フクロウとオオカミ
作 妖之佑
フクロウさんは、とても長い間、そうしていました。
森の大木の大きな枝にとまって、ずうっと独りで考え事をしていました。
考えるのは色々なことです。
フクロウさんの別名は「森の哲学者」。
だから、考えるのも、独りでいるのも、全然、苦になんかなりません。
だって、それがフクロウさんなのですから。
そんなある日のことです。
下が、やけに賑やかなのに気がつきました。
考え事を邪魔されたフクロウさんは少しだけ枝から身を乗り出して、木の根元を見下ろしました。
森の動物たちです。
クマさん、シカさん、イノシシさん、キツネさん、リスさんにモモンガさん…………ヘビさんやヨダカさんもいます。
――何をしてるんだろう?
気になったフクロウさんは、聞き耳を立てました。別に失礼じゃありません。だって、動物たちの話し声は、とても大きかったのですから。
「だからさァ」「うんうん、そーそー」「でしょ? それって」「アハハハ」
なんだかとっても楽しそうです。つい、フクロウさんは、聞き入ってしまいました。
――いいなぁ。
それは、ずうっと独りでいたフクロウさんが、今までに感じたことのない気持ちでした。
そんなことが何日か続いたある晩、フクロウさんは、思いきって枝から降りてみました。そして、お喋りをする動物たちに近づいたのです。
「こんばんは、みなさん。いつも楽しそうですね。よかったら僕もお喋りにまぜてくれませんか?」
動物たちは一瞬、戸惑ったような顔をしました。でも、すぐに――
「もちろんですよ、フクロウさん。一緒に楽しくやりましょう」
シカさんが言いました。そしてクマさんもリスさんも、みんな、フクロウさんを暖かく迎えてくれたのです。
フクロウさんはみんなの話を聞き、自分も喋り、楽しいひとときは、あっという間に過ぎていきました。
「じゃあ、また」
みんなが帰ると、フクロウさんも木の枝に戻りました。
「ああ、楽しい夜だったなあ。思いきって声をかけて本当によかった」
フクロウさんは、とても満足していました。
それから毎晩、フクロウさんは動物たちのお喋りの輪に加わりました。
キツネさんのジョーク、イノシシさんの冒険話、リスさんの愚痴、ヨダカさんの悩み……、そんないろんなものにフクロウさんも答え、自分のことも喋ります。
笑い声で盛り上がるお喋りの輪。
でも、フクロウさんは、一つだけ気になることがありました。
オオカミさんです。
オオカミさんは、いつもみんなから少しだけ離れて座っています。
みんなの話を聞いているのかいないのか。でも、座っています。
たまに、誰かが声をかけた時にだけ、短く答えます。
それだけ。
――オオカミさんは、どうして輪の中に入ってこないんだろう?
フクロウさんは思いました。でも、それをオオカミさんに尋ねることはしませんでした。
それよりも、お喋りのほうが大事だったからです。
フクロウさんが動物たちのお喋りに加わってから、だいぶ経ったある晩のことです。
「そう言えば、この間みんなで行った湖、綺麗だったなあ」
不意にクマさんが言いました。
「湖?」
フクロウさんが聞き返します。
「そうねー、素敵だったわ」
リスさんがうなずきます。
「みなさん、湖に行ったんですか?」
もう一度、フクロウさんは訊きます。
「ええ、みんなで行きましたの。楽しかったわ」
リスさんが、うっとりした表情で答えました。
「そうですか。それはよかったですね」
フクロウさんは、そう言って笑いました。
そして、話は別のことに移っていきました。
また、別の晩。
「いやあ、こないだのハイキングには、まいったよ」
イノシシさんが言いました。
「ハイキング……ですか?」
フクロウさんが訊きます。
「そうそう。あれはきつかったよ。誰だっけ? 楽勝だなんて言ったのは?」
「言い出しっぺのキツネさんだよ」
クマさんの疑問に、ヨダカさんが、ぶすっとして答えます。
「だいたい、夜型のわしに、あのコースは拷問だ。せめて、もっと平坦な道にしてくれれば」
ブツブツ文句を言うヨダカさんです。
「まあまあ」
モモンガさんがヨダカさんをなだめます。
「あたいにも、きつかったけど。でも、みんなで行けて楽しかったじゃないの」
「そりゃそうなんだけどね」
ヨダカさんもうなずきます。
「そうなんですか、ハイキングに……」
