第二十一段

 
 萬のことは、月見るにこそ慰むものなれ。或る人の、「月ばかりおもしろきものはあらじ」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かあはれならざらむ。
 月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩にくだけてきよくながるる水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「元湘日夜東に流れさる、愁人の爲にとどまること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。稽康も、「山澤に遊びて魚鳥を見れば、心たのしぶ」といへり。人遠く、水草きよき所に、さまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

 
 
 
    第五十五段

 
 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にもすまる。暑き頃、わろき住居は堪へがたきことなり。
 深き水は涼しげなし。淺くて流れたる、遙かに涼し。こまかなる物を見るに、遣戸は蔀のまよりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るも面白く、萬の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。

 
 
 
    第百十段

 
 雙六の上手といひし人に、その行を問ひ侍りしかば、「勝たむと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりとも、おそく負くべき手につくべし」といふ。
 道を知れる教、身を治め、國を保たむ道も、またしかなり。

 
 
 
    第百二十一段

 
 養ひ飼ふ物には馬、牛。つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかがはせむ。犬は、まもり防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど家ごとにある物なれば、殊更に求め飼はずともありなむ。その外の鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、くさりをさされ、飛ぶ鳥は翅をきり、籠に入れられて、雲をこひ、野山を思ふ愁止む時なし。その思、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらむ人、是を樂まむや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥を愛し、林に樂ぶをみて、逍遙の友としき。捕へ苦めたるにあらず。
「凡そめづらしき禽、あやしき獣、國に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。

 
 
 
 
 
 

吉田兼好 『徒然草』


 
 
 


 
 
 
 〔風がおもてで呼んでゐる〕

 
 風がおもてで呼んでゐる
「さあ起きて
赤いシャツと
いつものぼろぼろの外套を着て
早くおもてへ出てくるんだ」と
風が交々叫んでゐる
「おれたちはみな
おまへの出るのを迎へるために
おまへのすきなみぞれの粒を
横ぞっぱうに飛ばしてゐる
おまへも早く飛びだして来て
あすこの稜ある巌の上
葉のない黒い林のなかで
うつくしいソプラノをもった
おれたちのなかのひとりと
約束通り結婚しろ」と
繰り返し繰り返し
風がおもてで叫んでゐる

 
 
 
  屈 折 率

 
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか

 
 
 
  冬と銀河ステーシヨン

 
そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげろふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々と降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつ赤に澱んでゐます
川はどんどん氷を流してゐるのに
みんなは生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Joset Pasternack の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
 だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です

 
 
 
 
 
 

宮沢賢治


 
 
 


 
 
 
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