佛頂𭔿勝陀羅尼

  

 
 
曩謨のうぼ婆誐縛帝ばぎゃばてい
怛頼路枳也たれろきや鉢羅底はらち尾始秫吒野びししゅだや
没馱野ぼだや波誐縛帝ばぎゃばてい
怛儞也他たにやたおん
尾戍馱野びしゅだや尾戍馱野びしゅだや
娑麼娑麼さまさま三滿跢さまんだ 嚩婆娑はばしゃ娑頗羅拏そはらだ
誐底ぎゃち誐賀曩ぎゃかのう娑嚩婆縛そまはんば尾秫弟びしゅてい
阿鼻詵あびしん左都𤚥じゃとまん
素誐多そぎゃた幡羅縛𤚥曩はらばしゃのう阿密㗚多あみりた鼻曬罽びせいけい
摩賀まか曼怛羅まんだら跛乃はだい
阿賀羅あから阿賀羅あから
阿臾散馱羅柅あゆさんだらに
戊馱野しゅだや戊馱野しゅだや
誐誐曩ぎゃぎゃのう尾秫弟びしゅてい
鄔瑟柅灑うしゅにしゃ尾惹野びじゃや尾秫弟びしゅてい
娑賀娑羅さかさら阿囉あら湿名しんめい散祖儞帝さんそにてい
薩縛さらば怛他誐多たたぎゃた縛路迦𩕳ばろきゃに
娑吒幡羅弭跢さたはらみた跛里布羅柅はりほらに
薩縛さらば怛他誐多たたぎゃた紇哩娜野きりだや
地瑟姹曩ちしゅたのう地瑟恥多ちしゅちた
魔賀まか母捺哩もだれい
縛日羅迦野ばざらぎゃや僧賀多曩そぎゃたのう
薩縛さらば縛羅娜はらだ幡野納哩はやとり蘖底跛哩ぎゃちはり尾秫弟びしゅてい
鉢羅底𩕳韈羅哆野はらちにはらだや
阿欲秫弟あよくしゅてい
三摩野さんまや地瑟恥帝ちしゅちてい
摩抳まに摩抳まに摩賀麼抳まかまに
怛闥多部跢たただぼだ句致くち跛哩秫弟はりしゅてい
尾婆普吒びさぼだ没地秫弟ぼじしゅてい
惹野じゃや惹野じゃや
尾惹野びじゃや尾惹野びじゃや
娑摩落さもら娑摩羅さもら
薩嚩さらば没馱ぼだ地瑟恥帝ちしゅちた秫弟しゅてい
縛日哩ばじり縛日羅ばざら蘖囉陛ぎゃらべい
縛日覧ばざらん婆嚩覩はばと摩麼まま設哩覧しゃりらん薩縛さらば薩怛縛難さとばなんしゃ
迦野ぎゃや跛哩秫弟はりびしゅてい
薩縛さらば誐底ぎゃち跛里秫弟はりしゅてい
薩縛さらば怛他誐多室者銘たたぎゃたしつしゃめい三麼湿縛婆琰覩さんまじんばそえんと
薩縛さらば怛他蘖多たたぎゃた三摩湿縛婆さんまじんばそ地瑟恥帝ちしゅちてい
没地野ぼじや没地野ぼじや
尾没地野びぼじや尾没地野びぼじや
冒馱耶ぼだや冒馱耶ぼだや
尾冒馱耶びぼだや尾冒馱耶びぼだや
三滿多さんまんだ跛哩秫弟はりしゅてい
薩縛さらば怛他誐多たたぎゃた
紇哩那野きりだや地瑟姹曩ちしゅたのう地瑟恥多ちしゅちた摩賀母捺哩まかぼだれい
娑縛賀そわか

 
 
 


 
 
 
 仏の肉髻(頭頂部の盛り上がった部分)は、その仏とは別枠の仏格として扱われ、それを「仏頂」と言います。
 その仏頂のお一方に「𭔿勝佛頂」別名「𭔿勝佛頂佛母」があり、仏頂尊勝陀羅尼は、この仏を祀るためのものです。
 
 一説には最強の呪文とされており、古い書物等に「仏頂尊勝陀羅尼のおかげで難を逃れた」とする記述が多いそうです。
 御守りとして携行するなら、これが第一候補でしょう。

 
 
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