フクロウさんの呟きには誰も気づかずに、話は別のことに変わっていきました。
ある夜のこと。
珍しく、誰も集まりませんでした。
たまには、そういう晩もあるのです。ですから、フクロウさんも枝から降りません。
と。
「フクロウさん、フクロウさん。いますか?」
誰かが下から呼びました。
「はい?」
フクロウさんは、つばさをはばたかせ、降りてみました。
「おや、ヘビさんですか。今夜はあなただけですか?」
「そのようですね。いや、まったく……」
ヘビさんはニヤニヤと笑っています。
「どうしたんです?」
そんなヘビさんに訊きます。
「いえね、今日の昼間に、みんなで出かけたんですよ。山登りに」
「山登りですか?」
フクロウさんの目が円くなります。
「ええ。例によってキツネさんが言い出したんですよ。懲りずにね」
ちょっぴり皮肉がこもっています。
「だから、みんな疲れてしまったのでしょうね。あっしも今夜は早く寝るとしましょう。いや、節々が痛いったら……」
そう言うと、フクロウさんに何かを渡します。
「山で採ってきた野イチゴです。お土産話のほうは、また、みんなが集まった時にでも。――それでは、おやすみなさい。オオカミさんも」
「え?」
ヘビさんの言葉に、はじめて気づきました。オオカミさんが、いつもの場所に座っていたのです。その前には、ヘビさんから貰ったのでしょう、フクロウさんのと同じ野イチゴがあります。
フクロウさんと目が合うと、オオカミさんは立ち上がり、木々の中に消えていきました。ヘビさんも、もう帰ってしまっていました。
「みんなで、あちこちに行ってるんだなあ…………」
フクロウさんは野イチゴを目の前にして、いつまでもじっとしていました。
次の晩です。
「やれやれ、やっと痛いのが取れたよ」
腰をさすりながら言うのはクマさんです。
「おいらは、まだ痛いよ」
イノシシさんは寝足りないのか、何度もあくびをしています。
「だいたい、キツネさんがいけないのよ。よりによって、あんなキツイ山、選ばなくったって」
リスさんが目を吊り上げて言いました。
「いや〜、面目ない。下調べが足りませんでした」
頭を掻くキツネさん。
「まあ、いいじゃないの。いつものことよ」
モモンガさんが、キツネさんに助け舟を出します。
「甘やかしちゃいかんよ。お調子者なんだから」
ヨダカさんが反論します。
「でも、いいじゃないか。楽しかったんだから」
シカさんが明るく言います。
「そうそう、楽しかったですよね」
ヘビさんも相槌を打ちます。
そして、みんなが笑いました。
「あの……」
フクロウさんが口を開きました。
「僕も誘ってほしかったです」
おずおずと言います。
「…………?」
みんなの目がフクロウさんに注がれます。とっても意外そうな目です。
それまで離れてじっとしていたオオカミさんが、静かにどこかへ立ち去っていきました。
ほんの少しの間でした。みんなが黙っていたのは。
そして、リスさんが言いました。
「だって、あなたは仲間じゃないでしょう」
「え?」
その答えにフクロウさんは言葉を失いました。
でも、誰も気にするそぶりもなく、お喋りに戻ります。
フクロウさんだけが、何も言えずにその場にじっとしていたのです。
翌朝。
フクロウさんは独りで枝にとまっていました。
ふと、下からひそひそ声が聞こえました。フクロウさんの耳は、とてもいいので、内緒話でも聞こえてしまうのです。
「どうする? やっぱ、やめとくか?」
「そういう訳にもいかないでしょ?」
「気づかなかったおいらたちがいけないんだ」
「そうですよねえ」
「で、誰が行くの?」
「あっしは、こーゆーの苦手だなあ」
「うっかり言っちゃった手前、あたしが登るよ」
「じゃあ頼みますね。とにかく誘ってあげないと、可哀相だから」
そしてリスさんが木を駆け上がってきました。
でも、その時、フクロウさんは飛び立っていました。誘いの言葉をかけにきたリスさんを、そしてみんなを振り切るように。
仲間じゃないでしょう
フクロウさんは、自分が勘違いしていたことにようやく気づいたのでした。
たった独りでいた自分に、たくさんの仲間ができた。そう思い込んでいたのでした。
でも。
動物たちにとって、フクロウさんは仲間ではありませんでした。ただのお客さんでしかなかったのです。
だから、ハイキングにも誘ってもらえなかったのです。
――僕はバカだ。
