言ったつもりだったが、相手の反応は意外に静かだった。
「なんだよ、それっぽっちかぁ? それじゃあ、せいぜい三月がいいとこだぜ」
「じゃ…じゃあ」
 素早く暗算して――
「三千万!」
 これでも三〇ヶ月、二年半だ。
「おいおい、若けぇのに、しみったれてんなぁ。『五○年分寿命渡すから』とか言ってみなって」
 さすがの琢也も、そこまでは思いきることはできなかった。五○年後では病気か何かで死にかけているに違いない。何事も「よゆー見とかないと」なのである。
「いや、三千万でいいよ。おめえが信用できたら、また頼むかもしれねーしよ」
「なるほど。様子見かい? 慎重なトコもあんだな。――じゃ、これに署名してくれや。証文だ」
「しょうもん?」
 耳慣れない言葉に戸惑う琢也。
「ああ、すまね。契約書のことさね」
「ふーん……これでいいのか?」
 黄ばんだシワクチャの紙切れに名前を書き込んだ琢也は、相手の顔を見た。
 満足げにうなずきながら、老人は紙を懐にしまい込む。そして――
「じゃ、こいつはあんたのもんだ。受け取りな」
 差し出された札束を掴む琢也。紙幣が重いというのを、初めて感じた。
「じゃ…じゃあ、行っていいのか?」
「ああ、用があったら、また会うさね。んじゃな」
 ニタニタと笑う老人に見送られながら、琢也は歩きだした。
 ――とにかく、カネが入ったんだ。これであのバイク……いや、これだけありゃあ、ポルシェだって買えるじゃねーかよ。よーし、あんな古臭せーバイクなんてやめにして、外車のディーラーに直行――
 そこで急に足がもつれた。そのまま道に倒れ込む琢也。
 ――!
 思わず声を出した……はずが、声が出ない。
 ――な、なんなんだよ? これ…。
 体に力が入らなかった。焼け付くアスファルトに顔を貼り付けたまま、ピクリとも動けない。
「へー、こいつぁ掘り出しモンだったなー」
 上から声がした。辛うじて視野の隅に、あの老人の薄汚い顔があった。
 ――ど…どーゆーことだよ!? 爺ィ!
 声にならない声で訊く。
「寿命さね、あんたの」
 その声が、やけに遠くから響いているようだった。
 ――寿命って、売ったのはたった二年半……。
「だからよ、あんたの寿命は、もともと、あと二年もなかったってこったぁね。ヤクか何かで体壊すか、ケンカで刺されるか。まあ、なんにしても、ロクな死にかたしねーって決まってたみてぇだぁな。へへっ、へへへ」
 さも愉快そうに笑う老人、いや、死神。
 ――おっ、おめぇ! ハメやがったな!?
 琢也の抗議に、心外な、という表情で応える。
「たまたまだよ。時々ぁ、あんだよ。こーゆーこともよ。こっちだって赤字だぜ。ひょっとして、一年分のカネでもよかったかもしれねーからな。――ま、お互いさまってこって」
 ――冗談じゃねーぜ。あ? なんだ?
 数人のチンピラ風の男たちが、倒れた琢也の体を探っていた。
 ――あっ! やめろ! それは!!
 ポケットから発見した札束に狂喜するチンピラたち。琢也の体をそのままに、立ち去ってしまう。
 ――てめーら。俺のカネ、どうする気だ!? おいっ! 待て! 待ちやがれ!!
「あきらめなって。どーせ、あんたにゃ、もう使えねぇ」
 多少、同情気味に声をかける死神。
「じゃ、行こうかね」
 その声と同時に、琢也の意識は、暗闇の中に吸い込まれていったのである。

 
 
 
 


 
 元ネタは、落語の『死神』です。
 途中で落ちが見えたでしょうか? ごめんなさいませ。
 
2001.6.20.

 
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