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第二百三十六段
丹波に出雲といふ所あり。大社をうつして、めでたく造れり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人、その外も人あまたさそひて、「いざ給へ、出雲をがみに。かいもちひめさせむ」とて、具しもていきたるに、各拝みて、ゆゆしく信おこしたり。御前なる獅子こまいぬ、そむきて、うしろざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子のたちやう、いとめづらし。ふかき故あらむ」と、涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下なり」といへば、各あやしみて、「誠に他にことなりけり。都のつとに語らむ」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることに侍らむ。ちと承はらばや」といはれければ、「その事に候。さがなきわらはべどもの仕りける、奇怪に候ふことなり」とて、さしよりて、据ゑなほしていにければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
早春独白
黒髪もぬれ荷縄もぬれて
やうやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはぼんやり湯気に曇ります
……青じろい磐のあかりと
暗んで過ぎるひばのむら……
身丈にちかい木炭すごを
地蔵菩薩の龕かなにかのやうに負ひ
山の襞もけぶってならび
堰堤もごうごう激してゐた
あの山岨のみぞれのみちを
あなたがひとり走ってきて
この町行きの貨物列車にすがったとき
その木炭すごの萱の根は
秋のしぐれのなかのやう
もいちど紅く燃えたのでした
……雨はすきとほってまっすぐに降り
雨はしづかに舞ひおりる
妖しい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこっちで
あなたは赤い捺染ネルの一きれを
エヂプト風にかつぎにします
……氷期の巨きな吹雪の裔は
ときどき町の瓦斯燈を侵して
その住民を沈静にした
わたくしの黒いしゃっぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいっさんにはしります
吉田兼好『徒然草』