フクロウさんは飛びながら自分を責めました。
やがて森の外れまで来ました。
地面に小さな水たまりを見つけ、降ります。
あんまりきれいじゃない水をひと口飲んでから、考えました。
「これからどうしよう」
もう戻りたくはありませんでした。みんなの顔も見たくありませんでした。
可哀相だから
そんなふうに思われて、まがい物の「仲間」にしてもらったって、ちっとも嬉しくなんかありません。惨めなだけです。
「どこか、誰も知り合いのいない別の森に行こう」
そう決めました。
「そして、僕は『森の哲学者』に戻るんだ」
でも、それが決してできないことに、フクロウさんは気づいていました。
だって、みんなで楽しく賑やかに過ごすことを知ってしまったのですから。
フクロウさんには、もう独りぼっちでいることに耐える自信はありませんでした。
その時です。
ぼんやりと水面の自分の顔を見つめているフクロウさんに、いくつもの影が襲いかかってきたのです。
「!」
フクロウさんの胸に火のような熱さが走ります。
野犬でした。
ここは凶暴な野犬グループの縄張りだったのです。
「ああ、君たちが、僕の行き先を決めてくれるんだね」
体を切り裂かれながら、フクロウさんは笑っていました。
野犬たちは、そんなフクロウさんの羽根をむしり、つばさをもぎ取り、脚を喰いちぎっていきます。
突如。
大地を揺るがす咆哮が轟きました。
そして。
野犬の一頭が、ものすごい勢いではじき飛ばされました。
別の一頭が悲鳴を上げます。
他の野犬たちは、脅えて凍りついています。
フクロウさんに牙を立てた野犬の腹を太く頑丈な足で押さえつけているのは、あのオオカミさんでした。
足にグイッと力を込めます。踏まれて苦しんだ野犬は、フクロウさんを放します。
とたんに、オオカミさんは野犬を思いっきり蹴飛ばしました。
転がっていく野犬。そして、みんな尻尾を巻いて逃げていきました。
「……おい」
地面に横たわったフクロウさんに、オオカミさんが鼻を寄せて声をかけます。
「余計なことを……」
絶え絶えな息でフクロウさんが応えます。
「やっぱり、奴らに気がついてて飛ばなかったのかい? あんた」
かすかにうなずくフクロウさん。
そうです。フクロウさんは、望んで野犬の餌食になろうとしたのです。
「行き場がないからかい?」
ふたたびうなずきます。
「でも…誤解しないでくれよ、オオカミさん。……僕は、みんなを恨んだりはしていないんだからね。みんな僕に優しかったんだから…………」
ゴホゴホと咳込みます。とても苦しそうです。
「ただ……ただ、僕がいけなかったんだ。勝手にみんなの仲間になれたって、思い込んでしまったから…………だから、みんなは悪くないんだ。悪いのは僕さ」
オオカミさんは無言で聞いています。
「……だけど、やっぱり……淋しいなあ…………」
フクロウさんの目に光るものがあります。
「今は私がそばにいる。安心して眠るといい」
優しくオオカミさんが言いました。
フクロウさんは微笑みます。
「そう…だ……ね…………」
そして何回かくちばしをぱくぱくさせた後、フクロウさんは動かなくなりました。
スッと立ち上がったオオカミさんは、そのまま森とは反対の方向に走り出しました。
少ししてから、ふと立ち止まり、フクロウさんの亡骸を振り返ります。
――ところで、オオカミさんは、なぜこんな所にいたんだい?
オオカミさんにだけ聞こえたフクロウさんの最期の言葉です。
「ひょっとして、あんたとなら、話が合うかなと思ったのさ。けど、それももう叶わない」
その声は、とっても淋しそうでした。
「だからって、私には、あんたのように死を選ぶ度胸すらないのさ」
フクロウさんの亡骸にそれだけ言って、オオカミさんは、また駆け出しました。
二度と振り返らずに。
2001年10月17日に笑う満月さんに進呈したものを、あらためてここに掲載させていただきました。
これを書いたときは何かに取り憑かれていたのでしょうか。構想を含め、たった三時間で完成させたのを憶えています。それも、ドリームキャストで!
今は、そんなスピード、逆立ちしたって出せやしません(苦笑)。
2007.8.7.
★
文倉に戻る
★
庭に出る
この作品の著作権は妖之佑にありますからね。
Copyright © 2001-2007 Ayanosuke.
All rights reserved.
|